第40幕
サンドラが咄嗟に身を捻る。その左腕を、リヨネッタの刃が切りつけた。
「うっ……」
押さえた手の下から、血がじわりと滲んだ。
「リヨン、あなた……」
サンドラが、リヨネッタの顔を悲しい目で見つめる。短剣を突きだしたまま、微かに震えている妹を。
サンドラが巧く避けたのではない。他ならぬリヨネッタに躊躇があったのだ。
「どうして。どうして姉さんは、私の姉さんなの?」
リヨネッタは、喉の奥から声を搾りだした。
「どうしてあの人を最初に見付けたのが、私じゃなかったの? いつも、あんなに、沼の方には行くなと言っていたのに!」
「リヨン……」
「どうしてあの人は、私を見なくなってしまったの……どうしてあの人は、私を置いて死んでしまったの……」
乾いた音を立て、リヨネッタの手から短剣が落ちた。
「これじゃもう、姉さんを殺しても何の意味もない……」
「…………」
傷付いた左腕を押さえ、サンドラは再びリヨネッタを見つめた。慈愛に満ちた眼差しを浮かべて。
「リヨン、私はね……」
ズブリ。
サンドラの腹部に、落ちていたはずの短剣が深々と突き刺さった。
「うっ!」
「姉さん!?」
リヨネッタが目を剥く。
短剣を拾い、サンドラの腹に突き刺したのは、リヨネッタによく似た少女だった。
「これで良いのでしょう、母様」
十二歳のシンシアは、してやったりとばかりに笑っていた。
「シン、シア…ちゃん……」
サンドラの口から鮮血がこぼれた。その様を見て、シンシアは目を輝かせた。
「うふ。母様を苦しめる者は、私が許さない。例えサンドラ伯母様であっても」
そして何の躊躇もなく短剣を抜いた。その傷口から、大量の血が溢れでた。
サンドラが膝を突いた。
「……?」
そのスカートの裾を掴んでいた幼いレラが、虚ろな目で母の顔を覗き込んだ。
彼女の存在に気付いたシンシアが、今度は捻じ切れんばかりの憎悪に顔を歪めて、小さな異母妹を睨みつけた。
「あんたなんかが生まれてきたから、母様が苦しむことになったのよ!」
短剣を振り上げ、レラの頭上に叩き込む。
「やめて!」
サンドラが最後の力を振り絞って、娘の体に覆い被さった。
シンシアの短剣が、その背に深々と突き刺さった。
「っ!」
声なき絶叫。サンドラの表情が強張り、力なく、レラの上にのしかかってくる。レラは受け止め切れず、母の体ごと床に倒れ込んだ。
「おかあさん、おもいよう」
血の匂いが鼻をついた。
「おかあ…さん?」
「どこまでも私と母様の邪魔をして……!」
シンシアが、サンドラの体を押しのけて、レラに刃を向けようとしたそのとき。
「いたぞ、あそこだ!」
「こっちだ、こっちにいたぞ!」
追っ手の声が水路に響き渡った。
「!?」
「かあさまぁ……」
八歳のデイジアが、泣きだしそうな声で母を呼ぶ。
次女の立っている位置に気付いたリヨネッタは、顔面蒼白になった。
「デイジア、あなた結界から出て……」
一連のやりとりが恐ろしくなったのか、デイジアは無意識に後退りして、リヨネッタの張った結界の外に踏みでていたのだ。そのため追っ手に発見されてしまった。
一度認識されてしまうと、この目眩ましは役に立たない。つまりこのままでは、幼いデイジアだけが追っ手に捕らえられてしまうのだ。リヨネッタの目の前で。
「早く逃げるのよ。二人とも走りなさい」
新たに術を施している猶予などない。
リヨネッタは二人の娘の手を取って、強引に走りだした。
「くそ、あとちょっとでレラの奴を殺せたのに!」
シンシアの怨嗟の声を、水路の片隅に残したまま。




