デュアルストック
灰色の空、降りしきる雨。ちらちらと光る雨を見つめた。その雨粒に、淡く光る記憶の破片を見つける。
初めて人を傷つけた記憶。
無邪気と純粋に身と心を委ねていたあの頃。人を傷つけた瞬間の自分の姿を鮮明に覚えている。その景色を眺めては思う。なぜ自分の姿が見える記憶なのか。その時に自分が見ていたのは傷つけた人ではなかったのか。心が傷む。それはきっと、許してもらったからこそなのか。わからない。覚えていない。ただひとつ確かなこと。今だからこそ理解できること。それは、無邪気と純粋は残酷が必ず一緒に付き纏うということ。
初めて人に嫌悪感を抱かせてしまった記憶。
無意識化での自分の所作。横目に見たあの人の姿。あの時は、嫌な顔としか表しようがなかった。今になって思えばあの顔には、あの眼差しには、複雑な心模様が映っていた。その時の感情はあの人ですら、今になって思い出せなければ分からないだろう。目は口ほどに物を言う、その意味を改めて理解する。それを思い出す度に、人の顔には今見ている景色を表せる力が、その顔見てそれを理解できる力があると信じれる。
初めて人に魅せられた記憶。
自分の意思で操りきれない感情。目に映る全てにあの人を写す自分。今でこそ、遡ったからこそ理解出来たこと。感情の全てを操ることが如何に難儀であるかということ。難儀なんて表し方では易すぎるものだ。もちろん今だからこそ思う。魅せられるというのは、人だけではない。景色、現象、物事の全てにその可能性がある。脳を支配されるあの幸せ。後になれば、冷静になった時に、必ずしも幸せと思えるかは分からない。でも、あの瞬間は間違いなく幸せだった。
初めて人に裏切りをさせた記憶。
心を許したからこその信頼と信用。それ故に甘えてしまった自分。過剰な期待。その自分に対する最終警告のその先。裏切られたと、虐げられたと被害者になったあの時。過去の自分を見つめるからこそ、冷静に反省する。そして、理解出来るようになる善と悪。また、善と悪だけに綺麗に分けきれないという事実。人と人とで問題が発生した時、それぞれの善が対峙し、双方にとって悪になってしまう。冷静にそれをなぞった時に初めて、双方に善と悪の両方を持ち合わせている事を理解する。
記憶を遡る時、それはきっと、その時の自分に目に映る景色、現象の何かに自分を重ねた時なのだろう。
そして、その時に改めて学ぶことがある。改めて感じることがある。
それを許されるのが、きっと大人になっていく者に与えられた権利なのだろう。
それを忘れずに、明日という未来に持っていけたら、それがいつか何かの、誰かの為になると信じている。
もしもそれを忘れて、昨日に置いてきてしまっても、また取りに戻れる瞬間があると信じて。
きっと、私たちがそれを繰り返せると信じて。
雨粒を数えきれないように、無数に残っている記憶。
新たに落ちてくる雨粒のように、湧き出てくる記憶。
それは、雨粒が落ちて弾けるように記憶の中に埋もれ、水溜りが嵩を増すように増え続けて、いつか干上がるように消えていく。
それでも増え続ける記憶は、水溜りが時に干上がり切らない湖に変わるよう。でも、いつか干上がる時が、消えてしまう時が来る。
その時に、今までに学び感じたことを、物や人に、何某かの形で残すこと。
それが、これからの淡くも確かに光る可能性になると信じて…