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戦え

 毎晩、扇丸は美桜の部屋へやってくる。

 だからといって何も淫らがましいことはないのだが、美桜は夜が待ち遠しいと思うようになった。


 扇丸は次の日の朝が辛くならないように、話の途中でも美桜をベッドへと追いやって寝かしつける。

 最近は布団に入るとすぐに寝てしまうため分からないが、どうやら朝になって美桜が目を覚ますまでずっとそばにいてくれるらしい。


 ときどきは美桜と一緒に横になり寝る事もあるが、ほとんどは明かりを消した部屋の中で美桜を守って起きてくれている。


 扇丸がそばにいるようになってから、美桜は悪夢を見なくなった。


 ハーブティーやらフルーツティーやら緑茶やらをいろいろ買い込ませ、話をしている間に必ず飲むように言われているが、そのせいか不思議と体調が良くなり、気持ちも安定するようになった気がする。


 時にはティーパックではなく茶葉からしっかり淹れろと言われたりもするため、美桜はお茶の淹れ方に詳しくなった。もちろん全て美桜のお小遣いで購入しているため、おサイフの中は常にピンチだ。


 けれど体が楽になったことで気持ちも明るくなり、そんな事は全て些細な事のように感じられた。


 心のどこかに常に幸福感がある。

 これまで常に張りついていたのは死を求める気持ちだった。

 泣き出したくて仕方ない自分をたしなめ、気力を振り絞って体を動かしていた。油断すると「死にたい」と口をついて言葉が漏れる。だから口を開かず、無口になった。


 でも今は、静かな幸せが、穏やかに心に寄り添っているのがわかる。


 そしてその真ん中には扇丸がいた。


 時折、あの体の怠さが戻ってくる事があったが、美桜は慌てる事も不安になることもなく扇丸に質問する。

 その底には失敗も恐怖もないという信頼があったが、返ってきた「成長痛のようなものだ」という答えの意味には軽くショックを受けた。


 成長痛と言われても最初は意味不明だったが、どうやら肉体だけでなく霊体などが成長したりするときにも痛みや苦しさがあるのだという。

 しかもそれがこれから何度もあると知ったときには、扇丸との契約をすると決めた自分の決断が意味のないことだったのでは、と一瞬泣きそうになった。


 それでも同じ生きていかなければならないのなら、戦う力もなく嬲られ踏みつけにされるだけの人生よりも、苦しんででも戦えるほうがいい。

 そう思い、美桜は動かない体と弱って震える心を抱きしめる。


 扇丸はいつもそんな美桜のそばに黙ってついていてくれた。


 苦しい、苦しいと叫ぶ美桜の魂を包み込む扇丸の力。その力を感じ取れるようになった事を支えに、美桜は今日も眠りにつく。


 夜は人を癒す優しいものだったのだと、そう思いながら。








 そんな日々は美桜の見た目にも影響を与えていた。


 落ち着きのある性格と物静かな容姿は、平凡で地味かもしれないが、若さ特有の瑞々しい美しさで周囲に輝きを放つようになる。


 いきおい、友人になりたいと近寄ってくる者もいれば、異性として好意を抱いて近づいてくる者もいた。


 美桜はその全てとやんわりと距離を置く。


 いずれいなくなるのだからと心の壁を築いた。


 扇丸には友人ぐらい作るようにと言われはしたが、美桜には興味がなかった。あの暗い闇の中から救ってくれたのは扇丸だ。美桜は他の誰といるより扇丸と過ごす時間を大事にしたかった。


 扇丸が何者なのか美桜は知らない。

 けれど、彼は美桜にとって間違いなく神のような存在であった。










 そろそろだな、と言われて美桜は扇丸を見上げた。


「もうそろそろ戦えるようになったはずだ」


「そう、なのかな。自分では分からないけど」


「明日の夜は1人で寝てみろ」


 嫌だ、と反射的に言いそうになって美桜はうつむく。


「大丈夫だ。俺が信じられないのか?」


 黙ったまま首を振ると、扇丸はにっ、と笑った。それはいつもの自信たっぷりの様子だったので、美桜もなんとはなしに安心する。


「でも、何をすればいいの」


「何もしなくていい」


 扇丸の言うことは相変わらず意味がわからない。けれど後になって、ああなるほどと思う事が多い。

 こういう事だったのか、と思いはするのだが、それを言葉で説明しろと言われると難しいのだ。ましてや、それを科学的・物理的に説明するのは不可能だ。


 でもそれは美桜だからできないのであって、扇丸には可能なのだろうという気がする。できないのではなくしないのだ、きっと。そして多分、本音は面倒くさい。


 この傲慢で気難しい、身勝手な神を自分が好きでたまらない事を美桜は気づいていた。

 愛というものかどうかはよくわからない。

 けれど、彼の美桜に対する行為は愛が根源にあるのでは、愛とはもしかしたらこういうものでは、という気はしていた。







 夜。


 それはもうかつてのように憎むべき敵ではない。


 ベッドに横になると眠りはすぐにやってくる。

 眠りというものは優しく心地よい友であった。


 美桜はどこかの観光地にいた。

 楽しいとか嬉しいとか綺麗とか、そんなものは少しも感じない、ただ観光地というだけの場所。

 そこで集まって何かのレクチャーを受けている。

 仕事で来る観光地ほど魅力が半減するものもない。なぜかそんな事を思いながら集団の後ろについていた。


 そのとき、子どもの泣き声が聞こえた。


 地下へ行く階段の手前で女の子が泣いている。それはとても可愛らしい子どもで、美桜は『助けなければ』という使命感に襲われた。


「どうしたの」


「ママがケガしたの。お姉ちゃん助けて」


 思ったのは『嫌だなあ』という事だった。使命感は行かなければと訴えてくるのに、それとは別にこの子が信じられない、という思いも湧き上がってくる。

 そんな自分を嫌な人間だと思った。


「お願い、お姉ちゃん、来て、急いで!」


 子どもは美桜の手をつかみ、地下へと引っ張って行く。


「ちょ、ちょっと待って」


 行きたくない、この子の言っている事がもし嘘だったら、そう思いながらも振りほどけずに階段を一緒に降りていく。

 その最後の段で、子どもが急につまづいて倒れた。気味の悪い悲鳴が上がる。美桜は子どもを助け起こすでもなく手が離れたことにホッとしていた。


 子どもが振り向く。


 それは先ほどの可愛らしい幼女ではなかった。


 耳は尖って伸び、髪はざんばらに短く、目は吊り上がって憎々しげに美桜を睨んでいる。


「ちくしょう! お前なにをした!」


「知らないわよ!」


 子どもは美桜に飛びついて捕まえようと身構える。美桜は階段の上から相手を蹴り飛ばしてでも身を守ろうと覚悟を決める。


 次の瞬間、美桜はぱちりと目を覚ました。


 カーテンの隙間からわずかに明るい外の光が差し込んでいる。夜明けだ。

 美桜はベッドから降りるとカーテンと窓を開け、早朝の気持ちの良い空気を胸いっぱいに吸い込んだ。








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