ある教師の懺悔
多分、これを読んでいる者はこの本の信者ではないのだろう。
聖書に挟まっていたこの手紙は、大人びた達筆でそう始められていた。
一応私は教師という職について、子どもたちを教育する仕事についている。
彼らを大人にする為に社会を教え、彼らを社会から守り子供の時間を大事にする為というのが私の仕事だ。
とはいえ、世の中は良い学校に行かせ、良い会社に行かせる事を是とする風潮である。
受験戦争が苛烈を極める中、知識を詰め込み入試型の人間を機械のように量産する。
それが私の現実であった。
ある生徒の話をしよう。
その生徒には勉強以外に才能があった。
たまたま部活の顧問で、かつてそれをしていた私はその生徒の才能に魅了された。
やっていたからこそ分かった。
その才能は世界に通用するかもしれないと。
その世界は一人の才能が輝くためには、千人の挫折者が涙を流す世界だった。
そして、その生徒の家庭は決して裕福ではなかった。
私は己の心を封じてその生徒の進路に進学を勧めた。
公立の学校なら十二分にやっていける学力があった事もその理由の一端にある。
そしてその生徒は進学し、卒業時に私にこう言った。
「先生。私を良い未来に導いてくれてありがとうございます」
と。
吐き気がするのをこらえ、涙を嬉し涙と騙し、私はその生徒の未来を祝福した。
そして、彼の才能を葬ってしまった己の愚かさと浅ましさを軽蔑した。
今でもあの時のことを思う。
私は正しかったのだろうか?
私が魅せられたあの才能を世界にだしてやるべきだったのではないか?
その問の答えはきっと永遠に得られる事無く、私はもうすぐ定年退職する。
たぶんこれを読んでいる君は生徒だろうという事で、ここから先の話を続ける。
君が何者になるかは君が決めることだ。
だが、君の才能は君の知らない所にも眠っているという事を覚えていて欲しい。
君の才能を多くの人に見せなさい。
そして、君の未来を導く大人を探しなさい。
これは、生徒を正しく導けなかった大人の後悔とそこから得た忠告である。
君の未来が明るく輝いていることを祈っている。
読み終わった後、しばらくは何も手につかなかった。
おそらくは私よりかなり昔にここに居た先生なのだろう。
気づいてみたら図書室の部屋が茜色に染まっている。
これは懺悔だ。
だからこそ、読んだ私はそれを許す義務がある。
「貴方の罪を許しましょう。先生」
誰もいない図書室に私の言葉は結構大きく響いた。
そして、その手紙を元の聖書に挟んで、『廃棄処分』の箱の中に丁寧に置いた。




