第1幕
夜半。
石畳の道を、成金丸だしの派手な馬車がのんびりと進んでいる。
馬車の周りには、剣と革鎧で武装した四人の護衛が従っていた。顔にも脛にも傷のあるような傭兵たちだった。
右前と左後ろの傭兵が、それぞれ松明を掲げている。その二つの炎が暗い石畳を赤々と照らし、時折吹く風に合わせて、傭兵たちの影も蠢くのである。
御者台の男は、生気を失ったように呆然と手綱を握っていた。たまに小声で何かを呟いているが、傭兵たちは薄気味悪がって、あえて触れないようにしていた。
馬車のなかからは、金属が擦れあう乾いた音と、男の含み笑いが聞こえてくる。おおかた主の貿易商が、今宵稼いだ金貨の勘定に勤しんでいるのだろう。
羨ましいことだ。傭兵の一人は思った。人身売買は濡れ手で粟という話は本当らしい。
行きがけに乗せていた娘たちを、たった数十枚の金貨に替えて、馬車は軽快に夜の石畳を進んでいた。
そのとき、不意に馬車が止まった。
「どうした?」
傭兵の一人が、訝しげに御者の顔を覗き込んだ。だが御者は、焦点の定まらない目で、あいかわらず何かをブツブツと呟くばかりだった。
「ここでとまる……ここでとまる……」
よく耳を澄ませると、御者はそう呟いていた。
「おい」
なおも傭兵が問い詰めようとした矢先。
ヒュイ、と風を切るような音がした。
前で松明を持っていた傭兵の喉に、短い矢が突き刺さった。
「がッ……」
傭兵が白目を剥き、その場に倒れる。
路地裏から黒い影が躍り込んできた。
「な……!」
鈍色の光が舞い、今度は後ろで松明を持っていた方の傭兵の喉がすぱりと裂けた。
「がは……」
血を噴きだし、松明ごと卒倒する傭兵。
照明を二つとも失ったことで、たちまち周囲の見通しが悪くなった。
「野郎!」
残った二人の傭兵が剣を抜く。だが後方にいたもう一人の傭兵の腿に、風切り音とともに矢が突き刺さった。
「うっ!」
傭兵がうずくまる。
「くそ!」
前方の傭兵が、黒い影の襲撃者に向かって剣を振り下ろした。
だが斬撃はあっさりと空を切り、
「ぐッ……」
声にならない呻きをあげ、傭兵は冷たい石畳の上に倒れた。
「ここでとまる……ここで……え?」
御者が、不意に正気を取り戻した。まるで催眠から解き放たれたかのように。
気が付くと、周りは血の海である。
「ひぃッ!」
御者は短い悲鳴をあげると、御者台から飛び下り、脱兎の如く逃げだした。
「冗談じゃねえぜ!」
腿を射られた傭兵も、片足を引きずるようにして逃走を図った。命あっての物種だ。
「チッ。しっかり狙いなさいよ、デイジア」
その傭兵の背に、黒い影が覆い被さる。
「逃がすと思ってるの?」
「ひ……ぐっ!」
鎧の隙間に、短剣の刃を突き入れる。鈍い音がして、哀れな傭兵は絶命した。
だが、きびすを返そうとして、影は動揺した。傭兵の体に刃が深く入り、抜けなくなってしまったのだ。
力を失った傭兵の体が、短剣をくわえたまま地面に崩れ落ちた。
そのとき馬車の戸が開き、なかから小太りの男が飛びだした。小脇には、金貨のたっぷり入った小袋を抱えている。
どうやら、逃げる隙を窺っていたらしい。
小太りの男……貿易商は、必死の形相で石畳を駆けていく。命と同じくらい大切な金貨を抱いて。
「何してるの、早く撃ちなさい!」
黒い影が空を仰いで指示を出す。
「ちょ、ちょっと待ってよう」
だが屋根の上の狙撃手は、弩に矢を番える作業に手間取っているようだった。
「ああもう。だから日頃から練習しとけって……抜けた!」
倒れた傭兵の体から、ようやく短剣が抜けた。返り血が降りかかるが、気にしている余裕はない。
「待ちなさい!」
しかし振り返った先に、貿易商の姿はなかった。路地裏に逃げ込まれたようだ。
「逃がさないわよ」
黒い影が駆けだす。
そのとき、貿易商の短い悲鳴が聞こえた。