水沢のファッションチェック〜喪失のマユミ
作戦会議後の休憩時間。
ユキが女性ファッション雑誌をデスクに広げている。
「珍しいですね。面白い記事でもありましたか?」
目ざとく水沢が見つけ声をかけた。
「研究用だよ。考えたら私、ちゃんとしたスカートって喪服とスーツのしか持ってないんだよね。今回の私の役割ってナンパ待ちでしょ? いつもの服じゃちょっとね」
ユキの私服は大体色褪せたジーンズにTシャツだ。
水沢は鼻息荒く、
「とてもいい心がけです。この際ひらひらでふわふわのワンピースを購入しましょう! 俺にも手伝わせて下さい、是非、是非!」
と、仕事帰りに服屋へ行く約束を取り付けてしまった。
「面白そうだな。俺も行く」
いつの間にか後ろに立っていた村尾がニヤリとして言い、水沢は少し残念そうだ。
「じゃあ三人で行こうよ。私、流行りとか疎いから意見聞かせてよ」
ユキは楽しそうに言った。
仕事が終わり、三人は職場近くのプチプラファッションショップ「むらまつや」へ向かう。
「服屋に来たの五年ぶり!」
ユキははしゃいでいる。
客はほとんどが女性だ。村尾は所在無さげに、関係のない靴のコーナーを見たりしている。ユキは真剣に服を手にとり体に当てて吟味している。水沢は一通り売り場を見て回り、何着かの服を選択している。
十分ほど経ち、ユキが村尾のそばにやって来た。腕に二着ほど服を掛けている。
「これいいなと思って。どうかな?」
一着目を体に当てる。
村尾は目を見はった。ショッキングピンクの派手なちょうちん袖のワンピースで、胸元に目を血走らせたムササビがプリントしてある。ムササビの下に「RABIT」の文字。
特筆すべきはフリルが四方八方前後左右古今東西ありとあらゆる角度にデザインされていることである。凄まじいまでのフリルへの執念。この服のデザイナーはフリルに親でも殺されたのだろうか。
「このムササビさん可愛くてナウいよね。」
「これは……無いな」
「そう? あ、確かにこれスペルミスだね。rabbitはbを重ねるから。教育に悪いから却下」
問題はそこではないし、村尾の心中にはユキの中における「可愛い」の定義についての疑問が生じたが、それを無理やり押さえつけ「もうひとつは?」と尋ねた。
ユキはもう一方の服を体に当てる。辛子色と青紫と真紅の縞模様で、裾やら襟ぐりやらに大小のボタンがめったやたらと縫い付けられたワンピースだった。やはり胸には舌を出した黄緑色のカエルと共に「環太平洋造山帯!」というロゴがでかでかとプリントしてある。
「だんだら模様が鮮やかでバッチグー。カエルさんがアクセントになってるし」
彼女はいちいち死語を使わないと死ぬ体質なのだろうかと思いつつ、村尾はこめかみに手をやった。眩暈がする。
「アクセントじゃなくて完全に調和を乱してるだろ。いや、カエル以前の問題だ。あぁ目がチカチカする……」
と、このような悪趣味の権化のような服が流通しているという事実、及び広い店内からそれを選択する人物がいるという事実に驚愕し、世界は広いと実感した。
「水沢に期待しよう」
そこに丁度水沢もやって来て、「これ全部来てみて下さい」と数着の服をユキに差し出した。
「ありがとう」
ユキは試着室に向かう。カーテンを閉める直前、村尾が一着だけ服を渡した。移動中に選んだらしい。
「これ今流行ってんだって。最初に来てみて」
「わかった」
しばらくして控えめにカーテンが開いた。ユキが着ているのは筒状のシンプルな服だが、胸元と太ももが露わになっている大胆なものだった。ユキは恥ずかしそうである。
「ねぇ村尾君これ本当に流行ってんの? こんなんで外歩いたら通報されるんじゃない?」
村尾と水沢は両者とも一点を見つめ黙っている。それをいまいちだと解釈したのか
「やっぱ微妙だよね。悪いけどこれは却下」
とカーテンを閉じた。
「思ったよか大きいな」
「村尾さん初めてのグッジョブです」
ユキが次に着たのは水沢の選んだ淡いラベンダー色のワンピースだった。ミモレ丈でふわりとしたAラインであり、腰の部分は小さなリボンでキュッと結ばれ、さりげなく小花模様が裾に散っている。
「とても良く似合っています。素敵です」
「紫ってあんまり着たことないけど、これは好きかも。水沢君センスあるんだね、候補として上げとくね」
