↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR

Fin de Monde

作者: Utakata
掲載日:2005/08/04

World's End


 頭が痛かった。頭の中で真綿が少しずつ膨らんでいくような、そんな圧迫感を伴った痛みだった。真綿がひと膨らみするごとに、吐き気がしそうなほど視界が揺らいだ。

 目の中いっぱいに白い光が差していた。消毒薬のように真っ白で痛い光だ。それは眼球を突き抜けて真っ直ぐ僕の頭の中、脳内を貫いていった。光の当たった部分の血管だか神経だかの何箇所かが、耐え切れずに破れたような感覚があった。

 そんな朝日の逆光の中で奴が笑っている。

 酷い顔してる、そう言って奴は唇の端を曲げて笑った。

 腕を奴のほうに投げ出して、煙草、とだけ言い返す。舌に張り付いた薄紙を無理やり剥がして吐き出すようにして。奴は笑いながら床に手を伸ばして青色の箱と銀色のライターを放って寄越す。清涼感よりも安っぽさが目に付く青色のパッケージ。火をつけて吸い込むと、それでも少しだけ真綿の膨らみが止まった気がした。吐き出した煙に遮られて朝日が少しだけ濁ってくれた。

 もう一度煙を吸い込んだ後で、奴の笑い顔に吹き付けてみる。まるで単なるジャンキーだ、と奴の笑い顔は止まない。

 何か言い返してやろうと口を開いた瞬間に襲ってきた痛みの波に、思わず目を閉じた。閉じた瞼の奥で痛みを必死にやり過ごす。膨らむ真綿を規則的に刺激する小さな何かがあった。心拍だ。すべての痛みは結局のところ心拍に同調してしまうんだと思う。正確には、それよりも少し遅れて。

 十時までにそれを何とかしておきなよ、という声が瞼の外で聞こえた。

 ああ、と言ったつもりが、出てきたのは呼吸よりもほんの少し密度の高い空気の塊だけだった。

 忘れかけていた嗅覚に、いつの間にかコーヒーの匂いが入ってきていた。奴が入れたのか。

 目を閉じたまま手探りでフローリングの冷たい床に手を這わせる。金属箔とプラスチックの感触。真綿は今度は胃のほうまで圧迫し始めているようだった。吐き気を忘れようと努力しながら、拾い上げたタブレットから出した錠剤を、目を閉じたままで喉へと押し込む。


 今日の正午の日食が、世界の終わりの始まりらしい。


「世界は」 冗談みたいな量のコーヒーの粉末をマグに掻き入れながら奴が言う。

「何日くらいで終わると思う?」

 薬が効いてきたのか、目覚めのときよりは大分痛みが引いてきていた。飲んだときに見なかった薬のパッケージを拾い上げてみる。頭痛薬。けれど実際は見る必要なんてどこにもなかった。この部屋にある薬と言えばそれくらいしかない。

 七日、と僕は答える。

「神様はきっと作ったときと逆の手順で壊していくんだ」

「じゃあきっと最初に俺たちが死ぬんだな」 そう言ってコーヒーをひと啜りする。あきらかに苦味しかないだろうと思うような濃いコーヒー。

 僕は部屋の中を見回す。収納場所のほとんどないアパートの一部屋。床に散らばったコーヒーの粉の屑。踏み潰された煙草の箱。まだ一本吸われていないものが中に入っている。彩りを添えるような薬のタブレットが点々と。裏側の金属箔が光を受けてちらちらと光っている。そして遺棄死体みたいなタオルケット。

 壁はうっすらと黄色い。ざらざらした手触りの壁紙はうらぶれていて、けれどそれを諦め切っているように見える。それを奴は僕の煙草のせいだと言う。僕は太陽光のせいだと言う。南側に、この部屋の狭さにしては馬鹿みたいな大きさの窓の。

 僕や奴が死んでもこの部屋は残るだろうか。

 奴が三杯目くらいのコーヒーを淹れている。僕がジャンキーなら、奴だってそうだ。カフェインの依存度は、高い。カフェインには致死量もある。目覚めきっているように見える奴の、目は微かに充血している。マグを持つ手が震えている。奴は笑ってはいるけれど、奴だって同じだ。

 吐き出した煙に、朝日がまた濁った。

「今何時?」

「九時半」

 世界が終わってもこの部屋は残る気がする。コーヒー粉や煙草の吸殻や空のタブレットが散らばるこの部屋は。たとえ僕らが死んでも。世界中が死んでも。残る気がした。部屋はずっと僕らの痕跡であり続けるような気が。

 この部屋からは、この部屋が持つ雰囲気から僕らは逃げられない。

 そこまで考えると頭がまた痛んだ。最後のタブレットから一錠、白い錠剤を飲み下す。それを見て奴が、世界が終わる前にそれで死んだりしたら困るよ、と冗談めかして言った。

 僕は奴をにらむ。奴は笑って言葉を続ける。

「ねえ神様なんていないよ」

 知ってる、と小さく呟く。奴は腕時計を覗き込んだ。

「少し早いけど、そろそろ出ようか」

 僕はうなずく。


 九時四十五分。太陽の光は次第に熱を増してきている。人々の呼吸や自動車の排気ガスや、いろいろなものが既に光を濁らせていて、太陽はそれら全てを平等に熱していた。

 バイクを走らせている奴の背中から汗の匂いがする。車体が揺れるたびに奴の腹の筋肉が緊張するのが、回した手に伝わってくる。

 右手はひたすら海だった。

 ガードレールを超えた砂浜はもう人で賑わっていた。エンジンの音を超えてここまで伝わってくる。原色の衣服は海の青に添えられた神経質な彩りだ。波の音だけがクールに繰り返されていた。どこまでもクールに。

