限界
梨田は、笑みを浮かべる団司に軽く頭をさげると、団司から差し出されたライターの火をもらい、タバコに点火する。
「ありがとうございます」
「いえいえ」
ポーカーフェイスで動揺を隠して礼をいう梨田に、団司は自分のタバコを取り出しながら応える。
一方、梨田の頭脳はこの現状について、頭をフル回転させる。
──なぜ、この男がここに?
いや、修道院の少女たちに接触しようとするなら、別におかしくはないだろう。そう思いなおした。
──俺の前にあらわれたのは偶然か? まさか、後をつけられていた?
梨田は、考えれば考えるほど疑念の泥沼に沈んでゆく。
梨田の左側にはアーケードの通りがあり、団司は梨田の右側にいる。
冷静に考えればわかることだが、団司が梨田の後をつけてきたのであれば、梨田と同じくアーケードを通るため、梨田の右側ではなく左側にくるはずである。
それを瞬時に理解できなかった梨田は、自分がどれほど冷静さを失っているかを思い知る。
──いかんな。焦るな、落ち着け
梨田は、まだ灰となっていない部分が少なくなってきたタバコをゆっくりと味わいながら、自分自身にそういいきかせる。
考えてみれば、この状況は団司のことを直接知る大きなチャンスだ。
──何事も、プラスに考えるべきだ
いつもの自分に立ち返った梨田は、タバコを吸っている団司に探りを入れてみる。
「ここで誰かを待っているのですか?」
「いや、別に」
人間関係のうすい団司が、ここで誰かと会う約束をしているとは、梨田にも思えない。もし、裏社会の人間に会うのだとしても、この場所は目立ちすぎて具合が悪い。
──俺の後を、つけてきたのでないなら
ひとつの答えが導かれる。
──やはり、目的は修道院の少女か
それ以外に、こんな場所にきてまで一服する理由が見当たらない。
──しかし、なぜこの男は少女たちに近づこうとするんだ?
そういう肝心の部分が、梨田にはまったく見えてこない。彼は、これから団司がどう動くか、まずはそれをしっかりとチェックすべきだと思い至る。
梨田が最後の一服を吸い終わり、タバコを灰皿にすてようとしたとき、不意に団司が尋ねてくる。
「そっちは、ちゃんと会えた?」
「は?」
「誰かを待ってたんじゃないの?」
「いや、私は、ここへはタバコを吸うために……」
「いや、そうじゃなくてね」
次に話す団司の言葉が、梨田の全身を硬直させる。
「パチ屋の前にあるコンビニで、タバコ吸ってたよね。誰かを待ってたんじゃないの?」
梨田の顔から、みるみる血の気がひいてゆく。
──バ、バカな!
団司が「ショック・イン」のパチンコ店に入ったときに、道路をはさんだ正面にあるコンビニでタバコを吸っていた梨田の姿を、団司の目はしっかりととらえていたのだ。梨田にすれば、夢にも思わない事実だった。
──あのとき、この男はすでに、俺のことを認識していただと!
梨田は、どこまでも自分を目立たなくして、己の存在を他人に意識させないことに絶対の自信をもつ男だ。
しかし、たったいま団司の語ったことに、これまで築き上げてきたもののすべてが粉々に打ち砕かれるようなショックを受ける。
梨田の全身に鳥肌があわ立つ。ポーカーフェイスを貫く梨田も、さすがに動揺を隠せない。
梨田は団司に問われたことに、まだ答えていない。
タバコを灰皿にすてようとして固まった梨田は、そのタバコを灰皿に落とし、それを自分の心を切り替えるスイッチとする。
梨田も闇の世界に生きる人間であり、また、その道のプロである。団司の問いに対して、ふつうの人間には考えつかないような見事な返事をかえすのだった。
「よく、私だとわかりましたね」
「まあね」
「私は影がうすいので、みんなから存在感がないといわれるんですよ」
「わははは」
無邪気に笑う団司に、なにかを企てている様子は見られない。
「最近は頭の方も徐々にうすくなってきて、将来ハゲるのではないかと気になって仕方がないんです」
「うわはははは」
思いきりウケている。梨田はとっさに思いついたことを話しただけなのだが、涙目になりながら腹をかかえて笑う団司の反応は、意外だった。
団司の笑顔や笑い声は、裏社会の人間には真似しようにも真似できない純粋なものだ。
そんな団司を梨田が呆然となって眺めていると、団司の視線が急にアーケードの方へ向けられ、一点に固定される。
梨田が背中をふり返る。その目に飛び込んできたのは、白い修道服を着た少女たちの歩く姿だった。
梨田は、アーケードを歩く修道院の少女たちを見ながら、団司につぶやいた。
「あの子たちは、確か『ユリアナ教団の美少女』では?」
「あの子たち、可愛いよね!」
団司がつられるように声を出す。
ここで、ふつうであれば、自分の依頼人につながりかねない話は絶対にしないだろう。
しかし、梨田はあえて教団の存在を、話題に引っぱり出すのだった。
「ユリアナ教団は、あまり良い噂を聞きませんね」
「そう?」
「教団の信者たちは、裏でなにをやっているかわからない人が多いようですよ」
「ふうん」
団司は、まったく興味がなさそうな態度を示す。
──とぼけているのか?
