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22話 書物の中のとある魔術師の成り行き


 読書を進めながらノートを取る。考えながら読んでいては時間がかかるので、ルビーはひとまずメモを残して情報を取り出しておくことに決めたのである。


 書庫には見張り役としていつもエディールが居て、時折ルイが様子を見にやってくる。出立までの期間について訊ねると、「最短で十日」とルイは答えた。

 そんなに早く、と心配そうに表情を曇らせるエディールの斜め横で、ルビーもまた眉根を寄せる。いちにち一冊のペースで読んでいては、暗記をする時間がない。


「なあルビー、お前、協会長の屋敷に泊まっているのだろう。あの人、旅なんかに出て本当に大丈夫なのか?」

「死にはしないと思う」

「その根拠は」

「秘書官の様子。協会長も、体力は無いけど機嫌はいい。死んじゃいそうな人はけらけら笑ったりしないです。たぶん」


 問いかけに答えながら、ルビーはすっと本のページを指先でなぞる。精霊の物語のなかに、何やら近頃聞いたような名前が現れたのである。


「イフリート……」

「ああ、炎の魔人だろ?」

「魔人? でも、精霊として書かれてる」

「イフリートは闇に落ちて魔人となり、数千年の時を経て憎しみを洗い流して、最後には精霊の末席に加わった。元は人間、魔術師だったんだ。今の言葉に当てはめるなら、だけど」


 人間が精霊になる──古代ではそれが有り得たのか。人差し指でその名前をなぞりながら、ルビーは記憶を遡った。

 ある日の朝食の席で、あの冬を作った金色の目の死神が、ルビーを見て「イフリータ」と言わなかったか。

 

 イフリータとはイフリートという名の女性形だ。その時ブレスは言っていた。存在がそちら側に傾くということか、と。

 

「ねえエディール、わたし、精霊になれると思う?」

「はあぁ? お前なぁ、いくらなんでも妄想が過ぎるぞ。医者に行け、見てもらえ、そのぶっ飛んだアタマを」

「……」

 

 ルビーはなんとも残念な気分になってエディールを見つめた。この魔術師は良い人だけど、少々固定観念に囚われ過ぎている。

 そもそも、エディールが妄想と言いきった事柄を言い出した者はブレスである。それを知れば、彼はどんな顔をするだろうか。

 

「かわいそう……」

「可哀想!? 可哀想なのはお前の頭だ、このバカ!」


 憐れみの目を向けられたエディールは、頓狂な声で叫んで勢いよく立ち上がった。

 途端にうるさい、静かにしろ、書庫で騒ぐなとあちこちから苦情が飛んできて、エディールは罰が悪そうにそろそろと小さくなって元の席に座った。

 この協会での彼の立場はそんなものである。

 

「お前のせいで……」

「もういい。わたし、宿題するからエディールは静かにしてて」

「……この野郎」

 

 野郎ではない。

 怨念のこもった視線をさらりと受け流し、ルビーは本のページをめくる。

 炎の魔人イフリータの名前と来歴を走り書きしつつ、考えるのは後回しだ。いますぐ覚える必要はない。こうしてノートを取っておけば、旅の途中でも暗記は出来る。

 


 

 そうして本を読み続けて五日が経過した。

 全ての本をひと通り読み終わったルビーは、十冊の背表紙を、またしても眉間を寄せて睨みつけていた。

 

「お前、なんだか最近ルイ秘書官に似てきたよな」

「ほんと?」

「なんで嬉しそうなんだ。褒めてないんだけど」

 

 ぱっと顔を上げたルビーをうんざりと眺めつつ、エディールが言う。しかしルビーにとって、ルイは尊敬に価する魔術師である。似てきたと言われるのは嬉しいかった。

 

「ねえ、エディール。あのね」

「なんですかね女王様」

「女王様ってなに」

「黙っていろって言ったり、話しかけてきたり」


 疲れた顔でぼやく彼を眺め、ルビーは首をかしげた。エチカは誰に対してもこんなふうだった気がするが、彼女の振る舞いは一般的ではなかったということか。

 

(……あれ? じゃあわたし、誰をお手本にしたらいいの)

 

 ルビーの周囲には、魔王と死神と有能な秘書官とどこにでもいそうな魔術師しかいない。

 ──お手本になりそうな女魔術師はいずこに?

 またしても眉間を寄せて黙り込んだルビーに、そのどこにでもいそうな魔術師は呆れ顔で首を振りつつ「そんな不機嫌な顔で黙るなよ」と辟易してぼやく。

 

「不機嫌じゃない。考えてたの」

「あっそ。で、なに」

 

 なんだかんだ言いつつも、話は聞いてくれるようだった。うん、と頷きながら、ルビーはトントンと並べた本を指先で叩く。

 

「ひと通り読んでわかったことがあるの。これらの本は全て、魔術師という存在を是認ぜにんしてはいない」

「是認……肯定的じゃないってこと?」

「そう」

 

 神話や精霊の物語は、人間が異能の力を持つことを拒絶していた。

 魔女と魔人についての文献は、魔術師が闇に落ちること危険性をこれでもかというほど示していた。

 夜の生き物や闇の生き物を軽々しく使役することは、人間の傲慢さの成せる技だと著者によってあとがきに書かれていた。

 竜についての本もそうだ。竜が現在絶滅しかかっているのは、かつて魔術師たちが竜たちを捕獲し縛り付け利用したためだ、と。

 

