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炎上のイフリータ 少女は飛躍する  作者: 烏森鳩子
1章 主人と死神
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20話 アグニの半分

 


「ルビー、魔王なんて存在しないんだ。神話の時代ならともかく、今となってはおとぎ話だよ」


 協会の書庫にて、ルビーはエディールのカウンセリングを受けていた。

 精神不安定になって戻ってきた年下の魔術師見習いを、面倒見のいいエディールは先輩として心配してくれたのである。


「でも、神話の時代が今も続いていないとは限らないでしょう? 数千年後にはこの時代だって、もしかしたらおとぎ話や神話のように語られているかもしれない。今が客観的にどんな時代かなんて、百年後になってみないとわからない」

「ええと……そんな哲学みたいな抽象的な話されても困るんだけど、とにかく。ブレス協会長は本当に善人だよ。もし彼が君が言うように桁外れに強くたって、味方なんだから問題ないじゃないか」


 その意見は楽観的すぎるのではなかろうか。昨日の敵は今日の友、なんて言葉があるけれど、その逆だってあり得るとルビーは思う。


「……ブレス協会長が闇に落ちて魔人になる前に、誰かがブレス協会長を殺さないと」

「うわあお前、なんて事を言うんだ!? 万が一秘書官にそんな事を聞かれたら……!」


 ざっと血の気が引いたエディールが、人目を気にしてきょろきょろと首を巡らせた。ルビーは声を潜めてそっと呟く。


「心配いらない。いまあの人たちの気配はない」

「気配が無くったって居ないとは限らないんだよ。エルシオンにいたんだったら知っているだろう、気配を断つ魔術具だってあるんだから」

「そうか。そういえばそうだった。それに、もしかしたら秘書官に情報を売る職員がいるかも」

「……ああうん、私はそこまで言ってないけど、無くは無いかも知れない……じゃなくて。だから、あの人達は敵には回らないんだ。絶対に」

「絶対……本当に、絶対? 絶対なんてあるの? 信じたら死ぬかも知れないのに、どうしてそこまで信用できるの? おかしい」

「おかしいと言われてもなぁ……」


 エディールの困り果てた声に、やはり根拠はないのだと俯いた。

 しばらく言葉を探していたエディールは、そっと手を伸ばしてルビーの頭を撫でる。ウォルフのような手つきだった。


「その……不安なんだよな。頼れる大人がいない、こんな辺鄙な町にひとりでいなくちゃいけなくて。まだ子供なのに」


 不安。そうなのだろうか。言われてみればそんな気もするけれど、ひとりだったのはずっと変わらない──いや、そうじゃなかった。ルビーは眉根を寄せる。

 エチカやウォルフに守られていた時があった。ほんの数ヶ月に満たない短い期間ではあったけれど、確かにあの頃のルビーは心が満たされていた。


 魔道学舎のクラスで孤立していても平気だったのは、彼らが守ってくれていると実感できたからだ。疑いもなく、それを信じていられたからだった。

 この協会の職員たちはみんな彼を信頼している。それこそが決定的な違いなのだと、ルビーは気づいて項垂れた。


「……エディールは、どうしてブレス協会長のことを信じているの?」


 途方に暮れて訊ねると、エディールは面食らった後に少々照れくさそうに視線を上向かせた。

 私的な質問をしてしまったのかもしれない。しかしルビーも、知らないことにはどうしようもない。


「私が話したと、言わないで欲しいのだが」

「言わない。約束する」

「じゃあ……まあいいか。聞いてくれ」


 そうしてエディールは語り始めた。

 まるで英雄譚のようなその出来事を、少年のように目を輝かせながら。




 書庫の窓からぼんやりと空を眺めながら、ルビーは考えていた。

 力を持つ者はそれだけで怖い。村にいた頃にルビーが村人から嫌悪され恐れられていたように、目立てば叩かれ潰される。


 虎は虎であり、善でも悪でもない。しかし、ただそれに生まれついただけであっても、人間はそれの本質を恐れるものだ。

それにも関わらず、あの協会長はそうではない。彼はみなに慕われているようである。


(人間は違うのか……)


 るびーにはそれが難しい。わからない。

 虎が言葉を話して飼い猫のようになっているからといって、ルビーは虎に近寄る気にはなれない。

 もし、虎を恐れないものが存在するとしたら、きっと虎の子くらいだろう。虎の子は守られているし、自分も虎であることを知っているから。

 そんなことを考えながらおやつを取りに行ったエディールを待っていると、不意にルイが現れた。


「秘書官」

 

