第二章:「 ツッキー 」 そして 「 ゆり 」
私と小百合さんの仲良しは、ずっと続いていた。
ある日の事である、小百合さんから、
「私の事を、『小百合さん』って言うのは、もう止めましょう。こんなに仲良しなんだから、親友なんだから!、もし良ければ、『ゆり』って呼んで」と、
(『親友』なんて、大胆な発言、今更ながら、小百合さん自身からそんな発言をするとは)
家政婦さんまで居るあんな立派な家に住んでいる子を、いくら仲良しでも、呼び捨ては??、
(では、せめて「高橋さん」って言おうかなと思ったけど、よくよく考えれば、私も「高橋」だ。それも変だし……)
ちょっと返答に困っていた私の仕草を感じたのだろうか、
「お願い、『ゆり』って呼んで、迷惑?」 と言ってくれた。
迷惑なんてとんでもない、私は、昔からの幼なじみの様に振舞おう、と心に決め、
「ゆり」って、言葉を返した。 ゆりはよっぽど嬉しかったのだろうか、
「ありがとう」と、そして、にこっと笑顔をみせてくれた。
それなら私も、と思い、いつも男子から、
「月子って名前古くさいし、ダサイよな」って、冗談まじりに言われ、
「なんだって!!!」っと、跳ね返してはいるものの、内心、正直なところは、……。
男子達も何の悪気も無く、言っているのは解っているけど、私も、なんで月子って名前なの?、やっぱ、ダサイ?。 と、両親を恨んだ? 事もある。
私は、ゆりに、
「解った、じゃぁ、これからは『ゆり』って呼ぶね。でもさ、私の事も 『月子さん』、じゃなくて、なんか違う、う~ん……、何かいいニックネームないかな~」
すると、
「ず~っと思っていたんだけど、いつもみんなに明るさと、そして勇気も与えてくれる。漆黒な闇夜でもみんなを照らしてくれる、そんな月子さんがずっと好きで、もし、良ければ 『ツッキー』って呼んでもいい? 」、
もちろん、大歓迎である。いつもいつも地元では、
「月子って名前、ダッセ」 などと言われていた私にとっては、嬉しい限りのニックネームである。
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月日も流れ、小学校の5年生の運動会の時、成績不振の私ではあるが、体育と美術だけには、ちょっぴりの自信があった。
(成績不振?、単に体育と美術以外は、頭が悪いだけか? )
50メートル走では、1着でゴール、100メートル走では、(私らしく? ) 途中でこけてしまって、惜しくも2着。そして、運動会のファイナルが近づく、3年生から6年生までの代表選手が参加する最終種目、運動会メインイベントである対抗リレ-。5年生ながらにして、アンカーだった私。
場内では、最終種目を告げるアナウンスが、
「本日はありがとうございました。次の競技は本日の最終種目となる対抗リレーです。どうぞ、最後まで熱い応援をお願いします」 と、
一周100メートルのトラックを、4人でバトンを繋ぐ、計400メートルのリレーだ。
第一走者が緊張な面持ちでスタートラインに着く、そして、スタートを知らせるピストルの音。
緊迫したレース展開。さっきのような事態(途中でこける?)など、許されない状況。いよいよ最終周回、私は2位でバトンをもらうと、猛然とダッシュ。みんなの大声援、
そんな中、
「ツッキー!、ツッキー!、頑張れツッキー!、ツッキー! 」 と、そして、私は1着でゴールインした。
ツッキー、ツッキーの声援は、ゆりからだった。 いつも物静かなゆりが、一生懸命に応援してくれた。 そのせいもあったのか、マドンナ的なゆりのおかげ? か、私もダサイ呼び名の、「月子」から「ツッキー」と、ニックネームで呼ばれるようになっていった。
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**予告**
第3章:網の目のある高級マスクメロン
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