冬の夜に定番な……
今夜は雪になるでしょう、と言ったのは、天気予報のアナウンサーだった。だから、真冬の星空を見上げて心の中で、それは嘘になるでしょう、と、付け加えた。
途端、天罰だとでも言わんばかりの北風が吹き、頬が凍ったような気がした。放射冷却、なんて言葉が凍えた三日月で思い起こされ――、誰かと放射冷却について熱く語ったことがあった気がしたけど、どうもよく思い出せなかった。
ともかく、晴れているから寒い。そういう図式だ。
こういうとき、双葉ならなにか流行の歌のひとつふたつ口ずさむんだろうけど、どうにも俺にはそんなのが出てこなかった。気分に合ったメロディーが浮かばなかったって言うのもあるのかも。
……いや、サラリーマンが深夜に歌うとか、どんなだよ。
自分で自分につっこみ、カンカンカン、と、安いアパートの階段を上がる。学生時代から住み続けている、二階の角部屋、205号室まではもう少し。
あと数歩で、二十二度の室温が俺を出迎え――。
深夜だからか、控えめな音で開けられたのは204号室のドアだった。
「おやすみ」
外着のコートは着込んでいたけど、覗く足元はチェックのパジャマだったから、俺は軽く挨拶して擦れ違おうとしたけど、双葉はがっちりと俺の襟首を掴んだ。
「何時だと思ってるのよ。出かけた足音、聞こえんだかんね、ここ」
「一時。もしかして、起こしたか?」
「ううん。別に、なんか寝付けなかったから良いけどさ……」
双葉の部屋に入ると、俺の部屋よりも若干暖かいぐらいの室温が出迎えた。後ろ手でドアを閉めた双葉に、一応、と、錠をする俺。
「って、アンタ、その匂いはなによ」
「なにって……肉まん。知らない?」
コンビニの袋をちょっと持ち上げてみせる。
双葉は、眠いのも相まってか、半目で俺を睨んだ。風呂は済ませてもう大分時間が経っているのか、ウルフカットの髪は乾いていた。
「知ってるっつーの、知らないやつがいるか。百八円の冬のちょっと小腹が空いた時に食べたくなるアイテムを!」
部屋の間取りは全く同じだけど、内装は随分と違う。畳の部屋だって言うのに、双葉はベッドに机と洋風の家具でバッチリと部屋を固めている。
コートを脱いだ双葉は、俺しか居ないから良いという感覚なのか、綿の入ったぼてっとしたどてらを着込んで、ベッドに腰掛け、横をポンポンと叩いた。
上着を脱いで、素直に従う。
「あれ? ジャージじゃない。寝なかったの?」
自分の服装を改めれば、カーゴパンツに、上はロングTシャツと襟周りの空いた男物のカーディガンだ。まあ、寝る格好じゃないな。
「少し早めに布団に入ったんだけど、寝入る前に、なんか逆に身体があったまりすぎて眠気がどっかいった」
説明すると「ああ、そういう時あるよね」と、双葉は言いながらポットからカプにお湯を注ぎ、片方を手渡してきた。
「ほうじ茶だし、大丈夫だと思うけど、カフェイン気にする?」
「別に、一日ぐらい寝れなくても死にはしない」
それに、俺の部署は、開発・製造部門との意思疎通が上手くいっていたので、年度末に向けて無理して新商品を設計するような状況じゃない。失点を出さないように、新年度の人事に備え、ゆるゆるとした消化試合をしているようなものだった。
「半分こ――、って、ふたつ買ってきたの? 太るよ、こんな時間に。糖尿になっても、アタシ、看病してあげないからね」
「たまの不摂生で生活習慣病に掛かってたまるか。そんなのは、健康のためなら毒でも平気で飲み干すような本末転倒な連中の理論だ。てか、太って困るのはお前の方だろ」
「なにが?」
ちょっと挑発するように俺を睨んだ双葉。
「少し前に、正月、実家で食い過ぎたって風呂場で叫んでたろ。丸聞こえだからな」
「あれは」
「あれは?」
「心の声だから無視しろ。って、脇腹触ったら怒るよ。しばらく、デートしたげないからね」
やれやれ、と、悪戯というか、セクハラしようとした左手を引っ込める。
「なるほど、それは困るな。お前、変に意地はるとこあるし」
「うるさい。そんなのに惚れたくせに」
まったくな、と、軽く笑う。
双葉が肉まんを齧ったので、俺も自分のに手をつける。
しばらく、無言で食べ、ほうじ茶で余韻を流したけど、不意に双葉の方が口を開いた。
「やっぱさ、一緒に住んだ方が良いのかな?」
「ん~?」
付き合ってしばらく……というか、結構長く経っているから、何回かそういう話は出て来ていた。でも、お互いに、ある程度自由にしたい部分があったし、一緒に居たい時はどちらかの家に泊まる、と言う形で今は落ち着いている。
「双葉はどうしたい?」
「ん~。……いずれ、もう少し経ったら、なにか切っ掛けがあれば。だけど、やっぱり週に半分はどっちかの家で過ごすからねー」
…………。
ふむ。
「双葉」
「なに?」
「ちゅーしてやろうか? うおっぷす⁉」
言うや否や、枕で顔を叩かれた。
「普通の、男は! もっと硬派なの! そんなことを言うな!」
怒ってはいるんだけど、どこか照れ隠しなのが表情から透けていて、膝の下に腕を入れてお姫様抱っこすると、意外とすんなりと双葉は膝の上に抱かれた。
「そんなのに惚れたくせに」
「こんなに、甘い台詞を吐くやつだとは思わなかったんだもん」
「別にいいと思うけどな。俺は、好きなものは好きって言ってるだけなんだし」
双葉の頬に軽くキスして、一度口を離して、耳にもう一回キスして、好きだと告げた。
「バカ。お前のような男がいてたまるか」
「ここにいる」
「屁理屈」
「こんな遣り取りも好きなくせに」
むー、と、双葉が口を尖らせたので、すかさず唇にもキスをした。
「ばーか」
「バカで結構。それで、どうした?」
突っ張っていた意地が解けたのか、双葉は、会社では絶対に出さないようなボソボソした声で話し始めた。
「うん。なんか、階段降りる足音聞いたら、なんか、急に甘えたくなって。アンタが悪いんだ。男の癖に、彼女甘やかしすぎるから」
「そういう時、あるな。素直に電話でもして呼べば良いのに」
フルフルと双葉は首を横に振る。
「すぐに帰ってくると思ったから、待ってた」
「そっか」
少し強く双葉の肩を抱き寄せると、こてん、と、双葉が胸に頭を預けてきた。
「今日、このまま泊まっていくでしょ?」
「俺は平気だけど、双葉は良いのか?」
「いーの、正月休み元が長かったから、前後に有給つけなかったし。それに知ってる? 今夜、雪の予報なんだよ」
「ああ、まあ、晴れてたけどな」
「いーの、明日になれば積もってる」
拗ねたような顔の双葉をしっかりと見詰め、そういうことにしようか、と、軽く額に口付けして、頬、唇と軽く何度もキスをしていく。
「ね。アタシ、アンタのこと、手放してあげないからね」
ふふ、と、素直になったけど強気なのは変わらない双葉に少し笑って「それは男の方の台詞だ」と、答え。強く抱きしめた。
部屋の灯りを消す前に見えた夜空は、満天の星がまるで雪のように見えていた。