これまでの登場車種
作中に登場したクルマの紹介です。(現時点で第23話まで)
ただし、モブキャラの車は載せません。
日産 180SX RPS13(スペック値は96年型を参考にしている)
販売期間:1989年~1998年12月
セグメント:Sセグメント・スポーツカー
先代車:S12型ガゼール(事実上)
後継車:S15型シルビア(統合)、S14型200SX/240SX(日本名:シルビア、欧州/北米仕様の後継)
名前の由来:排気量・1.8リッター+日産の海外向けクーペに使われる名前「SX」
海外名:240SX(北米向け、エンジンは2.4リッターN/AエンジンのKA24DEを搭載)、200SX(欧州向け、マイナーチェンジ前は名前に反して1.8エンジンを積んでいる)
全長:4.5m
全高:1.3m
全幅:1.7m
定員:4人
ボディタイプ:3ドアハッチバッククーペ
車重:1240kg
駆動式:FR
エンジン:SR20DET(2リッター直列4気筒DOHCシングルターボ)※中期以降
サスペンション:前輪ストラット/後輪マルチリンク
パワー:205馬力
トルク:28kg
ギア数:5速
作中の搭乗者:大崎翔子(※デザインは後期型)
通称「ワンエイティ」
シルビアのハッチバック版としてデビューしたのが180SXだ。かつて日産で発売されたガゼールの事実上後継車でもある。日産901運動(1990年までに日産自動車を売り上げ世界一を目指す運動の略)の名車の1つ。
この車は北米で3ドアハッチバックのボディと車名が相まって、「240ZX(初代フェアレディZことS30型の海外名)の再来」と呼ばれた。
名前の由来は、搭載しているエンジン・CA18DETの排気量の1800ccから取っているが、後述の1991年のマイナーチェンジでCA18DETから2000ccのSR20DETに変わった後も、「200SX」に改名せず、180SXの名前のまま販売された。
この車は北米シルビアを日本で販売した車で、本来ならS13シルビアのフルモデルチェンジと同時に販売終了する予定だったものの、S14型シルビアの子供ぽく地味過ぎる外見が不評により、ワンエイティはフルモデルチェンジせずに引き続き販売された。
S13型のシルビアとは兄弟車であるため、パーツが共通するものが多く、顔面移植するケースもよく見られる。これらの車の名前は「シルエイティ(シルビア顔のワンエイティ)」「ワンビア(ワンエイティ顔のシルビア)」
ちなみに「~SX」という名前は2代目シルビア(S10)型の頃から使われいた。この名前はシルビア以外にもルキノというFFクーペの北米仕様にも使われている。
日産 GT-R R35(スペックは'07年式を参考)
販売期間:2007年12月~現在販売中
セグメント:Sセグメント・スーパーカー
先代車:R34型スカイラインGT-R
名前の由来:グランド・ツーリング・レーシングの略
海外名:日本仕様と同じ
全長:4.6m
全高:1.4m
前幅:1.9m
定員:2~4人
ボディタイプ:2ドアクーペ
車重:1740kg
駆動式:4WD(アテーサET-S)
エンジン:VR38DETT(3.8リッターV型6気筒DOHCツインターボ)
サスペンション:前・ダブルウィッシュボーン/後・マルチリンク
パワー:480馬力
トルク:60kg
ギア数:6速
作中での搭乗者:坂下智
通称「R35」
スカイラインGT-Rの後継車で、初代・KPGC10型から数えると6代目に当たる。
先代までは2ドアスカイラインをベースにエンジンやサスペンションを強化したチューニングカーだったが、R35は「スカイライン」の名称が消滅して、車体やドライブトレインが新開発となる独立した車になった。
エンジンはVR38DETT型3.8リッターV6ツインターボエンジンを搭載する。パワーは国産最高の480馬力を達成し、後のマイナーチェンジで485から550馬力までに上がっている。
第2世代に引き続いて、アテーサET-Sの4WDを搭載し、トランスミッションは新たにデュアルクラッチミッションを採用した。
