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使者の黙示録  作者: 左門正利
第七章 希望
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神の配慮

 ずっと奥まで広がる廃墟が、しんみりと哀愁を漂わせる。

 ふと、ある疑問がルゼの心にふくらんでくる。


「確かに凄まじい地震だったが……」


 そういう彼女の顔に、腑に落ちない思いが浮かびあがる。


「ビルもマンションもスーパーも、これほど簡単に倒壊するものだろうか?」


 あらゆる建造物は、跡形もなくすべてが崩れ去っている。ルゼの身長よりも高い部分がそう多くないのが、信じられない。

 地平線が見えるといって良さそうな状態だ。手抜き工事をしていたとしか思えないありさまである。


「ああ、それはね」


 団司は、だいぶ明るくなってきた空の下で、キョロキョロと瓦礫を見わたす。なにかを見つけたらしい団司は、そっちの方へ足を進ませて行く。

 やがて団司が足を止めると、そこには長さ十センチほどの鉄筋が、瓦礫から飛び出していた。太さは、人の親指ぐらいはあるだろうか。

 団司はその鉄筋を、コンッと軽く蹴る。すると鉄筋は、いとも簡単に「ポキッ」と折れて地面に転がってゆく。


 親指ほどの太さがある鉄の棒が、軽く蹴っただけで折れるとは考えられない。


「使者よ、これはいったい……」

「鉄もコンクリートも、なにもかもがもろくなっているんだ」


 そうでなければ、凄絶な震災に襲われたとはいえ、すべての建造物がこんなにも容易く崩壊するはずがない。

 団司は吸い終わったタバコを足もとに放ると、火を消すべく靴でふみつけながら、ルゼに話す。


「君なら、知ってると思ったんだけどな」

「え?」

「たぶん、時間をかけて、こうなったんだと思う」

「時間をかけて、こうなった? どういうことだ」

「ふつうの人には見えないなにかが、天から降り注いでいたんじゃないかと思うんだけどね」


 ルゼは、団司の言葉にハッとする。ルゼに向けている団司の顔が、彼女に「ちがうかい?」と語っている。


「君には見えたんじゃないの?」


 確かに見えていた。


 ――あれか!


