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第42幕

 夜も更け、宴もたけなわである。

 衛兵たちが、抜かりない目で周囲を監視しているが、酔客たちは気にも留めていないようだった。豪華な料理に、たえなる調べ。そしてダンスの相手がいればそれでいい。

 皆の輪の中心にいるのは、何と言っても我らがミューキプン王その人。

 兄王の『病死』という悲劇を乗り越え、財政難にあえいでいたこの国を立て直した、いわば中興の祖である。

 先程からひっきりなしに客の相手をしており、いささか疲れが溜まっているご様子だ。しかも今宵は、招かれざる客まで訪ねてきているとか。

 もっとも、息子の心配は過剰だと言わざるを得ない。その程度でうろたえていては、招待した諸国の要人に恥を晒してしまうだけだ。

 そんな折り、その息子である王子ユコニスが大広間に姿を現した。

 公の場が苦手で、いつも所在なげにしていた息子が、今は客たちを前に堂々と振る舞っている。

「これはまた、どういう風の吹き回しだ」

 王は驚き、そして素直に喜んだ。それでいい。あいつもやっと、王族としての自覚を持ってくれたかと。

 ユコニスは貴婦人の手にキスなどしながら、軽やかな笑顔と足取りで、父王の前にやってきた。

 嬉しさのあまりか、息子の様子があまりに違い過ぎることや、脇に見慣れぬ女が控えていることに、王は気付けなかった。

 そしてさすがの衛兵たちも、王子まで警戒することはできなかった。

「父上」

 どこか芝居じみた調子で、ユコニスが近付いてくる。その張り付くような笑みに、王はようやく違和感を覚えた。

「父上、お疲れなのではありませんか?」

「それは問題ないが。おまえこそ、何かあったのではないか」

「ご冗談を、父上。少々お酒が過ぎているんじゃないですか。お休みになられた方が良いかと」

 違う。これはユコニスではない。こんな不自然な笑顔……虚ろな目をして笑う息子ではない。

「おまえ……本当にユコニスか?」

「さあ、お休みになられませ。永遠に」

 ユコニスが腰から短剣を抜き、王の懐に潜り込んできた。

「!」

 白刃の照り返しが、王の目を射抜く。

「ユコニス!」

 そのとき大広間に娘の声が響き渡った。

 直後、銀糸に彩られた靴が真っ直ぐ飛んできて、ユコニスの手に命中した。

「うっ!」

 衝撃で、ユコニスが短剣を床に落とす。

 脇にいた女が小さく舌打ちして、短剣を拾おうと手を伸ばす。するとそこにも、銀の靴が飛んできた。

「!」

 靴が命中し、短剣が壁際まで弾き飛ばされた。

「なんだ……?」

「どうかしたのか」

 客たちが、ざわめき始める。不穏ふおんな空気が漂う。

 その客たちの一部が、道を開けるように左右に割れた。

 奥から、悠然と一人の娘が歩いてくる。ボロボロのドレスを着た、素足の娘が。

 客たちが困惑と驚嘆の声をあげた。

 困惑は、舞踏会に似つかわしくない出で立ちに対して。そして驚嘆は、この世のものとは思えないほど美しい灰色の髪と瞳に対して。

 衆人環視のなか、灰色の娘は立ち止まり、王を……正しくは王の近くにいる妖しげな女を睨みつけた。

「先程から、シンシアとデイジアの気配が消えた気がしていましたが……そういうことでしたか」

 リヨネッタは、ひと目で全てを悟ったようだった。

「母様……」

「ですが、わたくしの邪魔はさせませんよ」

 リヨネッタの鋭い声が飛ぶ。

「王子、今すぐにあの娘を片付けなさい。この舞踏会にはふさわしくない、不敬の輩です」

「……はい」

 ユコニスは頷くと、虚ろな目をレラに向けた。

 客たちはいよいよ静まり返り、事態の推移を見守っている。傍らの王も衛兵たちも、予想外の展開についていけないようだった。

「ユコニス、あなた、まんまと母様にやられたわね」

 溜め息を吐きながら、レラが言った。

「…………」

 だがユコニスは答えない。近くにいた衛兵の剣を強引に奪い取ると、レラに向かって一直線に駆けだした。

 レラは近くのテーブルにあった三叉みつまた燭台しょくだいを左手に取ると、その叉の部分を使って巧みにユコニスの剣を受け止めた。

 客たちが悲鳴を上げ、蜘蛛くもの子を散らすように逃げだす。

 だが、そのとき。

「さあ皆様。これより我らが麗しの王子といやしき魔女の娘による、世にも珍しい剣の舞いを御覧入れましょう」

 リヨネッタの声が朗々と響き渡った。

「剣の舞い……?」

「するとこれは、王子の余興か」

「それはまた、粋な計らいですな」

 たちまち場の雰囲気が一転し、拍手と喝采に満ちた。

 あまりに不自然な流れだったが、客や衛兵たちは、まるで熱に浮かされたかのように興奮している。

「まさか、これも母様の魔術……?」

 ユコニスの剣を押し返しながら、レラはちらりと、リヨネッタの様子を窺った。

 だがそこに、もう彼女の姿はなかった。そして王の姿も。

「どこへ……」

 周囲に目を走らせるが、肌が総毛立ち、反射的に身を屈めた。その上を、唸りをあげてユコニスの剣が走った。

「邪魔しないで」

 だがユコニスは虚ろな目で笑いながら、続けざまに剣を振るってくる。

