表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
炎上のイフリータ 少女は飛躍する  作者: 鹿邑鳩子
1章 主人と死神
11/221

11話 秘書官の屋敷へ


 

 協会の空き部屋に寝泊まりをするようになって、気付いたことがある。このルイ秘書官という人物は、ウォルフが思っているほど極悪人ではないということだ。


 そもそもウォルフが彼に良い印象を持たなかったからといって、悪人と決めてかかるのは早計というもの。

 ここ数日うしろをつけ回してルイの仕事ぶりを観察し、ルビーはそれをひしひしと実感している。この秘書官は有能だ、と。


「あの、ちょっといいかな」


 執務室の隅に座り込んでルイの仕事を観察していると、頭上から声が掛かった。

 見上げれば伸ばした茶髪をひとつ結びにした、どこにでもいそうな魔術師が困った顔でルビーを見下ろしている。


「仕事の邪魔になるので、秘書官の部屋から出て行って頂きたいのですが」

「邪魔だなんて言われてない」

「秘書官は無口なので」


 ルビーは横目で執務机に向かうルイを見やる。

 小声のやりとりの一切を黙殺して、ルイはさらさらと書面にペンを走らせている。


「無口でもなんとなくわかる。秘書官は黙って見ているぶんには許してくれる」

「……はあ、じゃあ率直にいうけど、私の気が散るんだ」

「それはわたしと秘書官には関係がない」

「君には関係がなくても、ここは協会で、君の家じゃない。君の自由が優先される場所じゃないんだよ」


 魔術師の言い分に、ルビーは目を瞬く。似たような言葉を以前にも向けられたことを、思い出したのだ。

 ──後から来たくせに、好き勝手して。輪を乱さないでって言ってるの。


「……!」


 ルビーは顔色を変えて頭を抱えた。そうだった。先住の人間がいるのだから、それを無視して好きに振る舞えば、群れを追い出される。

 同じ間違いを繰り返すところだったと気づき、沸き上がった恐怖を飲み込んで、深呼吸をひとつ。


「ごめんなさい。どこだったら、居てもいい?」


 顔を上げて問いかけると、身構えていたその魔術師は拍子抜けした様子で肩の力を抜いた。

  いつの間にか手を止めてふたりを見ていたルイが「書庫はどうだ」と淡々と提案する。


「ブレス協会長の監視下でなくては魔術を使うことは許されないが、書で知識をつけることくらいはひとりでも出来るだろう。春までまだふた月はある」

「は、はあ……秘書官がそう仰るなら」

「エディール、その娘を案内してやれ。ルビー、書庫を荒らすな」

「わかった」


 かくんと頷いて立ち上がり、茶髪の魔術師を見上げ、顔を覚えた。どこにでもいそうな、特徴のない二十代半ばの魔術師である。

 きっと年齢は、見た目とそう変わらないだろう。彼の呼び名はエディール。


「わかったじゃなくて、わかりました、だ。まったく、魔術の知識を身につける前に礼儀作法の本を読んだ方がいいんじゃないか」

「礼儀作法の本なんてあるの?」


 小言を言いつつもドアを押さえてくれている魔術師、エディールを仰ぎ見れば、彼は目を瞬いて眉を下げて笑う。


「どんな厄介な子供が来るかと思ったけど、素直なんだな。礼儀作法の本はあるよ。お偉いさんの屋敷に招かれた時のために、マナーは一通り身につけることになっているから」


 場所を教えてやる、という彼にありがとうとお礼を言うと、エディールは目をそらして頬を掻いた。

 勝った、と思った。

 どれだけにらみ合っても絶対に目をそらさないルイ秘書官とは違って、この魔術師の性質は穏和そうだ。




 そうしてそれからひと月、ルビーは協会の書庫に籠もった。

 書庫には様々な魔術師が訪れる。この協会に勤める魔術師たちはみな勤勉だ。

 今度はルビーも、縄張りを荒らさないように努めた。人間の言葉では、それを「秩序を保つ」と表現するらしいということも知った。


 礼儀作法の本の中身を一通り頭に叩き込み、魔術師に相応しい立ち振る舞いを覚えると、今度は書庫を訪れる魔術師を相手にそれを実践した。

 挨拶をして、自己紹介をする。

 正しい言葉使いで、表情にも気をつかう。


 夜の窓ガラスに映った自分の顔とにらみ合いながら笑顔を練習していると、時折エディールがやってきて話し相手の練習をしてくれるようになった。

 エディールは慣れてみれば親切な男だった。まるで兄貴分のように、ルビーを気にかけて面倒を見てくれる。


 最初に「秘書官の邪魔になるから」と声を掛けてきたのも、ルイを気遣ってのことだったのだと、関わるうちに気づいた。

 そうして冬の二の月が過ぎ、三の月に入ると、ルイから呼び出しが掛かった。すぐさま秘書官の執務室を訪ねる。


 ドアを叩き、失礼しますと前置きをして、むやみやたらに睨みあったりせずに、しかし背筋は正し、ルビーは秘書官と向かい立つ。

 現れたルビーを前に、ルイは一呼吸ぶんの間を空けて「付け焼き刃だが、ましにはなった」と評価した。

 学んだことを認めて貰えたのである。

 ひとに成長を認めて貰えるということは、嬉しいものだ。


「しばらく屋敷に戻ることになった」


 ルイの声に、わずかに視線を上げる。相変わらずの無表情だが、以前よりもかすかに陰って見える。声にも疲れが滲んでいた。