梨田は、教団の正体を知っているであろう団司の様子を観察する。団司の目は少女たちを見つめたまま、二人の姿をずっと追っている。
──あの子どもたちを狙っているのだろうか
いまの団司には、教団のことよりも修道院の少女たちの方に興味があるらしい。
梨田は、すかさずその少女たちを話題にとりこむ。
「あの子たちには、ボディーガードが張りついているようですね」
そうして、団司の反応をうかがう。
「優しそうな女性以外は、あの子たちと話すことはできないみたいですよ」
それを聞いた団司が、目を輝かせながらいった。
「俺、あの子たちと話したことあるよ!」
団司は、まるで小学生が自慢話でもするような顔で語りはじめる。
「あの日は、あそこら辺でシスターが俺の背中にぶつかって……」
梨田にすれば、団司は警戒すべき要注意人物である。
それは間違いないのだが、実際に団司を目の前にして様子を見ていると、この男からは危険な匂いも雰囲気も、まったく感じない。
梨田は、団司に会うまえから抱いていた違和感をそのままに、団司の子供のように無邪気な笑顔と笑い声にさいさい警戒心をそがれ、その都度、唖然となって立ちつくしてしまう。
梨田は団司を目の当たりにしながら、団司という人間がますますわからなくなってくる。
そうこうするうちに、少女たちの姿は彼らの視界から去って行く。
団司は二人のシスターを追うことなく、ずっと灰皿のそばにいるままだ。話すのに夢中になっている団司のタバコは、とっくに灰になっている。
「そろそろ行くか」
話を終えた団司は、タバコを灰皿にすててアーケードの方へ足を進める。
だが、いまさら団司がシスターたちの後を追いかけるとは思えない。少女たちと接触するのであれば、とっくに動いているだろう。
──あの子たちに接触しなかったのは、俺がいたからか?
梨田が団司の後ろ姿を見ながらそう思ったとき、団司が急に足をとめて梨田の方をふり向いた。
なんともいえないタイミングでふり向いた団司に、梨田は驚かされる。
団司は、彼に伝える。
「俺は、シスターたちが平和で元気に過ごしていれば、それでいいんだ」
さらに、ひと言つけ加える。
「それだけだよ」
この最後の言葉が、梨田の胸にズドッと突き刺さる。梨田は、団司がいった「それだけだよ」という言葉のウラに潜む意味を、その胸で瞬時に理解した。
『これ以上調べても、なにも出てこないよ』
梨田の背筋に、ゾクッと悪寒が走る。団司に対する恐れが胸の奥から一気にあふれ、梨田の全身をブルッと震わせる。
──こ、この男はっ!
団司は、梨田が調査を開始したときから、梨田の考えることやその動きを、最初からすべて知りつくしていたにちがいない。
梨田の前に偶然のように姿を見せ、警戒心を感じさせないその余裕のある態度は、いま思えば絶対王者の雰囲気に通ずるものがあるのではないか。
──俺の命など、殺ろうと思えばいつでも殺れるということか
梨田の内にわき上がる恐怖が、梨田自身にそう思わせる。
──ダメだ。もう、これ以上は無理だ……
梨田は、団司の調査が限界に行き着いたのを悟るのだった。