「ブレス協会長は、どうしてこの本を読ませたんだろう。なんだかわたし、それでもお前は魔術師に成りたいのかって問われている気がした」

「そういうことなんじゃないの」

「どういうこと?」

「良い面しか知らないで成るってのはさ、目的地の下調べもしないで旅に出るってのと同じってこと」

「……もっと解りやすい言葉で言って」

 

 例え話が意味不明だった。しかめっ面を向けると、エディールは苦笑を浮かべて目を伏せる。

 

「じゃあ想像して。お前はすごく楽しみにしていた旅行に、やっと行けることになった。だけど実際に行ってみると、綺麗な風景を見るためには脚を棒にして歩かなければ行けない。一見立派に見える隣人は実際は泥棒で、物を盗られて、結局旅行はただの徒労と終わってしまった。そしてお前はその場所に幻滅して、結局二度とその場所へ行くことは無かった。おしまい」


「……そんなおしまいは嫌だ」


「ああ。だから、そうならないように、旅に出る前には情報を集めて下調べをする。魔術師になることも同じ。良い面だけ見ていると、いつか幻滅する」

「下調べをして、大変な旅になると知って、出立前に素敵な旅行が素敵じゃなくなってしまったら、そもそも旅行に行かないんじゃない?」

「まあね。だけど、それでも行くって決めた人だけは、旅行に行って帰ってきて、次の旅行にまた出掛けようって思えるんじゃないの」

「ああ、そっか……」

 

 目標を叶える、夢を叶えるということは、そういうことなのか。現実にしなくてはいけないのだ。

 

「何が立ちはだかってもちゃんと行って帰ってきて、次の旅に繋げなくちゃいけない」

「そういうこと。だからブレス協会長はさ、お前をきちんと育ててくれると思うよ。そうじゃなきゃ、夢見がちの年頃の女の子に魔術師の裏側を突きつけたりしない」

 

 五日前にエディールが言っていた言葉の意味が、ようやく解った気がした。

 本気でお前を育てようとしてるってこと。

 ブレスは既に決めているのである。あの協会長は、ルビーが本当の意味で覚悟を決めることが出来るかを、この課題図書を読ませて試している。否、それ以上に彼は……。

 

「協会長はわたしがあとで転ばないように、石や罠の場所を教えてくれたんだ」

 

 ぽつりと呟くと、エディールは肩をすくめて苦笑を深めた。彼は「お人好しだろ?」とおどけてみせる。

 

「うん。たしかに、優しいところもあるのかも知れない。魔王だけど」

「だからさあ、なんでブレス協会長が魔王なんだよ。冬の協会長の方だったらまだわからなくはないけど」

「エディールもそのうちわかるようになるよ」

「あーハイハイ、左様ですか女王様」

「女王様は魔術師にならないでしょ」

「どうだかねぇ」

 

 お喋りはそのあたりにして、ルビーは再び本を開いた。二周目を読むのだ。

 そして更にきっちり五日後、十数冊の本の内容を六割ほど頭に叩き込んでふらふらになったルビーを、ルイが迎えにやってきた。

 

 ぶつぶつと血走った目で暗記した文章を呟いているルビー。

 付き合わされ、疲労が一周した結果笑いが止まらなくなっているエディール。

 ルイはふたりを見てしばし沈黙し、そっと視線を外した。言い付けに従順かつ真面目である姿勢は結構だが、いくらなんでも限度があるのではなかろうか、と彼は思うのである。

 

 一方ルビーは五体満足のルイを見、心底安堵していた。あの冬の協会長に何を支払わされるのかと心配していたけれど、とにかく身体は無傷だったのだ。

 

「ひしょかん……良かった、目玉も指も無事だったんですね」

「……何の話だ」

「ああルイさん。コレの話は半分くらい妄想なので、適当に聞き流すのが一番良いですよ、はは」

「エディールはひどい。わたしは本当のことしか言わないのに、あうっ」

 

 むんずと襟首を掴まれて、ルビーは書庫から強制退去される運びとなった。

 痛い痛いと訴えつつ金髪の秘書官を見上げれば、なんとも頭の痛そうな顔のルイがもう片手でこめかみを押さえつつ、「エディールまで壊れるとは……」となにやら虚ろに言っている。

 

「秘書官、までってなんですか、他にも壊れている人が……ああそうか協会長」

「……」

「秘書官? どうして答えてくれないの……おかしい、もしかしてわたし、寝てるのでは?」

 

 ルイは無言である。引き摺られて行くルビーをよろよろと追ってきたエディールが、ノートを掲げて「忘れ物ぉ!」と叫んでいる。

 ……嘆かわしい。エディールは本来そこそこ優秀な男であった。当然である。何しろ彼もまた、冬の協会長シルヴェストリの圧迫面接を通過して採用された職員なのだから。


 この協会は本来、まともで優秀な職員しか居ないのである。それがどうだろうか。この十日で、この男はだいぶ阿呆になってはいまいか。

 ルイは思った。

 もうこの娘を放置するのは金輪際やめよう。協会が内部崩壊するとしたら、この娘のために違いない。

 

「お前は主人より手が掛かる……」

「ええ、嫌だ、一緒にしないでください」

「……」

 

 従者の気苦労はまだまだ続く。

 

 


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