珍道中
ユキ、村尾、水沢の三人の出会いは約二前、妖滅官養成学校入学後すぐに行われた、「日本妖物史」という講義である。
妖物が起こした日本の代表的な事件を班ごとに割り振って調べさせ、発表させるというありがちな講義内容で、要するに教官が楽できるシステムである。
学籍番号順である五十音順に班分けは行われ、水沢啓二・村尾徹・森田幸の三人は同じ班となった。
最初に村尾が名乗り、
「俺二浪してるから多分二人より二つ上だな」
と言うと、次にユキが
「森田と言います。じゃあ私同い年だよ。仲間がいて良かった」
とにっこりした。
「なら子年?」と村尾。
「あ、でも早生まれだから丑年」
「森田ちゃん彼氏いんの?」
干支の話題から飛ぶ。村尾はいきなりユキを名字にちゃん付けで呼んだ。
ユキは男性に交際相手の有無を聞かれることが良くあったが、何故そんなにも人のプライベートに興味があるのだろうと常々不思議に思っていた。
「いないよ」ユキは即答する。
「じゃあ俺と付き合おうぜ」
村尾は非常に軽いノリで提案した。ちょっとそこの醤油を取ってくれませんか、と頼むくらいのノリであった。
あまりに軽すぎたのでユキは一瞬冗談かと思いつつ、
「ごめんね、私誰とも付き合う気ないから」
と丁寧に言って軽く頭を下げた。
「ふーんそりゃ残念」
村尾はこれまた軽い調子で言い、実は彼氏いるんじゃないのと内心で思った。
するとこれまで黙っていた水沢が口を挟んだ。
「今後誰かと交際する気になる確率は何パーセントくらいですか?」
そして思い出したように付け加える。
「俺、水沢啓二です」
「確率? よくわからないけど一パーセントくらいかも。水沢君、敬語じゃなくていいよ。同級生だし」
ユキはこの話はこれで終わりましょうというように答えたが、水沢は引き下がらない。
「年上は敬えと教わりましたから」
水沢はユキの目をまっすぐに見つめた。
「ある統計では人が一生のうちに落雷に会う確率は一千万分の一だそうです。だとすると森田さんが心変わりする確率はその十万倍です。こう考えると高確率ですね。俺は待ちますよ。あなたは俺が今まで会った中で一番魅力的です」
そう真顔で言ったので、村尾の水沢に対する第一印象は最悪だった。
ユキの言葉が真実であったとして、心変わりがあって誰かを好きになるのではなく、いい人が現れたら交際する気になるのだから、そもそも順序が逆である。大体、何故雷の話が出て来るのだろう。
こいつやべぇ、同じ班にならなければまず会話をすることもなかっただろうと村尾は思った。
実はこれは恋に落ちる際の衝撃を落雷に例えるという水沢なりの冗談だったが、全く上手い例えでは無いし、もちろん誰にも伝わらなかった。
ユキは動じず、
「冗談はよしこちゃん!」
と笑ったのを、村尾はあしらい慣れてんな、しかし古い、と心の中で突っ込んだ。
「おいそこ、私語はつつしめ」
横を通った教官に注意され、三人は割り振られた事件について、どう調べていくかをやっと話し始めた。
「調べ作業ダリィな。テキトーにネットで調べて発表でいんじゃね?」
チャラ男の村尾がチャラ男らしく提案する。
「一人当たりパワポ三枚くらいで充分だろ」
しかし水沢は即座に異を唱えた。
「いえ、現地に行くべきです」
「はぁ? わざわざ神奈川まで?」
事件現場は神奈川県北部。東京からは日帰りで充分行ける距離にしても、村尾にとって、課題のためだけの不必要な遠出は面倒以外の何ものでもない。
「森田さんはどう思いますか」
水沢がユキに判断を委ねると、ユキは困ったように、
「少しなら大丈夫だけど」
と答えた。
「じゃあ俺たちだけで行きましょうか。次の土曜はどうですか」
水沢が勝手に決定しかけたので村尾は何だか悔しくなり、「俺も行く」と言ってしまった。
割り振られた事件の内容はこうだ。
約五年前の六月某日午後三時頃、神奈川県某市のパチンコ店「よーでるランド」にて、突如パチンコ台の一つが妖物化した。
妖物は多数のパチンコ玉を四方八方に高速で発射し始めたため、混み合う前で客はそれ程多くはなかったが店内は混乱に陥る。
死者こそ出さなかったが、被害者は玉が右眼に直撃し失明した者が一名、後頭部に多数の玉を浴び一時は意識不明に陥った者が一名という、重傷者を出したショッキングな事件である。