スカイラインから独立したことにより、設計の自由度が増し、トランスアクスルレイアウトを採用したことにより第2世代のスカイラインGT-Rの弱点だったフロントヘビーを克服している。
2008年4月に行ったニュルブルクリンク北コースのテストでは当時の市販車最速となる7分29秒3を記録した。
トヨタ スープラ JZA80(スペックはRZの後期型を参考にしている)
販売期間:1993年5月~2002年
セグメント:Sセグメント・スポーツカー
先代車:MA70/JZA70型スープラ
後継車:現時点でなし
名前の由来:ラテン語で「至高かつ最高」「上へ」「超えて」
海外名:日本仕様と同じ
全長:4.5m
全高:1.3m
全幅:1.8m
定員:4人
ボディタイプ:3ドアハッチバッククーペ
車重:1510kg
駆動式:FR
エンジン:2JZ-GTE(3000cc直列6気筒DOHCターボ)
サスペンション:前輪ダブルウィッシュボーン/後輪ダブルウィッシュボーン
パワー:280馬力(※輸出用は320馬力)
トルク:46kg
ギア数:6速
作中の搭乗者:葛西サクラ
通称「80(ハチマル)」
先代・70型のリトラクタブルライトを採用したロングノーズなボディから固定式ライトのグラマラスでマッチョなボディに変わり、スポーツカーとして抜群なスタイルを手に入れた。
エンジンは同社のアリストにも搭載されている2JZ型3リッター直列6気筒DOHCのツインターボとNAの2種類。特にツインターボはチューニングのベースとして人気が高く、中には1000馬力を超すものもある。
ギアボックスは国産車としては初めて、6速トランスミッションを採用した。これはドイツのゲトラグ社がトヨタと共同開発したもので、後に日産のBNR34型GT-Rを始めとするスポーツカーにも採用される。
97年のマイナーチェンジで連続可変バルブタイミング機構、通称「VVT-i」を採用し、ツインターボ仕様のトルクを44kgから46kgに上げ、燃費とコーナリング性能も向上した。
マツダ RX-7 FD3S(スペックはスピリットRタイプA(生産終了記念モデル)を参考にしている)
販売期間:1991年12月~2002年8月
セグメント:Sセグメント・スポーツカー
先代車:FC3S型RX-7
後継車:現時点でなし(※後に発売されるRX-8は新規車種)
名前の由来:「R」はロータリーエンジン、「X」は未来を象徴する記号、「7」はマツダ社内での車格番号
海外名:日本仕様と同じ
全長:4.3m
全高:1.2m
全幅:1.8m
定員:2人
ボディタイプ:3ドアハッチバッククーペ
車重:1270kg
駆動式:FR
エンジン:13B-REW(1.3リッター2ローターツインターボ)
サスペンション:前輪ダブルウィッシュボーン/後輪ダブルウィッシュボーン
パワー;280ps
トルク:32kg
ギア数:5速
作中の搭乗者:雨宮芽来也
通称「FD」
3代目RX-7が登場したのは1991年末。先代・FD型まで名乗っていた「サバンナ」が消え、新たに「アンフィニ」というサブネームが付く。
ボディはボンネット、スペアホイール、足回りなどをアルミ製にし、1270kgという奇跡の車重を手にいれた。また、
エンジンをフロントミッドシップに置くことで50対50というスポーツカーという理想の重量配分になった。
1998年のマイナーチェンジで、フルモデルチェンジと同時に名乗った「アンフィニ」というサブネームが消え、パワーは280馬力にパワーアップするという進化をした。
しかしパワーアップしてゆく中、2002年に排ガス規制が厳しくなったと同時に生産終了を発表した。それを記念に発売されたモデルが「スピリットRシリーズ」だ。そのひとつのタイプAはRZをベースに専用ホイールのような特別な装備を付けている。
イギリスの雑誌「テレグラフ」誌WEBサイトが選ぶ最も美しい車100選で、日本車として最高位の61位にランクインしている。(他にランクインしている日本車は、92位に日産300ZX(日本名・Z32型フェアレディZ)、95位にトヨタ2000GT)
