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災難というものは重なるものである。
それは所謂、厄日と呼ばれるもの。
その日その日の運ばかりは自分ではどうすることもできない。
解決策はただ1つ。
諦めてしまうことが今の俺に考えうる最善の策であった。
「はあ、分かった。その部屋を借りる」
「ありがとうございます。朝食のご用意はいかがなさいますか?」
不気味なまでに満面の笑みで俺の腕を掴んでいるリリィを見る。
脳内の花畑が見えそうな程にこちらの話など聞いている様子もない。
「よろしく頼むよ」
「かしこまりました。お部屋は2階の奥12番になります。それではよい夜を」
ルームキーを受け取り、受付の真横にある階段を登っていく。
その直前に横目に見えた店主のガッツポーズが俺には煽っているようにしか見えなくて、大人げなくも舌打ちをしてしまった。
「マスター、このお部屋みたいですね」
リリィはルームキーを奪い取ると、先に室内へと入る。
内装はとても殺風景。
いつ潰れてもおかしくないような外装からある程度は予想できていたが、机とベッド、簡易シャワーしかない。
まあ、それでも野宿をしないでいいだけ良しとしよう。
「私、シャワーを浴びてきますね」
「ああ、俺は外に出てるから浴び終わったら呼んでくれ」
「一緒に入らないんですか?」
「入るわけないだろ……」
「残念です」
どこまで本気なのかも分からないリリィから逃げるように俺は部屋を出た。
「こんな時間にお出掛けですか?」
「ああ、酔いをさますために夜風に当たりたくてな」
「左様ですか。今日は大変な1日でしたからね。キャパシティ以上に飲みたくなる気持ちも分からないでもありませんね」
大変なのはこれからかもしれないんだけどな。
そう心の中で呟き、宿を出る。
頬を伝う風は少し寒いが、酔った身体にはそれはそれで心地良い。
少しずつ覚醒しつつある意識の中で、俺は今日起こったことを思い出していた。
朝は魔王を引き連れて町外れの魔物の巣窟まで冒険。
そこでクソ魔王の一言により、1年以内に魔王討伐を成し遂げなければいけないことの運びとなった。
そしてその後は城に戻り、ロリコン国王の反対を押しきって魔王の身柄を解放。
俺らも冒険に出るために城を出発し、鍛冶屋で武器を新調する。
夜になって武器の出来上がりを待つ間でここ、ミュナーの街へ移動。
そこでパラディンのミリスと出会い、リリィとミリスの口論に巻き込まれた。
そんな最中で魔物の群れがこの街を襲撃して、それから二人が仲直り。
そしてこの街で一晩明かすことになって宿屋へ向かった。
ここからが地獄だったなと改めて思う。
魔物の襲撃の影響を受けて、家を失った街人が宿を占拠しているだなんて思いもしなかった。
空き部屋がどこに行っても見つからず、最後の最後でたどり着いたのがボロ宿。
ようやく空き部屋が見つかるも一部屋のみ。
宿を探す最中で良いが回ってきたのか、スキンシップが激しくなってきたリリィと同じ部屋で寝るかと思うと気も休まらない。
「マスター、戻ってきてください」
そんな回想を終えた頃、タイミング良くリリィから通信が入り部屋に戻ったのだが──
扉を開くと待ち受けていたのは肌色の世界だった。
「マスターおかえりなさ──ってどうしてドアを閉めるんですか!」
俺がおかしいみたいな感じでリリィは悲痛な叫びを続けているが、それはないはずだ。
もし何か間違った行動を取ったのだとすれば、それは種族の違いによるカルチャーショックに似た何かであろう。
「リリィ、とりあえず服を着てくれ」
「……分かりました」
少し返答に間が空き、それから唇を尖らせている様子が伝わってくるような渋々な返事。
扉越し、微かに聞こえてくる衣擦れの音。
ふと力が抜け、扉にもたれると溜め息がこぼれる。
安堵が半分、嘆息が半分。
寂寥感だけが無意味に積もった理性の勝利だった。
「服を着たのでそろそろ入ってください」
「ああ」
声に促され部屋に入ると、力なく壁に倒れこむ様にして座る。
「シャワーは朝起きてから浴びるわ。今日は疲れたからもう寝る」
蓄積した疲労はふとした拍子に表面に顔をのぞかせるもの。
それが今は私的な空間に入ったことによる緊張の緩和であり、部屋の中で一番ベッドに遠い場所である入り口の傍を陣取った安心によるものであった。
しかし、往々にして物事は思い通りにならないものである。
「それはダメです!」
切れそうになった意識を現実に引き戻す声。
この空間に自分一人ではないという面倒な事実がまだ残っていた。
「ちゃんとベッドで寝てください。疲れているなら尚更です」
「ベッドはリリィが使ってくれ」
「マスターを差し置いてそんなことは──」
「なら、そのマスターからの命令だ。リリィはベッドで寝ろ」
召喚という名の主従契約。
そこには人智を超越した強制力などはない。
あくまでもリリィが自主的に従ってくれているだけのこと。
まあ、それは魔王に関しても同じことであると実証されている。
だからこそ俺は対等でありたいと思っていて、このような命令なんてことをしたくはなかった。
ただ今はそんなことよりも、女の子を床で寝させるわけにはいかないという紳士的な欺瞞と、早くこの話を終わらせて眠りにつきたいというエゴが勝っている。
「……分かりました。ならばせめてマスターも一緒にベッドを使ってください」
「悪い。俺は近くに人がいると寝れない質なんだ」
目的遂行のためならば平気で嘯ける。
優しい嘘だなんて上っ面だけを取り繕う気はない。
これも社会で生きていくために必要とされたスキルで、そして俺が嫌になった社会を象徴する行為。
内心こんな自分に腸が煮え返りそうになる気持ちを落ち着かせる。
「これだけでも使ってください」
リリィに毛布を渡される。
その表情には葛藤の色。
「ありがとう。あと、おやすみ」
「はい、おやすみなさい」
ベッドに向かって遠ざかっていく足音を聞きながら、わずかばかり残っていた緊張の糸も切れ、泥のように深い眠りに落ちていく。




