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野生のチューリップ〜ストーカーの暴論〜

 水沢は家に帰ることが出来なかった。


 アパートの狭い部屋にいると、否応無しにネガテイブな考えに支配されそうだった。


 彼はひとり夜の街をぐるぐると徘徊した。


 俺に何が出来る? 俺に出来ること……。


 彼は閃き、神社に走った。


 そうだ、お百度だ! 神仏に彼女の無事を祈願するのだ!!


 その日、水沢がユキと会った日には書くことを欠かしたことのない「森田さんノート」に、始めて未記入のページができた。


 それどころではなかった。


 もう十九冊目となったそのノートの表紙には、いつからか「森田さんノート~野生のチューリップ~」と、サブタイトルが付けられていた。

 葉が極端にギザギザと鋸歯状(きょしじょう)となった、赤いチューリップらしき稚拙なイラストも添えられている。


 水沢はお百度を踏みながらユキのことを考える。彼は裸足である。


 以前読んだ囲碁雑誌のコラムに、野生のチューリップのことが書いてあった。


 園芸種のチューリップの元となったそれは中央アジアからアフリカ大陸にかけて自生し、乾燥地帯という過酷な環境の中、十年以上かけ花を咲かせるという。


 水沢は遠い異国に咲くその花をもちろん見たことがないが、大自然の中でたくましく咲く健気で可憐な花は、どこかユキを思わせた。


 水沢はユキが見せた悲しげな微笑みを思い出す。


 俺が間違っていた、彼女は望んで、敢えて、孤独を選び誰の助けも借りず突き進んでいるのだと思っていた、望んで、敢えて、過酷な土地で生きているのだと。


 だから俺は見守ろうと決めた、彼女が長い年月をかけて彼女自身の理想とする可憐な花を咲かせるのを!


 しかし俺は森田さんマスターだ、彼女が無理していたのはわかる、俺は野生のチューリップを、無理矢理にでも引っこ抜いて、園芸品種と同じように、温暖で水も豊富な土地に持ち帰って、蝶よ花よと大切に育ててやるべきだったのだ!


 ……そうしたら乾燥地帯にいるよりももっと早く、美しい大輪の花を咲かせたかもしれない。


 森田さんがもし帰らなかったら……いや、そんな終わり方は嘘だ! 彼女のいない世界は世界ではない!!


 ……森田さんが帰ったら、絶対に毎日笑って過ごせるように環境を整えよう、俺は確信した、彼女は完全に家庭に入るか、働くとしてもせいぜい週三日程度、扶養内でゆったりと勤務するのが合っているのだ!!!


 彼の導き出した結論ははっきり言って暴論であったし、園芸が趣味の村尾に「な訳ねぇ」と一蹴されそうな例えであったが、前にも書いたように水沢は思い込んだら突っ走る傾向にある。




 一方村尾は村尾で眠れぬ夜を、寒いのもお構いなしにベランダで過ごしていた。


 ユキが心配なのは大前提として、それに勝るとも劣らないくらい心配なのは水沢のことであった。


 村尾は考える。


 もし、万一にでも、ユキが帰らなかったら水沢は発狂するかもしれない。

 白昼の路上でパンツ一丁になって安来節を踊りだしたとしてもおかしくない。


 最近の水沢はユキに構ってもらえず、なかなか散歩に連れて行って貰えない室内犬みたいだった。


 夜な夜なパチン、パチンと剪定バサミで松の伸びすぎた葉を整える。

 為五郎(ためごろう)と名付けたそれは、彼が最近になってハマり出した盆栽の第一号である。最近は多忙でなかなか手入れが出来ずにいた。


 森田ちゃん、どうか無事でいてくれ、そして帰ってきて、いい加減お前らくっつけ!


 ……森田ちゃん、適齢期過ぎて後悔しても知らねぇぞ、水沢は変態的だが熱い男だ、そしてあんなエンディングノートなんて、ビリビリに破って捨てちまえ!!!


 …………なぁ為五郎、お前もそう思うよな。


 村尾は結局夜明けまで眠れず、為五郎は過度の剪定を受け、寒々しい姿に成り果てた。




 *




 バラバラになったヘリの破片にユキがしがみついて浮いているのを、救助に向かった海上保安庁のヘリが発見したのは翌朝のことだった。

 妖物の姿は確認出来なかった。


 村尾も水沢も非番だったが、早朝から署に顔を出し連絡を待っていた。


 ユキは重傷だった。


 右脚は爆発をもろに受け重度の熱傷を負い、また、体のあちこちを打撲していた。さらに一晩中冷水に浸かっていたため体温の低下が甚だしく、いつ心肺が停止してもおかしくない状態であった。

 緊急手術後にICUに入室しており、現在は面会出来ない。


 二人はユキが見つかったという報せにとりあえず安堵し、彼女の生命力を信じ回復を待つことにした。



 その翌日、村尾が喫煙所で煙草をふかしていると、篠崎課長がやってきた。

「ちょっと隣いいか?」

「はい」

 課長は村尾と並んで座る。

 課長は煙草を吸わない。きっとユキのことだ、と村尾は直感する。


 しばらくの沈黙ののち、課長は言いづらそうに切り出した。

「村尾、お前だから話すんだが……。俺は昨日、病院に行ってきただろ」

 課長は救出されたユキと共に病院に向かい、手術後に主治医から状態を聞き、身寄りのない彼女のため身元保証人となって書類を書いて来たのだった。


「はい」

 村尾が相槌を打つ。

「そこで聞いたんだが、あいつ、『死なせて』ってうわ言で言ってたらしい」

「……」

 村尾は言うべき言葉を探すが見つからず、黙って煙を吐き出した。


 実はユキはその他にも「労災……認定おりて……」とも呟いていたそうだが、課長はこれを彼女の名誉のために墓場まで持っていこうと決めた。


 村尾はまたユキのエンディングノートを思い出す。


 課長が沈んだ声で続ける。

「森田、時々無鉄砲に敵に向かって行くことがあったろ、しかも楽しそうに。俺はあいつが死に急いでるような気がして心配してたんだ。……彼女、手術で右足を切断したそうだ」

「!」

 初耳だった。

 煙草が村尾の手から落下した。


「酷い火傷でそうするしかなかったらしい。意識が戻ったら、お前ら仲良いから力になってやってくれ。……水沢にも後で言っとくよ」

「俺が言います」

 煙草を拾いながら、水沢の習性に詳しい村尾は自分が言うべきだと思いそう答え、どう言おうかと考えた。


 課に戻った村尾は必要最小限の言葉で水沢にそれを伝えたが、彼は意外にもあっさりと「そうですか」と言っただけであった。


 その後ユキの意識が戻り、一般病棟に移され、面会の許可がやっと下りたのは救助から一週間が経ってからだった。


 水沢はホッとして、お百度詣りをした神社にお礼参りに行った。

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