カギ
「ほら、早く支度しろよ」
「分かってるって」
サイフとケータイを持って家から出て、兄貴が戸締りをしてくれた。
俺は松林竜也二十一歳。午後五時だが、これから兄貴を駅まで送らなきゃいけなくなった。兄貴が大学時代の仲間と飲みに行くことになり、駅まで遅れとパシリにしやがったんだ。しかも帰ってくるのは翌日。当日ならまだしも、翌日なら自分で行けるだろ。……ったく、自分のことくらい自分でしようと思わないのかこの男は……。さすがの優しい俺でもぶちっとキレそうなるぜ。ただ、兄貴が持ってるP〇3をいくらでも使っていいということで、俺の怒りも氷河期レベルに収まったんだけどな。
ウチは家族五人暮らしだ。兄姉弟という三人兄弟で、末っ子はもちろん俺。昔からパシられていたこともあって、何かと断れない性分なんだ。奴隷性質を昔から叩き上げられたとも言っていい。それもあって兄貴を送ることになったりしてる。……ため息をつくほどに悲しくなるぜ……。
「免許持ったか?」
「それなきゃ捕まっちまうよ」
サイフの中から免許を取り出した。うんうん、と頷いて、駐車場へ向かう。
一年前に免許を取ることができた。……懐かしい。本試験の会場が遠い場所にあるために、姉貴にそこまで送ってってもらったもんだ。緊張したけど、試験慣れしてることもあったのか結果は一発合格。正直、手応えはなくて二回目に挑戦しようと諦めてたんだ。まぁ、合格できて何よりだ。
「タツ、なにぼーっとしてんだ。早く乗れよ。初心者マークはいるか?」
「なめんな!」
俺は車の鍵を開けて運転席に乗り込み、エンジンをかけた。
今乗り込んだ車だけど、この車はけっこう便利だ。専用のリモコンでドアの開閉ができるだけじゃなくて、鍵がなくてもエンジンをかけることもできるんだ。車には詳しくはないんだけど、キーの部分に既に取っ手がついてて、それを回すことでオンオフを操作できるようだ。それらの操作はリモコンの電波(?)で行われるらしい。
まずはブレーキを踏みながら座席とバックミラーの位置を調整して、シートベルトを付ける。一応周りを確認して、フットブレーキを外してギアを〝D〟へ。そしてブレーキからアクセルへ足を変えて踏み込むと、
「おぅっ」
急に走った。
「もうちっと優しく運転できねーのかよ」
「寝起きなんだろ? いい気付けじゃん」
「俺をむち打ちにする気か」
「気を付けるよ!」
この車は兄貴のなんだが、少し使いづらい。何でかってーと、ギアを変えるシフトレバーがハンドル脇にあるのとフットブレーキに慣れないからだ。俺が教習所で使った車は運転席と助手席の間にシフトレバーがあったんだけど、兄貴の車はハンドルの左側、つまりワイパーとかを動かすレバーの近くにあるんだ。これがけっこうクセモノで、二つは離れてるんだけど不器用な俺はよく間違えるんだ。発進! って時にワイパーをウィーンウィーンってノンキに動かしちゃって笑われたことがある。あと、フットブレーキ。これは〝サイドブレーキ〟がブレーキの左側に設置されたものだ。これもよく踏み間違える。でもこの二つを間違うことは即死に繋がるから、なんとかミスはなくした。でも、日を空けると危ないから、よく点検してから乗るようにしてる。
左に曲がる。オレは徐々に減速しながら、ウィンカーレバーを上に上げた。メーターにチッカチッカと左矢印の緑ランプが点滅する。
「それにしても、上手くなったもんだな」
「まぁな。家族にさんざんパシられてればイヤでも慣れるよ」
「俺が育てたようなもんか。感謝しろよ」
「身勝手極まりないなおい」
「違いないっ」
兄貴はケラケラ笑った。
「途中のコンビニでなんか買ってく?」
「お前のオゴリなら行ってもいいぜ」
「人の善意をさらにタカるのかよっ」
「他力本願って言うだろ」
「ますますサイテーなクソ兄貴だなっ」
「あっはっはっは!」
そろそろ駅に着く。駅前は他の車も停まってるから、徐行で行った方がいいな。
ブレーキとハンドルを駆使して駅の入り口前に停まった。ウィンカーは左を点けて、停車を周囲に知らせる。
「ありがとよ」
「おみやげヨロ」
「近いのに土産買うかっ!」
「それは言えるっ」
「じゃあな」
「気ぃつけて」
兄貴は助手席を下りて、駅の方へ歩いていった。
俺はそれを見送った後、
「……」
車を発進させた。ちなみに停車から発進する時は周囲を確認して、ウィンカーを左から右に変更、その後にもう一度周囲を確認してから発進する。
「……涼しいな」
窓から入ってくる風が心地良い。灼熱の夏直前だけど、この風はいつも涼しい。俺が汗かいてるからかな。
帰路について、自分の家の駐車場に停まった。エンジンを切る時はブレーキを踏みつつ、シフトレバー、フットブレーキの順で掛けてからエンジンを切る。ブレーキを踏むのは〝クリープ現象〟っていう車が勝手に動き出すのを止めるからだ。そうしないと誰か轢いちゃったりぶつかったりしちゃう。
「……あ」
その前に、
「わすれてた」
窓を閉めるのをお忘れなく。
今は……五時二十分くらいか。こんくらいだろ。
俺は最後に車を点検して、ロックした。念のためちゃんと閉じたかもチェックする。……うん、大丈夫だ。
家に帰ってゲームでもするか。
「ただいま~」
誰もいないけど挨拶は言う。これは泥棒が入ってるかどうかを確認するだけじゃなく、動揺を誘うことにも効果があるらしい……テレビでやってた気がする。
「ただいま~」
…………。
「……」
鍵しまっとる。そりゃ当然だ。兄貴がきっちりかけたからな……。
「……しまった」
俺はアホだっ!