「私の仕えている主人の加減が良くない。お前の身は私が預かることになっているため、お前も屋敷に連れて戻る」

「協会ではなく、秘書官のお屋敷で生活するということでしょうか」

「そうだ」


 書庫から離れるのは残念だけれど、預かってもらっている身だ。はい、と大人しく頷くと、ルイは音もなくため息を吐いた。

 エディールの真似事をして、彼の立場になってものを考えてみる。

 協会長不在の協会で、毎日山積みの仕事を片づけながら、家に戻れば病んだ主人の世話をする。


 それは大変だろうな。

 きっと疲れているに違いない。

 おまけにルビーというお荷物まで抱えて帰らなくてはいけないなんて。

 目を伏せ、上げて、ルビーは呟く。


「雑用はお任せください。はじめだけ教えて頂ければ、家事は覚えます」


 せめて少しでも役に立とう。ルビーの言葉に、鉄面皮の秘書官は微かに苦笑を滲ませた。

 この人でも笑うのだな、と不思議な気持ちでルイを見つめていると、彼は素っ気なく「では荷物をまとめろ」と言って書類を束ね始める。

 心配そうなエディールが手伝ってくれたおかげで、荷造りはすぐに済んだ。ここには優しいひとがたくさんいる。


 エディールは内緒だと言って、協会の本を一冊ルビーの荷物に紛れ込ませた。それは「魔術回路のための食生活」という料理の本だった。

 かつてこの協会に勤めていた女魔術師が趣味で取り寄せて、そのまま置いていった本だそうだ。


「三食ルビーが作れるようになれば、秘書官もだいぶ時間があくと思うよ」

「ありがとう、エディール」


 感謝を込めて、練習した笑顔を浮かべて見せる。エディールは「下手だなぁ」と言って、仕方なさそうに笑った。




 鞄に書類を詰められるだけ詰めて、ルイはルビーを連れて教会を出る。大股できびきびと歩くルイに小走りでついて行くと、やがて木立の中に小さな屋敷が現れた。


 白い柵で囲まれた庭は広く、魔術師の住居にありがちな鶏小屋と、よく手入れされた畑がある。

 肝心の住居はといえば、木々に紛れ込む様な茶色の煉瓦の、深緑の屋根の家だった。大きな窓がたくさんあって、この真冬だというのに二階の窓は全開だった。

 それに気づいたルイが二階を見上げながら、「あの人は、また」と頭が痛そうに眉間を押さえる。


「秘書官の仕えている方は、どんな方なのですか?」


 気になって堪らずに質問をすると、ルイはくたびれた様子で首を振り、「詮索はするな」と短く拒絶をした。

 そう言われてしまっては仕方がない。

 はい、と素直に言う事をきく。


 その屋敷のドアには鍵穴がなかった。ドアノブに触れて、魔力を流すと鍵が開く仕組みになっている、とルイは言う。

 魔力を登録した者だけがドアを開けることが出来るのだ。

 魔術師の住む建物というのは、どこも同じようにへんてこなのだろうか。


 家の中はきちんと整頓されていて、いかにもルイが暮らしていそうな物の少なさだった。

 エチカとウォルフの住んでいた部屋と、どこか似ている。

 必要最低限のもので快適に暮らせるように、質の良い物を揃えた家だ。


「一階と庭は自由に行き来して良いが、二階には上がるな。私の主人の気を煩わせてはいけない」

「わかりました、秘書官」


 二階の(ぬし)は気になるが、ルビーだって病人の眠りを妨げるつもりはない。

 手負いの獣に手を出すと危険なのだ。

 かつてウォルフは言っていた。

 特定の主人に仕える魔術師は、主人に手を出されたら黙ってはいないのだと。


 ルビーが二階に上がれば、ルイが黙ってはいないということである。ひと月の間、彼をじっと観察していたルビーには察しがついた。

 ルイは殺るときは躊躇なく殺る。

 普段の彼が物静かなのは、足音も立てないネコ科の肉食獣であるからだ。


 一階の空き部屋を間借りして、少ない荷物を整理して寝床を整える。小さな部屋だが明るくて居心地がいい。

 大きな窓から庭を観察していると、鶏小屋から黒い髪の子供が出てきた。くるりと振り返った緑の目のその男児は、ウォルフを道案内してくれたあの子供だった。

 子供の手には、バタバタと暴れる鶏の首が握り締められている。


「……鶏どろぼう?」


 かち合う視線。

 首を傾げたルビーを見つめ、表情を変えるでもなく、子供は羽を撒き散らして抵抗する鶏を拐って去っていった。

 ──不思議な家だ。

 好奇心を抑えつつ、エディールが持たせてくれた料理本を開くと、またしても視線を感じた。

 顔を上げると、今度は大きな長毛の黒猫がじっとルビーを見つめていた。


「……」


 先程の子供が人間に見えなかったように、この猫も猫には見えない。ルビーは湧き上がる高揚感をやっとのことで抑えつける。

 ここは魔術師の世界の、魔術師の家。知りたくて堪らずにいる、不思議で面白い世界の一部なのだ。


 そうとなれば、立ち入りの禁じられている二階に住まうルイの主人とやらが気になって仕方がない。

 いったいどのような人物なのだろう。


 

 ルビーのルール


 1、縄張りは荒らさない。

 2、先に目を逸らした方が負け。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