悲しみ
みんなは、団司が運転してきたバンに乗りこむ。少女たち二人を後部座席に乗せて、ルゼが助手席に座る。
その車は、運転席と助手席以外に窓がない。バックドアにはカメラが設置されており、後方は運転席のモニターで確認できる。運転席にはカーナビや無線機の他、ふつうの車には付いていないスイッチ類がならんでいる。
特殊車両であることは間違いない。
ルゼが団司の方をふり向いた。
「ただの車じゃないね。現金輸送車みたいな感じだが?」
「プロトタイプのようだ。まだ試作段階なんだろうね」
この車は、団司が修道院のとなりにある警備会社から、勝手に拝借したものである。
警備会社の建物は倒壊していたが、車庫に入れずに建物の近くに置いてあったこの車両は、無事だった。
運転手が車を降りて建物のなかに入ろうとしたときに、地震が起きたと思われる。運転手は瓦礫の下敷きになり、車の鍵がその近くに投げ出されていた。
この車は、現金輸送とは目的が異なる試作車両のようだ。後部座席がそのまま残っているのは、団司たちにとってありがたいことだった。
ともあれ、団司はみんなを乗せた車を修道院へ走らせる。もう何年も車の運転から遠ざかっていた団司は、少し緊張した面持ちで車のハンドルをにぎる。
修道院までは、歩いても五分ほどしかかからない。
車で行けば、ゆっくり走ってもあっという間に到着する距離だ。そんな短い距離のあいだに、昨日までとはうってかわった悲惨な情況が、団司とルゼの目に飛びこんでくる。
後部座席は窓がないため、後ろに座る少女たちがその情況を見ないですむことに、団司とルゼはホッとする。
彼らを乗せた車は、間もなくエレガントゲートの前にたどり着く。修道院の敷地を囲むフェンスは、巨大な地震によりすべてなぎ倒されている。
団司の運転する車は、車道から歩道を横切り、倒れたエレガントゲートの上をそのまま通った。彼らはそれほどショックを感じずに、車は修道院の敷地内に入って行く。
車を止めた団司は、ため息をついた。助手席を降りたルゼは、後部のスライドドアを開ける。
車を降りたシスター・マヤが見たのは、ぺしゃんこに押し潰されたように崩壊した修道院だった。水色の屋根が、信じられないほど低い位置にある。
彼女は自分の目を疑った。
「………」
言葉を失ったまま、瓦礫の塊と化した修道院を見つめるシスター・マヤ。団司が彼女に近づき、そっと寄りそう。
シスター・マヤは唖然とした顔を団司に向けると、彼に問いかけた。
「あの、みんなは?」
修道院のみんなは、どこに避難しているのか?
シスター・マヤはそういう意味で団司に尋ねたのだが、団司はただ下を向いているだけで、なにもいわずにいる。いや、なにもいえずにいた。
これまでに一度も目にしたことのない団司の沈痛な表情は、修道院のみんなに起こった悲劇をシスター・マヤに理解させるには、十分過ぎた。
シスター・マヤは、崩壊した修道院へゆっくりと歩みよる。
「みんなを……助けなきゃ……」
「シスター!」
団司は右手でシスター・マヤの肩をつかみ、彼女の歩みを止める。
「ダメなんだ、シスター。もう……助からないんだ」
時間の流れが止まる。数秒の沈黙が、その場を冷たく凍りつかせる。
シスター・マヤの胸に、ある種の感情が昂ってくる。
「なぜ、神様は」
シスター・マヤはそうつぶやくと、ふり向きざまに後ろにいる団司に泣きながら叫んだ。
「なぜ神様は、こんな惨いことをなさるのですか!」
「シスター、それはちがう」
神がこのような惨状を引き起こしたのではない。人類が、こうなることを選んだのだ。
古代から繰り返される戦争は、民族をおして、国をおして、宗教を盾に、神の名のもとに、終わりの見えない虐殺の道をずっと走り続けてきた。
国家規模で考えなくとも人間は己の欲のために、権力のために、あるいは名声のために、平気で人をあざむき殺人を犯す。
富める者はさらなる富を、貧困にあえぐ者はいっそう貧困に陥る構図は、改善されるどころかますます進んで行く感さえあった。
どこまでも進む自然破壊はとどまるところを知らず、人間は科学を発展させるにつれて便利さを追求する一方で、大切なことをないがしろにしてきたのではなかったか。
そんな人類は、自分たちの知らない間に「破滅の刻」にどんどん近づいて行き、強き者あるいは力のある者が、弱き者や無力な者を巻きこむようにして、自ら滅びさる道を選んだのだ。
ただ、団司やルゼにすれば、人間としての生を終えた修道院のマザーやシスターたちの魂が、地獄に落ちて苦しんでいるとは、とても思えない。
修道院のマザーは真心からの愛でシスターたちを育て、その愛を受けたシスターたちは、明るく汚れのない心で毎日を過ごしていたであろう。
シスター・マヤとメグを見れば、そういうことがおのずとわかる団司とルゼである。
世間のさまざまな悪に毒されることなく、汚れのない純潔な心を育んできたような彼女たちの魂は、天国へ召されることはあっても地獄に落ちるなどありえない。
人間としての生を、強制的に終了されられたような彼女たち。その現状を人間サイドから見れば、不幸だとしかいいようがないのは確かだろう。
しかし、彼女たちの魂が天国へ昇り、何千年、何万年、何億年と生き続けるその世界で、永遠の幸せが神に約束されているとすれば、それははたして不幸だといいきれるだろうか。
死後の世界を疑うことなく信じている団司とルゼは、そう思うのだ。
けれども、いまのシスター・マヤにそういう話を聞かせたところで、傷心の最中にある彼女は、とても聞き入れることができないだろう。
いままでシスター・マヤといっしょに過ごしてきたマザーやシスターたちが、その命を失うことは、シスター・マヤにとっては自分の命が終わることよりも辛いことなのだ。
彼女は、その目に悲痛の想いをあふれさせながら、悲哀に満ちた声をしぼりだす。
「こんなことになるなら、私もみんなといっしょに……」
「そんなことをいっちゃダメだよ、シスター」
「私は……っ」
あとは、もう言葉にならない。シスター・マヤが口に出そうとする想いは、すべて涙となって流てゆく。
彼女は団司の胸に顔をうずめ、声にならない想いをひたすら涙でぶつけようとする。
そんなシスター・マヤを見たルゼは、彼女にかける言葉を見つけられず、メグの手をにぎったまま、ただ見守ることしかできない。
──神よ。これも、シスターがのり越えなければならない試練だというのか
団司は団司で、涙を止めることができない少女にひと言つぶやくのが精一杯だった。
「シスター……」
団司はシスター・マヤの悲しみをすべて受け止めるように、彼女を優しく抱きしめた。




