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道化の花冠  作者: 道草屋
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不特定多数の人間から見られているという現実から目を背けるために、高安はずっとうつむいていた。おかげで読書に集中できない。文庫本のブックカバーを引っ掻く。上も下も真っ平な体を見て何が楽しいのやら。


今日のためにと姉たちが選び父親から贈られた純白のワンピースは、露出が多すぎると思う。スカートはいつまでたっても慣れない。なぜロングではないのだ、ロングスカートならこんなにも人の視線が集まることはなかったはすだ。


せめて足を隠すタイツが欲しかったが、揃いで与えられた靴がそれを許さなかった。空調が効きすぎてノースリーブには少々寒いが、カーディガンは受付で没収されている。


ヒールの靴は大嫌いだ。立っているだけで足も背中も腰も痛くなる。もはや拷問だ。一人でいるときに座ることを禁じられているのがまた辛い。


色々と塗られた顔も気持ち悪い。盛られた髪は頭を締めつけてくる。斎藤がきっと似合うと言ってくれた短い髪は、高安自身一度も見たことがない。


最悪の気分だ。胃のあたりがきりきりとして、綺麗な姿勢を保つことで精いっぱいな時間。病院で吐いていたほうが数倍ましだったと思えるほどに耐えがたい。


自分は女でいることに向いていないとつくづく思う。だから自分は、本当は男である。というわけではない。世間一般に女らしいと評される事柄のほとんどが、受けつけないものであった。ただそれだけのことだ。


いっそ全てを脱ぎ捨て裸になれば、父親は二度とこういう場所には連れてこないだろう。病院にも戻れるに違いない。そんなお粗末なことを考えながら、高安はじっと、笑みを張りつけてここに立っている。


父親と交わした約束は、高安晶という名の人形を操る糸になった。無数の糸が体中に、心にさえ伸びてきて、絡みついている。引き裂かれそうになっても、耐えるしかない。


憤りとか恥辱とか、数え出したらきりがない重石たちから逃れようともがけば、たちまち絞殺されてしまうものが、高安の中にある。


「約束を忘れないで」

「ああ、もちろんだとも。……お互いにね」


何十回と繰り返してきたやりとり。その意味が分からないほど馬鹿ではなかった。


自分に従う限り、斎藤のことは忘れる。つまりは、そういうことだ。


あの一件に関わった人間には、父親が色々な手を使って口止めしているはずだった。自分の変化は傍目には見事「完治した」ように見えるだろう。


母親と姉たちは驚きつつも喜んでいた。もしかすると彼女たちも、自分がこうなることを望んでいたのかもしれない。


斎藤が今どこで何をしているのか、高安は何も知らない。父親からはあの日以来行方をくらませていると聞いている。つまりは消息不明なのだ。


(何をやってるんだ)


へその上で組んだ指のピンク色の下に、病的に白い膝小僧と脚が見える。こんな姿を斎藤に見られたらと思うと、毎度のことながら恥ずかしくて顔から火が出そうだ。給仕に勤しむスタッフの露出を抑えたスーツが羨ましい。


今にも会場の入り口からあの執事服が入ってくるのではないかと期待してしまうのは、あちこちに花が置かれ、どこかしこから子どもの笑い声が聞こえるからだろう。


あちこちで小さな方々のサークルが作られ、その中心ではバルーンアートや本の読み聞かせ、工作教室などが営まれている。手品師もいるが、すっぴんだったし花も出さなかった。


とある企業が今度〈花と子ども〉をテーマに病院のボランティア活動を行うようで、このパーティーはどんな催し物が子ども受けするのかを見極めるという趣旨らしかった。


それとは別に、ホテルに隣接するチャペルの見学に行くと初めのあいさつで言っていた気がする。美しい装飾の歴史ある建物だとか。何にしても、面倒なことだ。


ホテルの祭場を貸し切っているこの名目上のパーティーは、父親の知り合いが主催者を務めているらしく、高安は同行を誘われて、受けた。


(てか、行かねぇって言ったが最後、脅してくるだろうしな)


髪留めの細工をため息交じりに弄る。高安がこういった場に顔を出すようになってから、父親の要求はエスカレートしたように思える。参加者の息子と引き合わせたり、性別を強調する格好をさせたりするのだ。