「鍵……忘れた」
俺は家の鍵を持たず、家の戸締りは兄気がしてくれた。でも、兄貴は飲み会で帰って来ない。つまり、俺は家に入れない。
「やっば」
俺は勝手口や二階の方も見てみた。……二階は窓が開いてるものの、そこへ上がるのは無理だ。脚立を使うと一直線にしないとぎりぎり届かない上に、俺の体重に耐えられない……気がする。ボキッと折れるのが関の山だ。
しかももっと最悪なことがある。
「……遅いよな」
両親と姉貴も出掛けているけど、帰ってくるのは六時半くらいだ。時間をみると……今は五時半。
「まじかよ」
俺は家の前でありながら、一時間も待たされることになる! ただのマヌケだろっ! オレ!
念のため郵便受けや植木鉢、物置の中など誰かが鍵を置いていってくれてないかあるいはどこかから侵入できないかを調べた。徹底的に。でも、やっぱり見当たらなかった。それも当然、数年前に空き巣に荒らされてから松林家の防犯意識は格段に上がったのだ。だから出窓には家の中からカーテンバー、一回のドア全てに鈴を付けたりと空き巣が入ってもすぐ気付くようにした。また、庭には音が良く鳴るという砂利、夜中に近づくと光るライトも導入した。
……これじゃ、傍から見たら俺は空き巣みたいじゃないか! まぁ近所では俺がこの住んでることは知っているので、最悪通報まではされないだろう。でも一時間もここで待つというのか……。長いような短いような……。
「……こうなったら仕方ない!」
俺はサイフから何かを取り出した。
「……」
それは二本の針金だった。……そう、〝ピッキング〟だ。自分の家でピッキングするというのはおかしな現象だが、一応立派な犯罪なので、良い子の皆さんは絶対にマネしちゃダメだぞ。
ピッキングと言っても、俺の腕は所詮は南京錠を開けられるレベル。家の鍵、ましてや自分の家なんてしたことがあるはずもないっ! なので、
「ムリだよねー」
当然無理だった。ちなみに、ピッキングをすると自分の家の鍵では開けられなくなる恐れがあるので、それを含めてマネちゃダメだぞ。
「う~ん……」
俺は勝手口に佇み、ひたすら考えた。二階から侵入してもいい。でも、リスクを考えるとキツイかもしれない。脚立が耐えられるか、というのもそうだけど、屋根がへし折れないかが心配だ。小さい頃はよく屋根に乗ってたものだけど、今の体重を考えると……悲しいことに保証できない。この歳で屋根に乗ることがないから、分からない。
とすると最善の方法は……、
「待つしかない……ん?」
こつこつとどこかから音がした。そちらを向くと、
「……なにしてんの?」
「……」
姉貴が冷めた目で見ていた。勝手口を開けて。
「……」
「……」
翌日、鍵を忘れた俺は家族全員に笑いものにされた。想像を絶するほどの恥ずかしさ。しかも姉貴にいたっては、
「ほんっとに面白いな!」
一部始終を家の中から見ていたというのだから……趣味の悪い女だなっ! ちくしょう!
そして後日、例によってまた送ることになった。今度は姉貴だ。
「鍵持った? くすくすくす……」
「うっせえぇっ! ビルに突っ込むぞ!」
玄関を閉めようとした姉貴を払いのけ、俺が戸締りした。
「今度はバッチシだろ」
「そうだね、〝今度〟は」
「ドリフトかましてやるからな……」
姉貴の車を借りていくことになった。
「ところでタツ」
「なんだよ」
俺が一通りの手順を終えて、エンジンをかけた時だった。
「姉貴、忘れ物か?」
「いや、そうじゃなくて」
「?」
「あんた、サイフは?」
「……」
サイフ……サイフ……。
「家だ」
「今すぐとってこい大バカ」
「すんませーん」
忘れ癖……まだ直んないようだ……はぁ……。