 みんな見届けたいと思っているんだ、そんな呟きはエンジンの音に乗ってあっという間に後ろへ流れていった。

 浜と群集は前方までずっと広がっている。対向車は無い。エンジンと賑わいと波、それ以外の音の無い今は妙に静かだ。

 半袖から突き出した腕に汗の粒が浮き始める。湿度の高い空気の中へバイクは突き抜け続けている。

 暑いな、と奴が叫んだ。


 行き先は倒れた灯台だった。


 途中でD.Dと落ち合う。D.Dは道端に自分のバイクを寄せて僕らが来るのを待っていた。

「やあD.D」

 D.Dは嬉しそうに片手を挙げて見せると、親指で進行方向を指差してエンジンをかけた。午前十一時二十分。

 灯台が、カーブする道のガードレールの向こうに横たわっている。

 灯台。

 それはある種の遺跡みたいにしてそこに存在していた。もうそれは灯台には見えない。巨大なコンクリートの筒だ。その筒の片一方についた巨大な窓だけが、かろうじてその元の機能を思い起こさせていた。

 近くによるとそれは筒と言うよりも、壁にしか見えない。倒れたときの衝撃でか、ところどころ大きな亀裂が入っている。ほとんど筒を真っ二つに裂いている亀裂すら何箇所かある。

 D.Dがそのうちの一つを指差す。斜めの亀裂がちょうど階段のようになっていて、うまく外壁の厚みを利用すれば上まで上れるようになっていた。

 僕は煙草に火をつける。長い間揺られたせいか、また少しずつ痛みがぶり返してきているのを感じる。奴が敏感にそれを察したのか、わざわざこっちを向いてにやりと笑って見せる。D.Dが初めに壁に足をかける。D.Dの黒い背中の後ろに、高く昇ってきた太陽があった。


 横倒しの灯台の上には数人しかいなかった。浜辺のざわめきも、ここでは波の音のほうが強かった。群集が浜に延々と続いているのを見下ろすことができる。壮観だった。

「時間は?」

「あと二十分」

 煙草が切れた。ジーンズのポケットからタブレットを取り出すけれど、それも残りふた粒しか残っていない。二つともそのまま飲み下す。D.Dがちらりと僕を見た。

 太陽のことはずっと嫌いだった。全てを明るみに出そうとするようなあの強さが嫌いだった。あの真っ直ぐさが、あの清潔感が嫌いだった。自分自身の一部がゆっくりと殺菌されていくような気がしてならなかった。

 ねえ、D.D

 D.Dがこちらを向く。

「世界はどんな風にして終わるんだと思う?」

 D.Dは何も言わずに肩をすくめただけだった。僕の肩を軽くたたいて背中をさすった。寄りかかったD.Dの肩には暑い、湿った感触があった。目を閉じる。D.Dが笑ったのか、D.Dの肩ごと頭が上下に揺れた。

 ざわめきが少しずつ大きくなっていた。多分、みんなは緊張しているんだと思った。どうでもよかった。その割に灯台の上は酷く静かで、みんな僕らと同じように感じているんだと思う。

「どんな終わり方だってかまわないね」 奴が吐き捨てるように小さく呟いた。

 目を閉じたまま頷く。

「終わってくれるんならそれでいい」

 奴の言葉にD.Dが笑う気配がした。頭が痛かった。薬はどうやらもう効き目を失ったようだった。けれど痛み自体は不快ではなかった。

 D.Dが肩から僕の頭を手で押しのけて、その拍子に一瞬呼吸が止まるくらいの痛みが走った。止まった呼気を吐き出すと同時に少しだけ笑った。

「あと?」

「……四分二十秒」

 灯台に座ったまま首を傾けて、空を、太陽を見た。強すぎる中天近くの光が脳を刺して、思わず手で目を覆った。目眩と同時にバランスが崩れて仰向けに倒れこむ。D.Dがあわてて落ちそうになるのを支えた。

 ほら、と言う声と一緒に胸の上に置かれたのはサングラスだった。偏光板だよ、と笑いながらいう奴の声が聞こえた。

 まだ眩しかったが、何とか太陽を正視することはできた。太陽は何も知らないかのように輝いていた。けれどそのすぐ隣には多分、月が近づいてきている。太陽はそれを気づきすらしなかった。どのみち避けられもしなかった。

 可笑しくなって笑おうとすると、その振動が頭に伝わって頭蓋骨が軋んだ。呼吸がうまくできないほどだった。煙草が無性に欲しかった。心拍数と痛みが同調していた。そのことすら妙に可笑しくなってひたすら笑った。今度は笑うことができた。

 あと一分。

「あと一分で世界が終わり始めるんだ」 と奴が言った。

 頭の真綿は今にも頭蓋骨を突き破ってきそうだった。痛みは拍動していた。とても強く。拍動していた。

「本当に一週間で世界は終わるのかな」 と奴が言った。

 ドウデモ、とD.Dが言った。

 浜の人々が十、と叫んだ。十秒前らしかった。可笑しかった。これじゃまるでお祭り騒ぎみたいだと思った。悪くなかった。

 奴がいつの間にか僕を見下ろしていた。奴も笑っていた。D.Dの大きな手のひらが肩口の辺りに置かれた。たとえ世界が終わっても僕らは僕らで一緒にいるのだろうと思った。世界の果てまで。

 世界が終わっても僕らは笑うだろう。その痛みを、その欠陥を。太陽を笑い続けるだろう。

 世界の果てまで。

 一、と人々が叫んだ気がした。


Fin



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。