教養ある女性、とやらを目指しているなら、もっと肌を見せない格好をさせればいいのにと辟易していたのだが、どうにも最近意図が読めた。


女らしくいることを拒んだ過去を忘れさせたいのだ。先へ進むことを促しているのだ。


高安は完全には変わっていない。否、変われなかった。


自分の部屋にいる時や頭の中での一人語りはすべて、あの時のままだ。表面上は取り繕っても、結局人の本質は変えられない。それを隠しながら今まで過ごしてきたのだが、おそらく父親は気づいたのだろう。


心中で、獣のように唸る。手品師、病院のボランティア、はしゃぐ子ども、色とりどりの花たち。父親は狙って自分を連れてきたのではないだろうか。ここは、思い出すものがあまりにも多すぎる。


「晶さん」


そこにいたのはおしゃれスーツを着こなす青年であった。


「覚えていますか? 僕のこと」


いや、まったく覚えてねぇよ、あんた誰? とは言えない。曖昧に濁してみると、青年は大げさにならないよう肩を落とした。


「以前、別なパーティーでお会いしたことが」

「ああ、あの時の」

「思い出してくれましたか」


顔を輝かせる青年には申し訳ないが、どのパーティーでも複数人の男に声をかけられた、という記憶しかない。つまりは思い出してなどいない。


青年は主催者の息子と名乗った。父親を探すと、でっぷりとした腹の男と談笑しているところであった。


(なるほどな)


いよいよ相手を絞ってぶつけてきたのだ。幼い子どもばかりだと思ったら、この状況を作りたかったらしい。


「退屈そうにしているので、話し相手になれたらなと思いまして」


と青年がにっこりするので、「よかったら、是非」と高安もまた同じようにする。父親が見ている手前断るわけにもいかない。座りながらという条件で青年と時間を潰すことにしたのだ。


何か取ってくるという申し出をありがたく受け取り、高安は先に座って待つことにした。パーティーというだけあって一応立食が用意されていて、催し物のスペースとは会場を二分する形で設けられている。椅子は立食側の壁に沿って数個並んでいるのみだ。小説の続きを読みたかったが、さすがに我慢した。


催し物の一つであろうピアノの音に耳を傾ける。時折ハミングや子どもの声が響くのは、マイクを使っているからだろう。病院には向かないぞと、勝手にチェックを入れる。


「おまたせしました」


青年はスイーツや果物を乗せた皿と二人分のグラスを持ってきた。


「リンゴジュースは嫌いですか?」

「いえ、大好きです」


グラスと引き換えに笑顔を向けてやる。果実のように赤くなった青年がおかしくて目を伏せると、耳まで染まった。


「おいくつなんですか?」

「今年で十八です」

「高校生?」

「大学一年です」


歳の割に童顔なのだと照れくさそうに頭を掻く。二十八歳と二十三歳ならまだしも、中学生の女児に声を掛けるのは大層勇気がいることだったろうに。


(こいつも親に強要されてるとか?)


青年を見る。まだ耳は赤い。せわしなく喉仏が上下する。視線に落ち着きがない。目が合ってもすぐに逸らす。予想は外れのようだ。高安はゆっくりと背筋を正した。


「そんなに固くならないでください」

「え?」

「私まで緊張してしまいます」

「そ、そっか」

「そうですよ」


それから皿が空になるまで、会話らしいものはなかった。青年は時々何か言いたげにするのだが、ジュースと共に飲みこんでしまうのだった。高安も特に話すことが浮かばず、ピアノの演奏に聞き入ったりしていた。


グラスの最後の一滴を飲み干した青年は、取ってつけた動作で手を合わせ、会場の花は父親の会社が提供したのだと話題を振った。


「晶さんは花が好きだって聞いたんだけど、詳しいの?」

「鉢植えをいくつか育てているだけですよ」


斎藤が出した花を覚えている限り調べて、自室で育てている。記憶が色褪せないようにと世話をしていたら、花たちはそれに応えるかのように鮮やかに咲いてくれた。


父親は斎藤がどんなボランティアをしていたのか知らないようで、自分が花を育てることを趣味の一つとしか捉えていない。


ポーチの中に入れていた花はほとんどがダメになってしまったが、リンドウの花だけは生き残っていた。高安はそれを押し花にして、大切に保管している。


「今日ある花で気に入ったものがあれば、あとで花束にしようか」

「そんな、申し訳ないです」

「初めからそのつもりだったんだ」


選びに行こうと高安の手を取り、しかし握ることはできなかった青年は指先だけを掴んだ。導かれるままヒールをかつかつ鳴らして会場を横断した。花は催し物のスペースに飾られている。