 ルゼには、思い当たることがあった。うす紫の雨だ。


「確かに、天から降っていたよ。『うす紫の雨』が」

「ああ、やっぱり」

「人間の五感には感知できない、心の目でしか感じることのできない奇妙な雨だった」


 生物にはなんの影響も与えていないと思ったその雨は、人間が造ったさまざまなものに、物理的な変化を確実にもたらしていたのだ。

 本来、この災害は人類の絶滅とともに、人類が築きあげた文明をも根こそぎ壊滅させるような、そういうシステムが組み込まれていたのかもしれない。


 ルゼは、急にあることが気になってきた。


「使者よ、私たちが使っている車は大丈夫なのか?」


 この先、当分の間は、いま使っている車の中での生活が続くだろう。ならば、その車がすぐにでも壊れるのではないかと心配になるのは当然だ。

 しかし、団司の言葉は、ルゼのそういう不安をぬぐい去る。


「大丈夫みたいだよ。車の塗装が、君のいう『うす紫の雨』を防いだようだ」


 自動車メーカーが開発した最新の塗装技術が、車体を守ったのだ。


 ルゼは思う。神が、生きのこった人間に人類の歴史を新たにやり直せというなら、文明の象徴といえる自動車が、根絶されたとしても不思議ではない。

 しかし、神はそうはしなかった。


 これから自分たちが生きてゆく上で、いま寝食に利用している車は絶対に必要だというほど、なくてはならないものである。

 それが、まったく無傷といえる状態で災害前と変わらずに使えるのは、神が生きのこった自分たち人間のことを考えられての差配だろうか。


 ──これは、神の配慮なのか……


 ルゼの心に、神への感謝の想いが、ふつふつとわき上がる。

 ありがたい感慨にひたりながら、目のまえに広がる廃墟を眺めていたルゼは、深刻な問題がのこされていることに気がついた。彼女の顔から血の気が引いてゆく。


 原発の存在を思い出したのだ。


 2011年3月──三陸沖を震源地とする、当時日本観測史上最大の地震が発生する。


 東北から関東まで、広い範囲にわたって甚大な被害をもたらしたこの災害は、福島県にある原子力発電所が、放射性物質を飛散する大事故を招いた。

 それは、水素爆発で建物の壁が吹きとび、設備内部においてはメルトダウンの状態にまで陥るという、過去にない大きな原発事故である。


 原発の安全神話が崩壊するとともに、全国民が震撼する。政府ならびに電力会社の信用は一気に失墜し、原発の完全廃棄が叫ばれた。

 だが、世の中は、世論にさからうように動いていった。


 東日本大震災以後、一時的に稼働を中止していた日本国内の多くの原発は、なんだかんだと屁理屈をこね回しては、再稼働させる方針が押し進められた。

 廃棄されるどころか、逆に次々と再稼働が実施される。そして人々は、原発に対する不安を頭の片隅におきながらも、原発を日本の電力のメインとして毎日の生活をすごしてきたのだ。


 原発は、世界のいたる国々で運用されていた。それらは今回の途方もない災害で、大きな被害にみまわれているにちがいない。

 世界中のすべての原発が、事故により放射性物質を飛散させたとなれば……。


「し、使者よ!」


 慌てて叫ぶようなルゼの声に、団司は驚かされる。ルゼはその顔に冷や汗を滴らせながら言葉を続ける。


「世界中にある原発施設が、無事だとは思えない。原発が事故を起こしたとなれば」


 生きのこった人々の命にかかわるような、深刻な影響を与えるのではないか?


 どうしようもない不安にかられるルゼに、団司は間が抜けるような口調で返した。


「ああ、そっちの方は、なにも心配しなくていいと思うよ」


 団司の思わぬ返事に、ルゼは唖然となる。彼女とは対照的に、のほほんとしている団司の様子が、ルゼには信じられない。

 彼女にすれば、事は自分たちの生死に直結する重大な問題だと思うのだが、団司はなんの憂慮も抱かずに、のんきにかまえている。

 ルゼには、その理由がわからない。ルゼの心情を察した団司が、ニマッと微笑む。


「核物質と呼ばれるものは、変質しているはずだよ。まったく無害な別の物質にね」

「え?」

「君がいってた『うす紫の雨』の作用でね」


 核燃料に使用する、あるいは核ミサイルに搭載する核物質は、団司のいうとおりに、いまはまったく害のない物質に変性している。

 原発は設備内部までも崩壊した状態にあれど、やっかいな放射性物質は、飛散するどころか発生すらしていなかった。

 団司の話を呆然となって聞いていたルゼは、やがて静かに口をひらく。


「それは、神が生きのこった私たちのために……」

「いや、ちがう」


 団司の言葉が、彼女の口をふさいだ。


「世界中で放射性物質が発生して、それが拡散されると、生態系に影響が出るだろう」


 確かに、そうだ。


「人間以外の動物、昆虫、植物には、なんの罪もない」

「…………」

「これは人間のためじゃないんだ。本当なら、人類は」


 落ち着いた優しい口調で話す団司だが、その言葉には、神の厳しさがうかがえる。


「絶滅するはずだったんだからね」


 ルゼは心を神に合わせる。命あるすべてのものが、その運命をねじ曲げられることなく全うできるように。豊かな自然が汚されることなく、さまざまな恵みを産みだすことができるように。

 そんな神の想いが、ルゼの心に流れこんでくる。


「そういうことか。この地球上に存在するすべてのために、神は……」


 団司は、ひとり納得してつぶやくルゼに、やわらかい微笑みを投げかける。


「それが」


 団司の言葉には、あらゆるものを慈しむ想いが込められていた。


「神の配慮だよ」


 ルゼが見た団司の神々しい顔は、本当に神をあらわしているようだった。



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