投じられた一石
勇者誕生の神託が下ったという布告が為されたのは、吐く息が白くなり始める初冬のことであった。
今年の夏に16になり成人したクロシュは、王家の紋の入った立て札を群衆の中から見上げていた。唯の農家の生まれに過ぎないクロシュはいくつかの単語を知っている程度で、態々堅苦しく書き上げられた文書など読みようもなかったが、先程まで王命を読み上げていたらしい兵士の威張り散らした声を聞いていた者や、商人などの読み書きのできる者らが囁き合うのを聞いておおよその事情を把握していた。
勇者の出現そのものは人類にとって喜ばしいことではあったが、手放しに喜んでばかりもいられない。何故なら、勇者の出現とは、言い換えれば燻るように続いている魔王軍との戦争が激化することを意味し、例えば庶民にとっては徴兵や増税、例えば貴族にとっては庶民とは比較にならない程の増税と、土地や領民を始めとする各種資産が徴発される可能性を孕んでいるのだから。
現に、クロシュが眺めている立て札には「聖カテリシア連合王国民に対し、1世帯当たり1ラクエの納税又は健全な成人男子1人を兵役に就かせる義務を課す」という主旨の文言が書かれているらしかった。ラクエというのは金貨の単位であり、金貨1枚あれば農民ならば一家全員が余裕をもって冬を越すことができる。無論、一般的な庶民に易々と捻出できる金額ではなく、クロシュの家もまたその例外ではない。
しかし、クロシュと暮らしぶりはそう変わらない者が大半のはずのこの広場に於いて、群衆の中にはこれを吉報と両手を挙げて喜び、むしろ自ら兵役に志願すると豪語する者も少なくなかった。大抵は恐れを知らない体格のいい若者であったが、稀にそれほど戦闘向きには見えない年格好の者もいた。そういった者達の殆どが勇者讚美と魔族殲滅を執拗に語っているように思えて、クロシュは王がこの場に立てているものが立て札だけではないのではないかという疑念を抱いていた。
――戦争に、行きたくないなあ。
不安から出たその呟きは、誰の耳に届くこともなく零れ落ち、雑踏によって踏み潰された。
その場に集う者達の様子は、喜び勇んだり、はたまたクロシュのように項垂れたりと様々であったが、立て札を見上げるばかりの者達が、足下の骸に気づくことはついぞ無かった。