視線が苦しい。自分の顔は化粧の下で赤くなるどころか青くなっているかもしれない。


青年は大きなテーブルの前で立ち止まった。所狭しと大小様々な花瓶が立ち並び、色とりどりの花が生けてあった。テーブルそのものが一つの剣山であるように、高安には思えた。花瓶には向かない花もあったが、それらはフラワーアレンジメントとして浅い器に生けられていた。


「どんな花が好き?」


あの人がくれた花なら、何でも好き。


そう答えたなら、青年は手を離してくれるに違いない。代わりに父親が手を取って、会場の外に連れ出してくれる。


「最近は四季に関係なく花を咲かせることができるから、だいたいの花は揃ってるはず。これなんかどう?」


フラワーアレンジメントのスポンジから抜き取られたスズランから、熟れた花が一つ二つと落ちた。


「好きです」


これは、はじめてもらった花だ。今年も自室で美しく咲いてくれた。今月咲いたといえば、


「ヤブランはありますか?」

「それはたしかこっちに」


テーブルを半周すると、紫の花をみっちりと蓄えたヤブランが溢れんばかりに花瓶に生けてあった。植え込みに使われるような花がわざわざ花瓶に挿してあるのは、なんだかおかしかった。


まあ、街中で見かけるたびに斎藤がいるのではないかと周りを確かめずにはいられない自分も大概なのだが。


青年はスズランとヤブランを数本抜き取ってスタッフに渡した。それらはラッピングされ、小さな花束となって戻ってきた。


「すごい」

「気に入ってもらえたなら、嬉しいよ」


青年は純朴に笑う。


他にも知った花はないかと高安はあちこち見て回った。金魚の糞のようについてくる青年に時々笑いかけながらも探し続け、花の名前が書かれたプレートの下に、別な紙が挟まっていることに気づいた。


「それは花言葉だよ」


視線に気づいた青年が説明する通りそれは花言葉であるらしく、「ヤブラン」の下には「無邪気、謙遜」と記されていた。


「これは会場の花すべてについているんですか?」

「いや、さすがに全部ではないかな」

「そうですか」


あからさまに残念がったつもりはなかったのだが、青年はどこからか花言葉の図鑑を持ってきた。用意の良いことだ。


「もしかしたら、興味あるかと思って」

「ありがとうございます」


あるといえばあるという程度だが、礼儀として受け取っておく。


「僕も読んだけど、結構たくさん載ってたよ。花言葉は花の色によっても違うから、面白かった」

「色、ですか」

「うん、特にバラの花は分かりやすい」


白いバラを触っていた青年はそう言った直後、真っ赤になってテーブルから飛びのいた。棘でも刺さったのか。


「あの」

「は、はいっ」

「私、少し疲れてしまったようで」

「あっ、うん、じゃあ、休まないとね」

「すみません」


あたふたとする青年を置いて、高安は壁際の椅子に帰ってきた。疲れたのは本当であった。足が痛い。背中が痛い。笑顔を作り続けるのにも疲れた。


図鑑の表紙は大輪のバラであった。深緑のカバーに金色で描かれている。花束は文庫本と共に隣の椅子へやり、せっかくだからと開いてみた。


もくじによると、花言葉だけではなく写真も載っているらしい。やたら分厚い理由が分かったところで、中身を確かめていく。


花言葉というと女々しい印象しかなかったのだが案外そうでもないらしく、強烈な臭いで悪名高いドクダミには「白い追憶」と「野生」という言葉が与えられていた。


香りと記憶は結びつくとも書いてあり、納得した。まさしく自分がそうであるからだ。


ポピュラーな花の中でも、やはり探してしまうのは記憶に深く根付いたものたちだ。香りだけではない、花そのものが斎藤の仕草や言葉と固く結びついて、彼の声を鮮明に蘇らせるのだ。


一つの花に複数の花言葉が持たされているのは特に珍しくないようで、ヤブランにはさらに「忍耐」と「隠された心」という言葉が冠されていた。


(……あれ?)


トリックの追及を避けた斎藤は、わざわざ花瓶に合わないこの花を出したのだった。


言動と花言葉と照らし合わせると、なにやら見えてくるものがある。


かちりと、ずれていた歯車が噛み合い、何かが動き出した気がした。


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