なお、この車は日本車として最後のリトラクタブルヘッドライトを採用している車になった。(世界の車も含めると、2005年に生産終了したアメリカのGMシボレー・C5型コルベットが最後)
ホンダ インテグラタイプR DC5
販売期間:2001年7月~2006年4月
セグメント:Sセグメント・スポーツカー
先代車:DC2型インテグラタイプR、BB8型プレリュード
後継車:現時点でなし(北米市場での後継はシビッククーペ)
名前の由来:「完全なものにする」という意味の「インテグレート」がなまったもの+ホンダの最上級スポーツグレード「タイプR」
全長:4.4m
全高:1.4m
全幅:1.7m
定員:4人
ボディタイプ:3ドアハッチバッククーペ
車重:1170kg
駆動式:FF
エンジン:K20A(2リッター直列4気筒DOHC)
サスペンション:前輪ストラット/後輪ダブルウィッシュボーン
パワー:220馬力
トルク:21kg
ギア数:6速
通称「DC5」
インテグラとしては4代目で、タイプRのインテグラとしては2代目にあたる。
同社が生産していたスペシャリティクーペ、プレリュードとの統合の関係上、先代に設定されていた4ドアが廃止されてクーペモデルのみとなった。
NAながらハイパワーな220馬力のエンジン、チューニングされたブレーキを装着することで性能をアップさせていった。
だが、安全性を考えたボディのせいで車重は先代より100kg重く、フロントサスペンションがダブルウィッシュボーンからストラットになっていたり、室内空間を広くするために全高を高くする(高くすると空力性能が悪くなるから)と言った点で不満の声が大きかった。
それでも、先代DC2型同様世界最速のFFと言われて評論家たちから高い評価を得た。
軽いボディと220馬力のハイパワーなエンジンの組み合わせでパワーウエイトレシオは5.41kg/馬力とBNR34型GT-Rより良い数値を出している。
日産 フェアレディZ Z33(スペック値は05年型を参考にしている)
別名:350Z(海外向け)
販売期間:2002年7月~2008年12月
セグメント:Sセグメント・スポーツカー
先代車:Z32型フェアレディZ
後継車:Z34型フェアレディZ
名前の由来:アメリカのミュージカル「マイ・フェア・レディ」+究極を意味する「Z」から(海外向けの350Zの由来は排気量の3.5リッター+究極を意味する「Z」から)
全長:4.3m
全高:1.3m
全幅:1.8m
定員:2人
ボディタイプ:3ドアハッチバッククーペ
車重:1550kg
駆動式:FR
エンジン:VQ35DE(3.5リッターV型6気筒DOHC)※中期型
サスペンション:前輪マルチリンク/後輪マルチリンク
パワー:294馬力
トルク:35kg
ギア数:6速
作中の搭乗者:柳田マリア
通称「Z33」
先代Z32型の生産終了後、2年間フェアレディZは販売にブランクを開けていたが、2002年の夏にやっとZ33型へフルモデルチェンジした。このことは大ニュースとなった。
先代まで設定されていた4人乗りは廃止され、2人モデルのみとなる。
当初は直列4気筒エンジンが搭載する案もあったが、最終的に先代より0.50リッター増しの3.5リッターを積むのことになった。先代までにあったターボモデルは設定されていない。
このZ33は毎年マイナーチェンジを行い、年を重ねるごとに性能を進化させていった。
V35スカイラインとはシャーシを同じくする兄弟車であり、V35とシャーシを同一することによって300万円という安さを実現する。
ダウンフォースはとても良く、cd値は0.29と当時クラストップの空力性能を実現した。
日産 ローレル C33(スペックはメダリストクラブSを参考にしている)
販売期間:1989年1月~1993年1月
セグメント:Dセグメント・ミドルクラス・ハイオーナーカー
先代車:C32型ローレル
後継車:C34型ローレル
名前の由来:英語で「月桂樹」の意味