そのパチンコ店はその後客足が遠のき閉店となったものの、店舗は取り壊されず、今でもそのまま残っているらしい。
*
土曜日になった。
待ち合わせ場所である、事件現場の最寄駅に一番に着いたのは水沢だった。
「おう、早いな」
次に来た村尾が声をかけた。
「おはようございます」
水沢は挨拶したきり立ったまま詰碁の本を読んでいるだけなので、村尾は手持ち無沙汰になった。
「お待たせ!」
時間ぴったりにやって来たユキを見て、村尾は目を剥いた。
あちこちが奇妙に出っ張った大きなリュックを背負っており、手には細長い袋を持っているからだ。色褪せたTシャツにジーンズ、学校で会った時のように化粧気は無い。
「その中何が入ってんの。あとその棒みたいなの何」
村尾が呆れて聞くと、ユキはリュックを開いてみせた。
ドライバーにペンチ、ライターに懐中電灯、ウェットティッシュ、コンパス、ロープ、絆創膏に包帯、万能ナイフに万能ネギ、椎茸の缶詰、少しのリグレットと罪……、その他風呂敷に包まれた何か。
そして長い袋の中は木刀だった。村尾は思わず後ずさった。
「森田ちゃん無人島にでも行く気? それに木刀何に使うの」
何から尋ねようかと迷ったが、とりあえずそれだけ聞いた。
「私、中学と高校で剣道部だったから」
ユキの答えは答えになっていない。
「正当な理由がなく木刀を持ち歩いた場合、警察に会った時厄介です。部活の帰りと言ってくださいね」
水沢は大したリアクションもなくそう言って歩き出す。二人の男はユキにリュックを持とうかと提案したが、ユキは断った。
村尾のユキに対する可愛い女の子という第一印象がガラガラと崩壊し、不可解な女の子だという認識に変わった。もはや何も言えずに水沢の後について目的地に向かう。
ユキも水沢もあまり喋らないタイプなのか沈黙が続いた。
時折ユキは街路樹として植えてあるツツジの花の蜜を吸ったり、飛んでいる蝶を素手で捕まえ「キャッチアンドリリース」と言って放したり、幅三メートルはある水溜りをリュックを背負ったまま飛び越え着地と同時に「森田選手出ましたウルトラC!」と叫んだりしている。
ユキの何らかのアクションの度に水沢がいちいち「森田さん素敵です」と言う。村尾の脳内で「珍道中」と言う単語が炸裂した。
「二人とも、何で妖滅官になろうと思ったんだ?」
村尾が話を振ると、
「刀を思いっきり振り回したかったからだよ」
ユキは物騒なことを言う。
「……それまさか面接で言ったりしてないよな」
「え、ダメかな? そう言えば面接の時も変な顔された気がする」
「森田ちゃん良く受かったな……」
村尾はまたも呆れている。
「村尾君は?」
「俺は高校の時射撃部で、銃が使える仕事に就きたかったんだよな。頭悪いから二浪したけど」
「じゃあ私と同じ動機だね」
ユキが微笑むので、村尾は自分は危険思想は持っていないがと思いながらも同意し、ついでに「水沢は?」と聞いてやった。
「俺は何となくですね。公務員ですし」
村尾は特に興味もなかったのでただ
「ふーん」
と答えただけだった。
「森田ちゃん一人暮らし? 俺は築三十二年のボロアパート。隣の爺さんの趣味が詩吟らしくてさ、朝イチで荒城の月が聞こえてうるせぇけど、諦めて目覚まし代わりにしてる」
「ふうん、風情があっていいね。私は寮生」
ユキがそう言った時、
「奇遇ですね、俺も寮ですよ」
水沢が割り込んできた。無表情だが、声にどことなく嬉しさを含ませている。
あまりにわかりやすい反応なので、村尾はつい笑ってしまった。
ユキは寮に入る前は、狭いアパートの部屋で毎晩木刀を振り回していたそうだ。完全に危険人物である。
「敷金の件はもういいの……」
そうユキは遠い目で呟いた。どうやら一年しか住んでいないのに敷金が全く返ってこなかったらしい。
村尾は大家に心底同情した。
他にも実技試験でユキは剣道、村尾は射撃、水沢は立位体前屈を選択したことや、ユキが定時制高校を出た後で一年間働きながら勉強していたので、二年遅れで入学したことなどを話した。
水沢は脳内のメモ帳にユキの入学動機や剣道部だったことなど、彼女に関する情報を書き込む。
実際はユキを質問攻めにしたかったのだが、水沢にも一応節度がある。情報はゆっくり焦らず集めていこうと考えていた。
紳士的な態度でクールに臨もう、という作戦である。ちなみに村尾に関しては眼中になかった。