憂い
意識をとり戻したシスター・マヤは、ゆっくりと上半身を起こしてゆく。
「シスター・マヤ!」
大声でそう叫んだメグが、シスター・マヤに飛びつくようにして抱きついた。
心配でたまらなかったのだろう。メグはその目から大粒の涙を流しながら、わんわんと泣きだした。
彼女たちのそばにいる汗まみれの小汚ない男が、安心したように笑顔を見せる。
「治ったようだね、良かった」
彼にはどこかで会ったことがあると思うシスター・マヤだが、その男がなぜ自分の目の前にいるのか、いまの彼女にはわからない。
目が覚めたばかりのシスター・マヤは、まだ自分の置かれている状況を把握できないでいる。
団司は、彼女自身がどうしてこんな所にいるのか思い出せない状態にあるのだろうと、呆然としている彼女の様子からそのことを察する。
いまの彼女は、頭の中が真っ白になっているにちがいない。
団司が、まだ思考がおぼつかないシスター・マヤに声をかける。
「アーケードを歩いてると、そのオチビちゃんがぶつかってきてね」
「シスター・メグが?」
「オチビちゃんに案内されてここへくると、君が倒れていたんだ」
団司の話が、シスター・マヤの記憶を徐々に蘇らせる。
──私は、確か……
お使いの途中で気分の悪さが限界に達し、人目を避けるようにこの場所にきたところまでの記憶が、ゆっくりと浮かび上がってくる。
そこまで思い出したシスター・マヤだが、以後の記憶がプッツリと途絶えている。その時点で自分は気を失ったのだということに、シスター・マヤの思考はようやくたどり着いた。
いま、自分の身体に意識を向ければ、気を失うまでのどうしようもなかった気分の悪さが、跡形もなく消え失せている。いままでに味わったことのない、すっきりとした爽快感に全身が満たされている。
自然に治ったとは思えない。ということは……。
──この人が?
シスター・マヤは、額の汗をぬぐっている団司の顔をじっと見つめる。
「あなたが私を助けてくれたのですか?」
おそらく、そうであろうと思う疑問を、シスター・マヤは団司に投げかける。
しかし、団司は「そうだ」とはいわない。
「いや、僕が助けたんじゃなくてね」
団司は自分の胸に手を当てながら、シスター・マヤに答えた。
「僕の心にきてくれた神様が、君を救ってくれたんだよ」
その暖かさを感じるひびきに、シスター・マヤはハッとした。
──この声……
彼女は、気を失っているときに心の中で聞いた祈りの声を思い出す。
シスター・マヤのために神に祈るその声は、団司と同じ声をしていた。シスター・マヤは、間違いないと確信する。
「気を失っているとき、あなたの声が心に聞こえてきました」
団司は、にこやかな笑顔を彼女に向ける。
「自分の命をかけてまで私を助けようと神様に祈る、あなたの声が」
笑顔を崩すことのない団司は、その顔をはずかしそうに下に向ける。
一般人が見れば「子供か!」と突っこみたくなるような団司に、シスター・マヤは言葉を続ける。
「どうして、そこまでして私を助けてくれたのですか?」
それを聞いた団司は、不意に顔を上げた。
「そこまで?」
団司はシスター・マヤに聞かれたことには答えずに、逆に彼女に問いかける。
「シスター。君の神様への祈りは、『そこまで』にとどかないものなのかな?」
嫌味でいったわけではない。団司の言葉には、優しい温もりが伝わってくる。
しかし、その言葉はシスター・マヤの胸に、これまでにないほどズシンと重くひびいた。
──ああ、この人は、本当に大切なことを私に教えてくれる
団司とはじめて会ったときの記憶が、はっきりと蘇る。
あのとき、団司のことを不思議な人だと思ったのが、つい昨日のことであったかのような気がする。
シスター・マヤの状態がだいぶ落ちついてきたと思った団司は、スックと立ち上がると、左手を彼女に差しだす。
「立てるかい?」
シスター・マヤは「はい」と返事をすると、団司の手に自分の右手を重ねて、メグといっしょに立ち上がる。
「送って行こう」
団司は、少女たちに向ける笑顔をいつまでも絶やすことはない。
しかし、その目には悲しみの色が映されているのを、シスター・マヤはなにか違和感があるように思いながら感じとっていた。
団司はその笑顔の奥で、憂慮するひとつの想いを抱いている。
──どうにか、シスターを救うことができた。だが……
神のみぞ知る「破滅の刻」が、人類の上に訪れたときに、街の人々、世界の人々、そして自分に関わりのある人々が、いったいどのような事態に見舞われるのか。
団司は、それを神から伝えられている。
いま、シスター・マヤを救うことができたものの、彼女の未来を考えると手放しで喜ぶことのできないやるせない想いが、団司の胸に渦巻いている。
その想いを、団司は笑顔の裏にひっそりと隠しているのだった。