全長:4.7m
全高:1.4m
全幅:1.7m
定員:5人
ボディタイプ:4ドアセダン
車重:1330kg
駆動式:FR
エンジン:RB20DET(2.0リッター直列6気筒DOHCシングルターボ)
サスペンション:前輪ストラット/後輪マルチリンク
パワー:205馬力
トルク:27kg
ギア数:5速
作中での搭乗者:熊九保宣那
通称「C33」
先代C32はアナグロな外観に、当時ハイソカーブームとだったことによりラグジュアリー路線を貫き、熟年層に人気な車だった。C33にモデルチェンジするとそれが大きく変わりデザインは丸みを帯びた外観となりデジタル化し、ラグジュアリー路線からスポーティー路線に変更して若いユーザーをターゲットとした。901運動の名車の一つ。
エンジンはRB20DET。これはR31スカイラインに搭載されたものをチューニングさせ、スポーツカー顔負けの加速を実現した。先代に設定されていたV6ターボは廃止されている。足まわりはS13と同じサスペンションを流用した。
グリーンハウスを小さくしたようなデザイン、販売されていた時期がバブル景気ということもあって歴代ローレルでは「ブタケツ」の愛称で親しまれている2代目・C130型と並んでに人気が高い。FRでマニュアルトランスミッション、ターボエンジンの車ということで、特にドリフトを楽しむ人に人気がある。
また、このモデルの代に歴代ローレル販売台数100万台を突破している。
C33型を最後に、ローレル伝統のピラーレスハードトップが廃止された。
日産 スカイラインセダン HCR32(スペックはGTS-tタイプMを参考にしている)
販売期間:1989年5月~1993年8月
セグメント:Dセグメント・ミドルカー
先代車:R31型スカイライン
後継車:R33型スカイライン
名前の由来:英語で「山並みと青空を区切る稜線」の意味
全長:4.6m
全高:1.3m
全幅:1.7m
定員:5人
ボディタイプ:4ドアセダン
車重:1310kg
駆動式:FR
エンジン:RB20DET(2.0リッター直列6気筒DOHCシングルターボ)
サスペンション:前輪マルチリンク/後輪マルチリンク
パワー:215馬力
トルク:27kg
ギア数:5速
作中での搭乗者:小鳥遊くに
通称「HCR32」
8代目スカイラインとなるR32は先代・R30よりボディサイズをダウンサイジングさせて5ナンバーになった。日産901運動の名車の一つ。
デザイン面では、先代は一部グレードのみスカイライン伝統の丸型4灯テールランプを採用したのに対し、R32型はそのテールランプを全グレードに採用した。
シャーシを共有する兄弟車は「C33型ローレル」「A31セフィーロ」の2台。この2台とは同じエンジンを積んでいるものの、高回転向きにセッティングされているので10馬力高く、低速トルクが悪くなっているので出足が遅いのが欠点。
クーペモデルのほうではケンメリこと4代目・C110以来となるGT-Rが復活した。だが、4ドアモデルには設定されていない。
このR32セダンはGT-Rのせいで影の薄い車だと思う人がいるかも知れないものの、ドリフト業界からかなりの人気車種となっている。
日産 セフィーロ A31(スペックはクルージングを参考にしている)
販売期間:1988年9月~1994年8月
セグメント:Dセグメント・ミドルクラス・ハイオーナーカー
先代車:なし
後継車:A32型セフィーロ
名前の由来:スペイン語で「そよかぜ」の意味
別名:ローレルアルティマ(ラテンアメリカ向け)
全長:4.7m
全高:1.4m
全幅:1.7m
定員:5人
ボディタイプ:4ドアセダン
車重:1360kg
駆動式:FR
エンジン:RB20DET(2.0リッター直列6気筒DOHCシングルターボ)
サスペンション:前輪ストラット/後輪マルチリンク
パワー:205馬力
トルク:27kg
ギア数:5速
作中での搭乗者:川畑マサミ
通称「A31」
1988年、彗星の如くデビューしたのがこのセフィーロだ。901運動の名車の1つ。
