蘇った平和
歴史に語られる「破滅の刻」から、長い年月が過ぎた。
人類に平和な時代が蘇った。
人類を、いや、すべてを絶滅寸前にまで追いこんだ尋常ならざる災害は、いまではもう忘れ去られるほどの、はるか昔の過去となった。
現在、世界は災害が起こるまえとほとんど変わらない状態となっている。
通信網は完璧に復旧し、人々は携帯電話を所持するのも当たりまえとなった。また、自動車や電車、そして飛行機という乗り物も、ふつうに存在する。
医療においては、災害が起きる以前より進歩がみられるほどであり、人類の文明は完全に復活した。
先人たちの苦労は大変なものだったにちがいないが、その復興の中心には、ユリアナ聖団の存在があった。
ユリアナ聖団──未曾有の大災害を生きのこったシスターを中心に、彼女のもとに自然と集まった人々によりつくられた宗教だといわれている。
そのシスターは「セイント・マヤ」と呼ばれ、神様の力で人々の病気を癒していたと、伝説に記されている。
セイント・マヤの能力はユリアナ聖団のなかで受け継がれ、彼女と同じように病気を治癒する人たちが、世界のほうぼうを巡って行った。
こうして、ユリアナ聖団は神の使いとして人々に認識され、世界中に広まったと伝えられている。
彼らは、神から授かった力で病に苦しむ人たちを治癒することを活動の柱とし、ときには国を統べる指導者に神からもたらされた神言を伝え、国民を災害から避難させたり、国どうしが争うことのないようにしてきた。
ユリアナ聖団は決して政治の中枢に躍り出ることはなく、神が使わした集団として、一般社会に溶けこんでいる。
現在、世界の人々は、神の存在および神の力を認め、平和な日々を生きているのだった。
日本に春が訪れる。
街なかにある公園では、白い服を着た少女たちが、花壇に咲く花に水を注いでいる。
彼女たちが身にまとう白い服は、ユリアナ聖団の修道服だ。十歳から十二歳ぐらいのシスターたちが、ユリアナ聖団の慈善活動にいそしんでいる。
不意に、ひとりのシスターが声をあげた。
「あれ?」
彼女といっしょに花の手入れをしていた他のシスター二人が、彼女の方をふり向いた。
「シスター・ミクは?」
少女たちはキョロキョロとまわりを見るが、シスター・ミクの姿を探し出せない。
「どこへ行ったのかしら」
「またお仕置きを受けそうね、シスター・ミクは」
「もう、馬鹿なんだから。あの子は」
シスターである彼女たちは、ユリアナ聖団が擁する、いわば女子校へ通って教育を受けている。彼女たちの教育はとても厳しく、教えを守らなければお尻をぶたれるお仕置きを受けるのだ。
十歳になるミクは、幼いころから家庭や学校で何度もお尻を叩かれながら育った女の子だが、そのやんちゃぶりはいまも変わらない。
その少女は、公園に隣接するアーケードの通りに出ていた。
幼いころから、アーケードの通りを歩くのが好きだった。毎週日曜日に、両親に連れられてアーケードの店に買い物に行くのが、少女の楽しみである。
この日は、自分のやるべきことをほったらかしにして、すかさずアーケードに向かって行ったミクだった。
修道服を着たままアーケードを歩こうとするのは、はじめてだ。
この格好は、かなり目立つ。マザーに見つかれば大目玉をくらうだろうに、ミクはすぐにもどれば良いと思って気にしていない。
わくわくしながらアーケードのなかに入ろうとしたときだった。
「シスター」
突然、女の人の声に呼び止められた。ミクが声のした方をふり向くと、アーケードの入口のすぐ横で、知らない女の人が机を前にして座っている。
ミクがはじめて見る女性は、変わった服を着ている。ボタンもチャックも見あたらない。民族衣装というのだろうか。
少女は、なんの警戒心も抱くことなく、見知らぬ彼女の方へ近づいて行く。
ウェーブのかかった黒い髪をなびかせるその女性は、机の前まできたミクに微笑んだ。
「ようこそ」
うっすらと日焼けしたような肌の女性は外国人だと思えたが、当たりまえのように日本語を話す。大人にはちがいないと感じるが、修道院のマザーよりもずっと若い。
そんな彼女はミクに話しかける。
「シスター、あなたを占いたいのだが」
「占い?」
どうやら、この女性は占い師のようだ。面白そうだと思ったミクは、興味津々な想いが顔に浮かぶ。
二人の間にある机には赤いクロスが被せられ、その上に筒のように丸めた布が置かれている。
占い師は、丸めた布を広げる。それは少女がもっているハンカチよりも大きく、色は白い。
彼女は左手の人差し指で、広げた布の左側を差した。
「シスター、そこに右手を置いてくれないか」
「こう?」
ミクが、いわれたとおりに右手を布の上にのせる。占い師の女性は、白い布をじっと見ている。そのままなにもいわず、数秒の時が流れた。
彼女は、不意に顔を上げる。
「シスター、あなたはユリアナ聖団のシスターだよね」
「うん」
「あなたのお母さんは」
「マザーだよ」
「では、あなたのおばあさんは?」
「えっとね、えらい人。そういえば、ずいぶん会ってないなあ。久しぶりに、おばあ様のことを思い出したわ」
占い師は思った。
──やはり、このシスターだ
彼女の顔が、引きしまったように固くなる。数年前、長老が自分に語ったことが思い出される。
彼女の一族が住んでいるのは、外国である。その里から、日本に旅立つまえのことだ。
「リタよ」
長老が、彼女に話す。
「おまえは、神様に選ばれたかもしれぬ」
いきなりそう告げられたが、なんのことかリタにはわからない。
長老の話は続く。
「偉大なるわが一族の預言者、ルゼ様が伝えられた『使者の黙示録』のことは、知っておるな」
「はい」
「おまえは、その黙示録における『次の章』に立ち合う運命にあるかもしれぬのじゃ」
リタは息をのみ、目を大きく見開いた。
「わ、私が?」
「そうじゃ」
長老は、言葉を続ける。
「リタよ、日本に行きなさい。神様のお導きのとおりに、その身をあずけよ。おまえは、黙示録に示された行く末を見とどけるのじゃ」
そして日本にやってきたリタは、占いを生業として数年間、この国で過ごしてきた。
──これは、「次の章」が現実になるかもしれない。あと二年、いや一年後だろうか。思ったよりもはやそうだ
リタの顔が真剣な表情になる。
──黙示録のとおりだとすると……っ!
突然、彼女の頭の中で、ピキーンという音が鳴りひびいた。世の中に変革をもたらすほどの重要な人物が、近くにいる。
思考を断ち切られた彼女は、探すべき人物が誰なのか、心の目であたりを見わたす。
──いた。彼だ
その人物が放っているオーラは、他の人たちとは全然ちがう。
ひときわ輝くオーラを全身から発散させている男に、占い師リタは声をかける。
「そこの御仁」
道行く数人の男たちがいるなかで、ひとりだけが足を止めて、彼女の方をふり向いた。他の男たちは、まるで彼女の声が聞こえなかったかのように歩を進ませる。
ふり向いた彼に、リタはいった。
「こちらへきてもらえないか。あなたに大事な話があるんだ」
男は不思議そうな顔をして、彼女のもとへ近づいて行く。




