恋人とは……?
自分が、乙女ゲーム『白銀のリリクウィー』の世界に転生していると気づいたのは8歳の時だった。
その日はお忍びで街に出かけていたのだが、場所や時間まできっちり決められた通りに行動するのが嫌で護衛の騎士から逃げるように馬車から飛び降りた。
そうして、道端で倒れていたジャックと出会ったのだ。
ジャックはヒロインの従者であり、『白銀のリリクウィー』攻略対象キャラクターの一人。
他5人の攻略対象キャラとは違って魔法学院入学式の前からヒロインと交流がある彼は、ヒロインの入学と同時に2年生のクラスに転入し、ヒロインの正体を知る唯一の人物として学園生活に不慣れな彼女をサポートしてくれる。
そんな彼の献身的な姿に心を奪われ、ジャックルートを何百回とやりこんだジャック推しの私は、彼を一目見た瞬間に前世の記憶を思い出し、自分が『白銀のリリクウィー』のヒロイン—— セシリアに転生していると気づいた。
それからは、ゲーム通りにジャックを自分の従者にして、前世から温めていた愛の言葉を毎日毎日彼にささやいて、いつでもどこでもジャックと一緒に行動して、魔法学院に入学し、ゲーム本編が開始されてからもジャック一筋で攻略を進めて……
と、ジャックとの出会いから約9年かけてようやく彼のハッピーエンドルートにこぎつけたのだ。
それなのに……
「なんで監禁してくれないの!?」
なぜか、ハッピーエンドの見せ場 “監禁” をしてくれません。
「私はジャックに監禁されたいのにぃ!!」
私の唯一の願いが達成されないことが悲しくて悲しくて、両目から零れ落ちた涙を指で拭う。
ゲーム内で、ジャックは複雑な生い立ちの自分を拾って従者にしてくれたヒロインに感謝し、恋心を抱くとともに「彼女にも捨てられるのではないか」という不安を常に抱えていた。
ジャック以外の攻略キャラのルートに入った場合、彼は主人の恋を応援すべくかなわぬ恋をあきらめて忠誠心をより強固なものにしていくのだが、ジャックルートではセシリアへの愛情がゆがみまくって、不安が嫉妬や執着、猜疑心といった黒い感情に変わっていき、それはもう乙女ゲーム史に残るような素晴らしいヤンデレムーブを見せてくれる。
つまり、ジャックは疑いようのないヤンデレだ。それも、バッドエンドではセシリアのことを殺してしまうのはもちろん、セシリアと恋人になったハッピーエンドですら彼女を独り占めにするために部屋に監禁して、自分以外の記憶を思い出さないように洗脳するくらいのヤンデレだ。
ヤンデレに抵抗がなく、むしろ大好物とまで言ってもいい私にとって監禁・洗脳エンドは最高のご褒美だったのに、なんということでしょう! 監禁はおろか、本来ジャックルートであるはずのヤンデレムーブのひとつもみせないではありませんか。
「こんなの詐欺だぁ!! うそつき! ペテン師!」
「はいはい。姫様、失礼しますよ」
叫び散らかしている私のことなどお構いなしといったようにジャックはしゃがんで、私の膝の上から滑り落ちてしまった本を拾った。
その動きに合わせて香る梅の香水だってゲームの中で表現されていた通りなのに、どうしてヤンデレてくれないの……!?
「ねぇ、なんで? なんでよ! なんで監禁してくれないの!? こーたーえーてー!!」
ジャックの肩をつかんで揺さぶってみるけれど、彼は
「なんででしょうねぇ……?」
と、私と目を合わす気もないみたいだ。
ゲーム内のジャックはもっと従順で可愛かったのに、なんだこれは。
これじゃ恋人どころか、思春期の中学生とその母親みたいな関係になってしまっているじゃあないか……!
「そんなことよりも、姫様。あなた、また朝っぱらからこんな低俗な小説を読んでいるんですか? このようなものは姫様にとって毒にしかならないと言っているでしょう」
ジャックはそう言って、私が先ほどまで読んでいた本——『恋人たちの囀り』の表紙を心底嫌そうに見つめた。
この本は遠距離恋愛中の恋人たちの日常を描いた小説作品で、いちゃいちゃするシーンもほとんど見当たらない健全すぎる本だ。これを “毒” というのならば、前世にプレイした乙女ゲームすべてが “猛毒” に値するだろう。
数々の乙女ゲームをプレイしてきた私にとっては刺激が少なすぎる本だけれど、今の私にとって唯一の趣味を奪われては困る。
「恋愛小説はちゃんとした文学よ? 毒なんかじゃないもん!」
「いいえ。恋愛小説など所詮、愛という名の皮をかぶった残酷で悪意に満ちた毒物そのもの。なぜ、これを面白いと思えるのか……」
「あぁ、そうね。恋人にキスの一つもできない意気地なしには、ちょーっと “難しすぎる” お話かもしれないわね!」
お付き合いをはじめて早5か月。
監禁はおろか、一向に手を出してくれる気配のない恋人をにらみつけるけれど、彼も負けじと応戦してくる。
「こんなものを読んでいるから、監禁などという品のないものに憧れるのです。いいかげん自分の身分と品格を自覚されてはいかがですか?」
「今の私は皇女じゃなくて一介の魔法学院生だもん。それに、この場所は身分制度なんて関係ないから、何をしたっていいんですぅ!」
「ああ言えばこう言う。あなたは出会った時からずっと子供のままですね」
「んなっ! 『爵位も何もいらないこの場所では、私は何者にだってなれる。あなたにふさわしい人間にだってなれるのです』って言って私に告白してきたのはどこの誰だったかしら!?」
私がそう言うと、ジャックは口を閉ざして静かになる。
それもそのはずだ。だってこの言葉は彼の告白台詞だからだ。そして私が本格的にジャックに恋をし、推すきっかけとなった大切な台詞でもあるのだ。
私がすこし得意げになっていると
「そんな安っぽい言葉を引用してくるなんて…… まったく。どうして私は、こんな面倒くさい人を好きになってしまったんですかね」
ジャックの体内から深いため息とともに吐き出された言葉。
その言葉がぐさりと私の胸を抉り、本当に血が流れ出しているんじゃないかっていうくらいはっきりと胸に痛みを感じた。
そうして目の前にいるはずのジャックの顔がぼやけて、彼がどんな表情をしているのか分からなくなった時。私の口がひとりでに開く。
「ジャックなんて、だいっきらい!」
その音を残して私は部屋を飛び出した。