当時S13型シルビアのオプションでしか採用例のなかったプロジェクターランプを標準採用したフロントマスクが特徴的だった。
流麗なデザインながらボディ形状は窓枠付きの4ドアセダン(その代わり後席窓ガラスの開口面積が小さい)で、後に登場 する4ドアピラードハードトップのR32型スカイライン、同じくC33型ロー レルとはエンジン・シャーシを共有する姉妹車だ。サスペンションはS13と同じくマルチリンクサスペンションを採用している。
同時期に登場したシーマ(シーマ現象で有名になった名車)、プレセア、プリメーラ、BNR32型GT-Rと共に大ヒット。経営不振だった日産を救った。
今では少なくなったFR・ターボ・MTという点、パーツが手に入りやすいということでドリ車のベースとして人気が高い。
トヨタ MR2 SW20(スペックはGT)
販売期間1989年10月~1999年
セグメント:Sセグメント・スポーツカー
先代車:AW11型MR2
後継車:ZZW30型MR-S
名前の由来:「ミッドシップ・ランナバウト・2シーター」の略
海外での車両型式:SW22(海外でのターボモデル)、SW21(2.2リッター自然吸気エンジン搭載モデル)
全長:4.170mm
全高:1.235mm
全幅:1.695m
定員:2人
ボディタイプ:2ドアクーペ
車重:1270kg
駆動式:MR
エンジン:3S-GTE(2リッター直列4気筒DOHCシングルターボ)
エンジンの置き方:横置き
サスペンション:前輪ストラット/後輪ストラット
パワー:245馬力
トルク:31kg
ギア数:5速
作中の搭乗者:葛西ヒマワリ
通称「SW20」
日本初の量産ミッドシップスポーツカーの2代目。先代・AW11型はカローラ系を兄弟車としていたが、SW20はカローラより大きいセリカが兄弟車になったため、車体は大型し、排気量は1.6リッターから2.0リッターに拡大された。
デビュー当初はシャーシとエンジンバランスが取れておらず、足まわりやブレーキの弱さ、LSDが付いていなかったりとスポーツ走行における数々の問題点が指摘されてしまい、評論家からは「危険なクルマ」と言われ、あのドリキンでも手が負えなかった。しかし、91年のマイナーチェンジでそれらの問題点は解消し、数々のドライバーから再評価を受けた。
当初のエンジンパワーはNAが165馬力、ターボは225馬力だったものの、91年のマイナーチェンジでNAは180馬力、ターボは245馬力を達成し(同時にテールランプは日産スカイライン風の4連テールランプになっている)、最終的にNAモデルはリッターあたり100馬力の200馬力を達成している。
初代ことAW型はバブル景気やスポーツカーブームもあって、大成功したもの、この2代目SW型はバブル崩壊やスポーツカーの販売不振、日本のユーザーが実用性を求めるようになったことがあって、AW11のような成功は収めることはできなかった。しかしSW20もAW11同様に人気が高く、チューニングや改造車のベースのなることが多い。
なお、MR2という名前はSW20型の生産終了を機に消滅したが、後継車のMR-Sの海外モデルに引き続き使われた。
トヨタ アルテッツァ SXE10 (スペックは01年式を参考にしている)
販売期間:1998年~2005年3月
セグメント:Dセグメント・ミドルカー
先代車:#X100チェイサー(事実上)
後継車:GSE20型レクサスIS(事実上)
名前の由来:イタリア語で「高貴」を意味する言葉から
別名:レクサスIS(海外向けモデル。名前の由来は「インテリジェント・スポーツ」の略)
全長:4.400mm
全高:1.410mm
全幅:1.720m
定員:5人
ボディタイプ:4ドアセダン
車重:1360kg
駆動式:FR
エンジン:3S-GE(2リッター直列4気筒DOHC自然吸気)
エンジンの置き方:縦置き
サスペンション:前輪ダブルウィッシュボーン/後輪ダブルウィッシュボーン
パワー:220馬力
トルク:22kg
ギア数:6速
