忍びよる死線
そして、時は静かに流れて十月になる。秋の季節まっただなかではあるが、日中はまだ温かくて過ごしやすい。
シスターたちは礼拝堂での祈りが終わり、修道院へ帰っているところだ。
その修道院では、マザー・アミコがシスター・マヤとメグを待ってる。静かに待ちながら、次なる取引相手たちの間で進めるべく話を、その黒い腹のなかであれこれと考えていた。
やがてシスターたちが帰ってくると、マザー・アミコはハンドバッグを片手に、シスター・マヤとメグの二人を呼んだ。
だが、近くまできたシスター・マヤの顔色が、あまり良くない。
「シスター・マヤ、どこか具合が悪いのですか?」
「いえ、別に」
マザー・アミコにそう答えるシスター・マヤだが、実は数日前から体調が思わしくない。それほどひどいということはないのだが、気分がすぐれず身体が重い。
マザー・アミコは、シスター・マヤの様子が少し気にかかっていたが、本人が大丈夫というのであれば大丈夫だろうと思い、さして気にも止めなかった。
そうした少女のちょっとした異変を軽く考えていたマザー・アミコは、このとき、まさかシスター・マヤが死線に飲み込まれそうな状況にあるとは、夢にも思っていなかった。
マザー・アミコと二人のシスターは、修道院の建物を出てエレガントゲートまで歩く。
そして、彼女たちを待っていた白いセダンにみんなが乗りこんだとき、マザー・アミコのスマートフォンが、呼び出し音を車内にひびかせる。彼女のよく知っている関係者の名前が、その携帯電話の画面に表示される。
「もしもし」
電話の相手は、シスター・マヤたちのボディーガードを手配する裏社会の人間だ。
「マザー、これから重要人物の護衛のために、ガードを固めなければならなくなった」
「と、いうと?」
「今回は、そちらにボディーガードを送ることができない」
「…………」
予期せぬ事態が訪れる。
「急ですまない。こっちも予定外なんだ」
「……わかりました」
電話を切ったマザー・アミコは、どうするか一瞬だけ考えを巡らす。ボディーガードがいないと心細いのは確かだが、これまでアーケードでシスター二人が危険な状況にさらされたことは、一度もない。
──今回も大丈夫だろう
彼女はそう考えて、いつもどおりに車を走らせるのだった。
この日のマザー・アミコは、珍しく慎重さに欠けていた。シスター・マヤに歩みよる死線は、少女のまわりの状態をも狂わせる。
救いの手が、シスター・マヤから遠ざかってゆく。
車が目的地に到着して、二人のシスターは郵便局へ向かって足を進める。
アーケードを通り、郵便局で用事を済ませてふたたびアーケードへもどる少女たち。
ここまでは、いつもどおりだった。だが、今回はここから様子がちがってくる。
中央公園のある広場に出るまでに、アーケードの左側の横に抜ける道に、シスター・マヤは入りこむ。
いつものルートとちがう。そのことに気づいたメグは、シスター・マヤに声をかける。
「シスター・マヤ?」
その声は、シスター・マヤにはまったく聞こえていないかのように、彼女はひと言も返事をかえさない。
メグは、自分の手を引っ張っているシスター・マヤに再度呼びかける。だが彼女はなにもいわずに、さらに次の角を左へ折れて、人けのない路地に入るのだった。
彼女たちが足をふみ入れた細い路地には、誰もいない。突然、シスター・マヤがガクッと足元から崩れる。
「シスター・マヤ!」
メグが思わず叫ぶ。
「ごめんなさい、シスター・メグ。ちょっと……休ませて……」
その場に座り込むシスター・マヤの顔色は、出かけるまえよりもさらにひどい。
苦しそうな呼吸をしている彼女を見て、どう考えてもふつうではないことを、幼いメグは子供ながらに感じとる。
「誰か呼んでくる!」
メグはシスター・マヤにそういうと、その小さい体をアーケードの通りに向けて走らせるのだった。
路地を通りぬけ、アーケードにたどり着いたメグであるが、誰かを呼ぼうにもいったい誰に声をかければいいのか、わからない。
メグのよく知るマザーやシスターたちがいれば良いのだが、彼女たちはよほどのことがない限り外出することはない。
しかしメグは、必死で自分の知っている人間を探そうと、自分のまわりをキョロキョロと見わたす。
道行く人たちが優しそうな微笑みを投げかけてくれるのだが、呼ぶべき人は彼らではないことを、メグの幼い心が判断する。
メグは、その足を中央公園に出る広場の方へ進めて行く。
急がねばならない。子供心にそういう危機感を感じるメグは、中央公園に続く広場に出ると、ふたたび辺りを見まわした。
だが、人通りがいくぶん緩やかになり、確認しやすくなったとはいえ、はたしてメグの知っている人間がおいそれと見つかるかどうか。
「いた!」
メグは見つけた。メグが知っているその人物は、パチンコで負けたせいか、がっくりと肩を落としながら歩いている。そのヨレヨレの服は、負け犬の様を呈しているいまの状態に、実にぴったりである。
そして、死んだような顔をしながら、ゆっくりとメグの方へ近づいてくる。
──やっちまったよ
アーケードの通りを歩く団司は、空を見上げる。
──まさか、一度も大当たりせずにストレートで負けるとは……
さっきまでパチンコをしていた団司は、結局四万円の負けとなり、生きた屍になった気分に浸っていた。
──俺って、馬鹿だよね
いま、ここにシスターがいれば、彼女は「そうですね」と微笑みながらいうだろうか。団司はそんなことを考えながら、トボトボと歩いて行く。
すると突然、ドンッと右足になにかがぶつかってくる。
「うおっ」
いきなりの不意打ちに、団司はひどくショックを受ける。驚きながら自分の足になにがぶつかってきたのかと、すかさず足元を見る団司は、思わず口に出す。
「オチビータ?」
メグのことを「オチビータ」と呼ぶ団司は、自分にぶつかってきたのがメグであることに、さらに驚いた。
──なんで、オチビータが?
団司がそう思う間にも、メグは団司を見上げながら必死に叫ぶ。
「シスター・マヤが、シスター・マヤが!」
一瞬、唖然となる。
──シスター・マヤ?
誰のことかと思ったが、以前に会ったときにメグといっしょにいたシスターがいない。シスター・マヤとは彼女のことだと、団司はすぐに理解する。
団司の足にしがみついているメグは、体全身で叫ぶ。
「シスター・マヤが、シスター……ぐすっ」
泣きそうになるのを必死にこらえながら、団司に訴えていたメグはとうとう我慢できなくなり、ポロポロと涙をこぼす。
それを見た団司は、シスター・マヤがただならぬ事態に陥っていることを悟るのに、時間はかからなかった。
団司はメグを抱きあげる。
「オチビータ、案内してくれっ」
頼れる男の顔が、そこにあった。
「シスターのところへ!」