次に着たのはグレーでリネン生地の、前をボタンで閉じるタイプの物で、浅めのVネックが上品である。
「首元をアクセサリーで飾るとなお良いでしょう。森田さんはそのままでも十分綺麗ですから、化粧はいつも通りファンデーションを軽くはたくだけで良いでしょう」
村尾はもはや、ユキの化粧法がファンデーションを軽くはたくだけであるのを水沢が知っていることに驚かない。
「これもいいね。水沢君コーディネート得意なの?」
ユキは気に入ったようだ。
水沢は語り出した。
「まず森田さんのパーソナルカラーですが、ブルベ肌のサマータイプです。このタイプは淡い色合いが似合うのでラベンダー色や薄水色、ベージュなんかが合うんです。加えて小柄ですのでミモレ丈でメリハリのあるコーデ、模様は小さいものがおすすめです」
「日本語話せ」
村尾は水沢とは決して短い付き合いではないが、ファッション用語を滔々と並べ立てる彼に、今回は改めて引いている。
「実は今日の見回り中にいろいろ調べておきました」
「道理でお前ずっとスマホ見てたのか。職務怠慢だぞ」
こういった調子で試着を続け、結局最初の二着を購入することとなった。
「せっかくですから小物や靴も選んでおきましょう」
もう誰も水沢を止められない。
ユキは自分で選ぶのも面倒になり、
「確かに靴とかも揃えた方がいいかもね。水沢君よろしく」
と丸投げした。
*
翌日。
仕事に取り掛かる前、水沢はちょうど空いていた会議室にユキと村尾を呼んだ。
「今回は森田さんが囮ということで、台本書いてきました」
そう言うと紙の束を机の上に置いた。
表紙には几帳面そうな字で『喪失~既婚者にもて遊ばれたOLマユミ~』とある。
村尾は嫌な予感しかしない。読むよう促され、ユキが手に取る。村尾も横から覗き込んだ。
『登場人物:
・マユミ(OL、25歳)
・田中(取引先の男、33歳実は既婚者)
・サチエ(田中の妻、30歳)
・及川(マユミの上司、45歳)
あらすじ:
物流の会社で事務の仕事をしているマユミは、職場に出入りする取引先の会社員である田中に交際を迫られ体の関係を持った。しかし実は田中には妻子があったのである』
村尾が「なんだこりゃ」と当然の疑問をさしはさんだ。
「タイトルがダサい。それ以上にサブタイトルがダサい」
水沢は無視して、
「森田さんにはこのマユミになりきってもらいます」
「偽名はいいとして、普通に会話するだけじゃだめ?」
「森田さんが妖滅官で囮だとバレたら危険です。話を振られたら、傷心のOLとして振舞って下さい」
「なるほどね」とユキ。
そして「私はマユミ、私はマユミ」と呟いている。
「森田ちゃんは真面目だな」
村尾はやれやれと言った風だ。
二人は本文を読み始めた。
要約すると、マユミは既婚者と知らずに田中と付き合う。が、ある日自宅の郵便受けに『この泥棒猫』というメモと共に彼の誕生日に送ったネクタイがズタズタに切り裂かれ入っていたことから彼が既婚者と知る。
田中は完全に遊びのつもりだった。妻の第二子出産のための里帰り中に好き放題やっていたのだ。ただでさえ赤ん坊への頻回授乳、イヤイヤ期の上の子の世話、度重なる姑の襲撃で産後うつ寸前だった妻は怒り心頭に発し、マユミの会社にも匿名で苦情の手紙を出す。
あらぬ噂を立てられ居場所をなくしたマユミはとうとう退職に追い込まれ全てを失くす。
そして彼女は自暴自棄となり、人恋しさから駅前のナンパスポットに座りつづけるのだ、という昼ドラ顔負けのストーリーであった。
原稿用紙三十枚を越える力作である。
「すんげぇドッロドロだな。お前どんな顔でこれ書いたの」
村尾はまたもや引いている。
「でも、リアルでしょう。さぁ森田さん、練習しましょうか」
水沢はあくまで真剣である。
「何の練習?」
「俺が妖物の役をします。まずは悲しげにベンチに座っているところから。いきますよ。『おねぇちゃん浮かない顔で彼と喧嘩でもしたの? そんなことより俺と飲みに行こうよ』」
村尾とユキは吹き出した。
「不自然だろ。俺がやる。『あのすみません、この辺にカフェとかないですか?』」
「なんでカフェのことをを聞くんですか」
「直接誘ったら警戒するからだろ。徐々に攻略するんだよ」
村尾と水沢がナンパの仕方を競い出したので、
「なんかズレてきてるよ」
とユキはケタケタ笑い出した。
「私、本番で笑ってしまうかも」