 それを燭台で器用に受けるのだが、その度に火が揺れ、蝋が飛び、レラの体に降りかかった。

「あつっ」

 熱さに気を乱されてしまう。

 さらに何度目かの打ちあいで、燭台がぐにゃりと曲がってしまった。

「ああ、もう!」

 レラは、たまたまテーブルにあった鳥の丸焼きを両手で掴み上げた。

 ユコニスの一撃を、その丸焼きで受け止める。刃が肉に食いこみ、さらにどこかの骨にガチリとハマる音がした。

 おおッ、と観客が沸いた。もはや完全に余興と信じて疑っていないようだ。

 ユコニスが力任せに剣を押しつけてくる。刃が鳥の丸焼きに食い込んでいく。

「うう……」

 レラの額に脂汗が浮かぶ。右肩がじりじりと痛むのだ。

 このままでは押し負けてしまう。だがユコニス相手に、血にまみれた短剣を抜くのは嫌だった。かといって制御がまだ不安定な状態の魔力に頼れば、彼を傷付けるどころか、最悪死に至らしめてしまうかもしれない。

「……お行儀が悪いんじゃありませんか、王子」

 わざと右手の力を抜いて、身を捻った。

 バランスを崩したユコニスが、鳥の丸焼きごと床に突っ伏した。

 客たちの笑い声。

 その隙に距離を取り、レラは改めて周囲の状況を観察した。

 やはり広間に、リヨネッタと王の姿はない。

 どうやら刃が抜けないらしく、ユコニスが剣を諦めて、テーブルの上にあった肉切りナイフを手に取った。

「お食事の作法から勉強した方が良さそうね」

 レラもまた、手近なテーブルにあったフォークを左手に取った。

 ユコニスがナイフを突きだす。それをレラが、自身のフォークで受け流す。無作法な音が鳴って、周囲の客たちがさらに爆笑した。

「……これだから貴族は」

 思わず舌打ちするレラだが、ユコニスの執拗しつような攻撃は続く。

 だが激しい動作のたびに右肩が疼き、どうしても防戦一方になってしまう。

 キィン。

「あっ!」

 フォークが弾かれた。弾かれたフォークはクルクルと宙を舞い、とある貴婦人のネックレスの糸を断ち切り、多数の水晶が床に散らばった。

 貴婦人が嘆きの声をあげ、さらなる爆笑が起こる。

 レラは上体を反らし、身を捻り、皿を盾にしてユコニスのナイフをしのぐ。

 歓声に継ぐ歓声。はやし立てる声。客たちは、すっかり二人の舞いのとりこになっていた。

 その声が、レラの集中力を掻き乱す。自分が広間のなかをどう動いているのか、しだいに頭がこんがらがってくる。

 とにかく武器が欲しいと、レラは咄嗟にテーブルに手を伸ばした。しかしその瞬間、素足で固い石のような物を踏みつけてしまい、痛みでバランスを崩した。

 先程、どこぞの貴婦人がバラ撒いた水晶だった。

「しまった!」

 気付いたときには、ユコニスが目前まで迫っていた。虚ろな目のまま、ナイフをレラの心臓目がけて突きだす。

 二つの影が交差した。

 オオッ。観客たちのどよめき。

「…………」

「…………」

 沈黙。

 誰かが固唾かたずを飲む。

 ユコニスが刺さったナイフを抜こうとするが、肉に食い込んだのか、うまく抜けない。

 いや、肉ではない。

 ナイフはレラの胸ではなく、彼女が手に持っていた小さなカボチャに突き刺さっていた。飾り用にテーブルに置かれていたものだ。

 オオオッ!

 大広間が歓声で揺れた。

「またカボチャに助けられたわね」

 ユコニスが、ナイフを抜こうとなおもあがく。

 不意にレラが、カボチャを手離した。

 勢い余ったユコニスが、背後にる。

 レラが身を乗りだし、ユコニスの背に手を回して支えた。男女こそ逆だが、さながら情熱的なダンスのように。

 そして顔を近付け、唇を重ねた。

「!」

 ユコニスが目を見開いた。

 おおっ。

 観客が、今日一番色めいた。

 二人の唇が微かに光っていたことには、誰も気付かなかった。レラが、ユコニスの内部から、リヨネッタの魔力を吸い上げたのだ。

 ユコニスの瞳に生気が戻った。

「レラ、僕は……」

「お目覚めかしら、王子」

「あの、その……」

 ユコニスは顔を真っ赤にしながら、レラの瞳と唇を交互に見比べる。

「立てる?」

「あ、ああ」

 二人が並んで立ち上がると、周囲がたちまち拍手に包まれた。

「ええと、その……」

「悪いけど、ここはよろしくね」

「えっ、ちょっとレラ……」

 レラが風のように去っていく。後を追おうとしたユコニスだが、たちまち観客に囲まれてしまった。

 彼女の頬が、赤く染まっていたような気がしたのに。

「お見事でした、王子」

「情熱的なダンスでしたわ」

「あの美しい娘はどちらのご令嬢で?」

「妬けてしまいましたわ。王子にあんないい人がいらっしゃったなんて」

「水晶の上で踊るところなんて、まるでガラスの舞台で踊っているようでしたわ」

「あ、ありがとうございます……」

 喝采かっさいと賞賛の嵐に囲まれ、ユコニスは苦笑を浮かべるしかなかった。

「レラ……」

 底知れない不安に駆り立てられるように、レラが去っていった方向に目をやった。

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