作中の搭乗者:葛西モミジ(乗っているのは01年式)
通称「アルテッツァ」
三菱のランエボやスバルのインプレッサWRXのヒットで4WDのセダンが人気に集中する90年代の終わりにトヨタが発売した小型FRセダン。チェイサーの事実上の後継車にあたる。ヨーロッパをターゲットとし、ライバルはBMW3シリーズ、メルセデスベンツCクラスなど。
トヨタのクルマとして久々の「コンパクト・軽量・FR」といった点でデビュー当初は「AE86の再来」と期待された。そのコンパクトぶりは車格的には下にあたるコロナ/カリーナ(後にプレミオ/アリオンに改名)より小さいクルマだった。しかし、日本を初めとする世界の安全基準をクリアするために開発された高剛性かつ安全性を求めたシャーシを採用してしまったため、1340kgというお世辞にも軽いと言えない重さとなってしまった。
4気筒モデル(RS200)と6気筒モデル(AS200、トヨタのクルマは搭載エンジンで車両型式が決まるので、6気筒モデルはGXE10型となる)が存在し、前者のほうがスポーツ性が強い。ただし海外モデルことレクサスISは4気筒モデルが設定されてないが、変わりにJZA80と同じ3.0リッター自然吸気モデルが存在する。
発売前の評価はとても高く、日本カーオブザイヤーを受賞するといった注目を浴びたもの、「スポーティーなのに走りが良くない」「高級車なのに内装が安っぽい」という不満が出てしまい、売れ行きは良くなかった。
ただし、チューニング業界ではとても人気が高い。ドリフトや最高速に挑戦するためのチューニングをされているアルテッツァも存在する。
トヨタ スープラ A70(スペックは2.5GTツインターボR)
販売期間1986年6月~1993年5月
セグメント:Sセグメント・スポーツカー
先代車:MA60/GA60型セリカXX
後継車:JZA80型スープラ
名前の由来:ラテン語で 「至上かつ最高」「上へ」「超えて」の意味
全長:4.620mm
全高:1.300mm
全幅:1.745m
定員:5人
ボディタイプ:3ドアハッチバッククーペ
車重:1520kg
駆動式:FR
エンジン:1JZ-GTE(2.5リッター直列6気筒DOHCツインターボ)
エンジンの置き方:縦置き
サスペンション:前輪ダブルウィッシュボーン/後輪ダブルウィッシュボーン
パワー:280馬力
トルク:36kg
ギア数:5速
作中の搭乗者:葛西ウメ
通称「70(ナナマル)」
セリカXXの後継車で、日本国内向けのスープラとしては初代、北米向けスープラとしては3代目に当たる。元々スープラはセリカファミリーの1つだったものの、セリカがFF化してしまったのでファミリーから独立し、シャーシはセリカからソアラのものを採用するようになった。
キャッチコピーは「TOYOTA 3000GT」と日本を代表する名車・トヨタ2000GTの再来を目指し、例えばトヨタの車では2000GT以来となる4輪ダブルウィッシュボーンを採用するとか、先代のセリカXXよりスポーツ色を強めている。それはこの70をソアラのようなグランツーリスモではなく、本格的なスポーツカーを目指したからだ。
1988年には「ターボA」という限定生産モデルが登場した。このモデルは240馬力の3.0L直列6気筒ツインターボの7M-GTE搭載モデルをベースに30馬力アップさせた270馬力を達成しており、これは当時の国産車最高を叩き出したスペックだ。
さらに1990年のマイナーチェンジで3.0リッターツインターボモデルが廃止される代わりにマークIIの2.5リッター直列6気筒ツインターボエンジンの1JZ-GTEを搭載したモデル、「2 .5GTツインターボR」が追加される。これは自主規制ギリギリの280馬力を達成したモデルであり、280馬力を達成した車では当時の時点で1番排気量が少なかった。
モータースポーツでは全日本ツーリングカー選手権、世界ラリー選手権に参加したものの優れた成績を残せず、前者ではフォード・シエラや日産・スカイラインGT-Rに苦戦して撤退し、後者では1勝もできなかった。