第7幕
「やあ、こんばんは、麗しの我が姫」
その日の宵の口。
郊外の打ち捨てられたあばら家で、レラとメイガスは逢瀬を交わす。
「会いたかったよ」
抱擁をしようと近付いてきたメイガスを、レラはするりと躱した。
「冷たいなあ。まるで夜霧のようだ」
「ちょっと黙ってて。あと、姫はやめて」
レラはパンの入った籠をテーブルの上に置いた。
「おっ、美味そう」
メイガスが手を伸ばす。その手を、レラがぴしゃりと叩く。
「これは明日の朝食よ。母様たちのね」
「じゃあ、そっちのワインは?」
もうひとつの籠に入っていた水差しを、メイガスは期待を込めた目で見つめた。
「なんで中身がワインだって判るの?」
「おいらの鼻を舐めてもらっちゃあ困るなあ」
得意げに、その自慢の鼻とやらを鳴らすメイガス。
「鼻が利くのは悪いことじゃないけど、生憎これはあなたの分じゃないの。せいぜい匂いだけ楽しむのね」
「……レラって、日に日にリヨネッタさんに似てくるよね」
「…………」
それには答えず、レラは小屋の隅で小さくなっていた男の前に、水差しと酒盃を置いた。
「い、いいのか?」
男は、びくびくしながらも水差しに手を伸ばした。
「さすがに、あなたの雇い主が飲んでたような高級品じゃないけど」
「へへっ、ありがてえ」
男は酒盃にワインを注ぐと、喉を鳴らして一気に飲み干した。それをメイガスが羨ましそうに見ているが、レラは気付かないふりをした。
男の正体は、昨夜、貿易商の馬車を運転していた御者である。
リヨネッタの指示を受けたレラは、あの後スラムに潜んでいた彼を難なく捕縛した。
だが本来なら即座に始末するべきところを、メイガスに頼んでここに匿ってもらっていたのだ。命を奪わない替わりに、知っていることを話すという条件で。
初めてリヨネッタの命令に背いてしまった。いつ見破られるかと、今朝は本当に生きた心地がしなかった。
踏み込んではいけない領域に、踏み込もうとしているのだから。
「ウチの旦那は、筋金入りのどケチ野郎でなあ。安い給金でこき使うくせに、美味い飯も酒も女も、全部独り占めしてやがったぜ」
「ケチ臭そうな顔してたもんねえ」
御者とメイガスが、レラの気苦労も知らずにヘラヘラと笑う。軽い殺意を覚えた。
「それより、質問に答えて」
当日の状況を問い質す。
リヨネッタの魔術にかかっていたということは、どこかで彼女と接触しているはずだ。そのときの彼女の様子などを知りたかった。
だが話を聞く限り、その辺りの記憶はすっぽり抜け落ちているようだった。気付いたときには、襲撃のど真ん中にいたらしい。
有益な情報は得られそうにない。そう判断したレラは人知れず息を吐いた。残念な反面、安堵もあった。
後のことはメイガスに任せて、さっさと帰ってしまおう。
「まったく、ウチの旦那ときたらよ」
一杯引っかけたおかげか、御者の舌も随分滑らかになっているようだ。
調子に乗って、聞かれもしないのに死んだ雇い主の陰口を叩きまくっている。助けたはいいが、あまり関わりあいにはなりたくない人種だと思った。
その言によると、どうやら件の貿易商は相当あくどい男だったらしい。商業ギルドの幹部という立場を隠れ蓑にして、裏で麻薬や人身売買に手を染めていたのだ。
もちろん、それらはご法度である。だがいつの世も、法の網を掻い潜り、水面下で蠢く者どもは存在する。
「お役人にも、だいぶ顔が利いたみてえだったしなあ」
「だろうねえ」
「特に衛兵所の所長とは仲が良かったみてえだぜ」
「へえ、衛兵所の所長さんとかい?」
そういえば、昼間に貿易商の屋敷で姿を見た。こちらもあまり評判が宜しくない人物だから、繋がりがあったと聞いても意外ではない。
なるほど、所長自ら捜査に出向いていたのは、特別な関係故のことだったからか。
「二人は昔から?」
レラの疑問を代弁するように、メイガスが御者に続きを促した。
「だろうな。十年前に俺が雇われたときにゃ、もうツルんでたぜ」
「まあ悪徳商人と衛兵所長なんて、判りやすい構図だしね」
「訳ありって感じだったな。しょっちゅう、例の奴は見つかったかって話をしてたしよ」
「何かを探してたってこと?」
「ちょこっと聞こえたぐれえだから、詳しくは判んねえけどな……」
そう前置きして、御者は語りだした。