 冬の協会長シルヴェストリとの話が済んだのだろうか、とルビーが立ち上がると、彼は少々眉を顰めて「エディールはどこへ行った」と目を光らせた。


「お前を任せていたというのに」

「あ……違います、ついさっきまで居ました。あのひとはその、ええと」


 おやつを取りに行ったなんて知れたら、エディールは怒られてしまうだろうか。

 しどろもどろになったルビーを見下ろして「まあいい」と呟いたルイは、革手袋をはめた指を曲げてルビーを招いた。


「来い。知るべきことを知る時が来た」

「……どうしても、聞かなくてはだめでしょうか」


 ものを教えてくれると言われて、死刑宣告をされたように感じる日が来るだなんて、思いもしなかった。

 これまではありとあらゆることを知りたくて仕方がなかった。いまは知ることが、少し怖い。


 協会の階段を上がり、ルイが開いたのは二階の奥の部屋の扉だった。秘書官の執務室の隣にあるその場所は、協会長の執務室だ。

 視線を下げたままルイの後ろに隠れていると、春の協会長であるブレスの声が柔らかくルビーを呼ぶ。


「そんなに怖がらないで、ルビー。みんな君の仲間だ」

「……なかま?」


 仲間、同類、同志。

 味方だと言われても信じられないが、同類だと振り分けられることにはさほど抵抗は感じなかった。

 どういう意味だろうとほんの少しだけ視線をあげると、冬の協会長シルヴェストリの赤い双眸と視線がかち合う。

 ルビーと同じ、魔物のような深紅の目だ。鋭いつり目も相まって迫力がある。


「やはり、欠けている」


 シルヴェストリはじっとルビーを観察してそう述べた。うん、とブレスが頷く。彼は言葉を続ける。


「とにかく、片割れを探さないといけませんね。不完全な精霊が怪異となれば、相当の被害が出てしまうでしょう」

「たしかに。これは悠長にかまえていて良い事案ではない。仕方なかろう。ブレス協会長はその娘の片割れを回収するまで、この国に戻ってくるな」

「あはは……冷たい言い方だなあ、もう」


 つんけんとした物言いのシルヴェストリに、ブレスはゆるゆると苦笑する。対象的なふたりだが、やはり彼らの間にも絆がある。

 ルビー、と呼びかけられて顔を上げると、あの明るく澄んだ若緑色の目が見下ろしていた。

 ブレスは上等なローブが床に着くのにも構わずに、その場に膝を着いてルビーと視線を合わせる。


「ルビーは明日から正式に私の門弟となる。弟子だね。君は未成年だから、私のことがきらいでも、保護者であるエチカの言いつけに従わなくてはならない」


 この中央大陸での成人年齢は十八とされている。ルビーはまだ十五、確かに彼の言う通り未成年だ。


「もちろん、私は師としてできる限りのことをするつもりだ。魔術師になりたいのならば、きちんと国家試験に受かるように教育もする」

「国家試験……わたしでも受かるでしょうか」

「座学を一通り学べば、君だったら受かると思うよ。だが君の場合、それだけでは駄目なんだ。君には使命がある。いや、宿命かな」


 柔らかな眼差しが、真剣の色を帯びて引き締まった。

 ブレスは執務机について指を組んでいるシルヴェストリを見やり、話を続けた。


「ヴェスターと同じように、君は人間と精霊の混血だ。精霊との混血児は、身体に精霊を宿して産まれてくる。ヴェスターを見てごらん」


 言われるがまま目を向けると、シルヴェストリの姿が淡く発光し、突如として人ならざる乙女が現れた。

 彼と同じ若菜色の長い髪をもつその精霊はそよ風を纏い、半透明の姿でゆらゆらとシルヴェストリに寄り添っている。


 ぽかんと見とれているうちに風の乙女は消えてしまった。──あれと同じものが、ルビーに宿って共に生まれた?


「ヴェスターはシルフとの混血だから、風の精霊がああして宿っている。本来ならば、君にも魂の片割れが居たはずなんだ」

「でも、居ない。感じたことがない」

「ああ。君の片割れは君とはぐれてしまっている。肉体がある君の存在は安定しているが、片割れの精霊はそうではない。このままでは君の精霊は消えてしまうか、災害に変わってしまうかもしれない。そうなれば、君は一生不完全なままだ」


 彼の言葉は、不思議なほどにすとんとルビーの中に収まった。そうか。見つけてあげなければ、いけないのか。肉体がないルビーの片割れを。

 目が赤いだけでこれほど差別される厳しい世界で、人間ですらない片割れの精霊は、どれだけ不安な思いをしているだろう。


 ずっとひとりぼっちでいるのだろうか。かつてのルビーのように、世界を憎んでいるのだろうか。

 締め付けられるように痛んだ胸の中で、火花が爆ぜてひとつの名前を呼び起こした。アグニ。


「わたしの名前は、わたしだけのものじゃなかったんだ……」


 十五年も気づかなかった。哀しみと寂しさと悔しさが津波のように一度に押し寄せてきて、頬を濡らした。

 青年のように若い姿のブレスを見つめ返し、ルビーは決意を告げる。


「わたしは、わたしの半分を探しに行く。行かせてください──師匠」


 静かに澄んだ若緑色の双眸を穏やかに細め、彼は手伝うよ、と答えた。




 こうしてルビーは、またしても旅立つことになったのだった。

 名前もない小さな村からエルシオンへ、エルシオンからこのヨルタークのシルワへと移ろい、今度の行先は不明である。しかし目的は明確だった。


 ──絶対に見つけてみせる。待っていて、アグニ。はぐれた片割れと再び巡り会う為ならば、魔王にだって弟子入りしよう。


 覚悟を決め、ルビーはこうして得体の知れない謎の魔術師と師弟の契約を交わした。

 辺境の小国に建つ魔術師協会の一室にて結ばれたその繋がりによって、ルビーの運命は決まったのである。



 1章 主人と死神 終わり

 エディールを振り回しつつ、ルビーの旅の目的が決まりました。次話から2章「火の眷属」です。

 

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