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宇宙忘れ物管理局には、返却できない荷物が届く

掲載日:2026/11/06

宇宙の外側にも、きっと忘れ物はある。そんな思いつきから生まれた物語です。

人類が銀河系に進出して二百年が経ったころ、宇宙で最も忙しい職業の一つは忘れ物係だった。


宇宙船には忘れ物が多い。


手袋、眼鏡、靴下、結婚指輪。航行中に喧嘩した夫婦が、

互いの名前を忘れてしまうこともある。最近では記憶を物質化する技術が普及し、

忘れた記憶そのものが荷物として届けられるようになった。


宇宙忘れ物管理局第七支部の佐伯は、勤続二十七年のベテランだった。


彼の仕事は、届けられた忘れ物を分類し、持ち主を探し、返却することだった。


返却不能品という区分もあったが、佐伯はその言葉が嫌いだった。


忘れ物は返せないのではない。まだ返していないだけだ。


彼はそう考えていた。


ある火曜日の午後、木製の小箱が届いた。


荷札には、回収場所が記されていた。


「宇宙の外側」


持ち主の欄には、


「最初の持ち主」


品名は空欄だった。


「田中さん、宇宙の外側ってどこの管轄ですか」


隣の席の田中は、カレーを食べながら答えた。


「管轄外でしょう」


「返送先は?」


「管轄外に返送すればいいんじゃないですか」


「住所がありません」


「住所を調べるのが佐伯さんの仕事です」


田中はカレーの最後の一口を食べた。


佐伯は箱を開けた。


中には白い石が一つ入っていた。


親指ほどの大きさで、表面に小さな文字が刻まれている。


『これは、最初に忘れられたものです』


佐伯が石を持ち上げた瞬間、支部の時計が止まった。


三秒後、再び動き始めた。


田中が顔を上げた。


「今、何かありました?」


「時計が止まりました」


「何時に?」


佐伯は時計を見た。


午後二時四十分だった。


「午後二時四十分です」


「そうですか」


田中は空になったカレーの容器を見つめた。


「ところで、昼食は食べましたっけ」


佐伯は答えなかった。


二人は、箱の存在を忘れていた。


翌朝、佐伯は自分の机に置かれた白い石を見つけた。


何の石かわからなかった。


拾得物の記録を調べても、該当する番号がない。受付記録にも存在しない。


ただ、石に刻まれた文字だけは読めた。


『これは、最初に忘れられたものです』


佐伯は中央研究所に分析を依頼した。


三日後、返ってきた報告書は三枚だった。


一枚目には物質の構成。


二枚目には測定不能の項目。


三枚目には所長の手書きの文章があった。


「これは物質ではない。物質が存在する以前の何かが、物質の形を借りている」


佐伯は電話をかけた。


「どういう意味でしょう」


「宇宙の始まりをご存じですか」


「ビッグバンですね」


「その前は?」


「何もなかったと習いました」


「その何もなかった時代に、二つの意識があったようです」


所長は慎重に言葉を選んだ。


「一つは宇宙になった。もう一つは宇宙にならなかった」


「なぜですか」


「二つとも宇宙になったら、どちらが宇宙なのかわからなくなるでしょう」


佐伯は黙っていた。


「宇宙にならなかったほうは、存在する場所を失った。時間も空間もありませんから、

どこにも行けなかった。そこで、忘れられたのです」


「誰に?」


「宇宙になったほうに」


佐伯は報告書を見た。


「持ち主は?」


「それがわかれば苦労しません」


「返却不能品ですか」


「そうなります」


佐伯は受話器を置いた。


その日の夜、彼は石を自宅に持ち帰った。


規則違反だった。


だが、どうしても気になることがあった。


石を見ていると、誰かを待っているような気がした。


テーブルに置き、向かい合って座る。


「君は、誰のものなんだ」


返事はなかった。


佐伯はコーヒーを飲んだ。


そのとき、部屋の時計が止まった。


窓の外から街の明かりが消えた。


壁も床も天井も、ゆっくりと透明になっていく。


そこには、星も銀河もなかった。


ただ、白い空間が広がっていた。


その真ん中に、小さな子供が立っていた。


「遅かったね」


子供は言った。


佐伯は椅子から立ち上がった。


「君は誰だ」


「忘れたの?」


「知らない」


「そうだろうね。君はいつも忘れるから」


子供は笑った。


その笑い声を聞いた瞬間、佐伯の胸の奥で何かが動いた。


遠い記憶だった。


いや、記憶というには古すぎる。


まだ地球も太陽も、時間さえなかったころ。


そこに二つの意識があった。


一つは、何もないことを寂しいと思った。


もう一つは、何もないことを面白いと思った。


二つは世界を作ることにした。


星を作り、海を作り、生命を作る。


そして、世界が完成したら、もう一度会おうと約束した。


『世界ができたら、もう一度会おう』


しかし、宇宙が生まれたとき、二つの意識は別々になった。


片方は宇宙そのものになった。


もう片方は、宇宙のどこにも居場所を持たなかった。


それは長い時間をかけて小さくなり、やがて石になった。


佐伯は子供を見た。


「君が、もう一つの意識なのか」


「うん」


「ずっと待っていたのか」


「うん」


「どうして、ぼくに会いに来た?」


子供は首を傾げた。


「会いに来たのは、ぼくじゃないよ」


「どういうことだ」


「君がぼくを見つけたんだ」


「ぼくは、ただの人間だ」


「そうかな」


子供は佐伯の顔をじっと見た。


「君は、ぼくを忘れたことがあるから」


佐伯の脳裏に、別の光景が浮かんだ。


小さな部屋。


木製の机。


幼い自分。


そして、隣に座るもう一人の子供。


二人はいつも一緒に遊んでいた。


その子供は、ある日突然いなくなった。


大人たちは、最初からそんな子供はいなかったと言った。


写真にも、記録にも、その子の姿はなかった。


佐伯はずっと、その子を探していた。


探していたことさえ忘れていた。


「君だったのか」


子供はうなずいた。


「ぼくは君の友達だった」


「どうして、そんな昔から?」


「昔じゃないよ」


子供は笑った。


「ぼくたちにとっては、昨日みたいなものだよ」


佐伯は手の中の石を見た。


「君は、どうして石になったんだ」


「忘れられたものは、重くなるんだ」


「重く?」


「誰にも思い出してもらえないと、どんどん重くなる。最後には石になる」


子供は少し考えた。


「でも、君は少し違う」


「何が?」


「君はぼくを忘れたあとも、ずっと忘れ物を返していた」


佐伯は黙っていた。


「靴下も、指輪も、誰かの声も。持ち主が見つからなくても、捨てなかった。だから、ぼくは君を見つけることができた」


「ぼくが君を探したんじゃないのか」


「うん。ぼくが君を探したんだよ」


子供は手を差し出した。


「もう一度、遊ぼう」


佐伯はその手を取ろうとした。


しかし、指先が触れる前に、子供の姿が薄くなった。


「待ってくれ」


「もう大丈夫」


「何が大丈夫なんだ」


「君は、ぼくを思い出したから」


子供は笑った。


「それに、今度は君が忘れてもいいよ」


「どうして?」


「忘れ物を探す人がいるから」


白い空間が揺れた。


子供の姿は光の粒になって消えた。


部屋は元に戻った。


窓の外には、いつもの街があった。


テーブルの上から白い石は消えていた。


翌朝、中央研究所から緊急報告が届いた。


石の質量が消失したという。


同時に、宇宙各地で不可解な現象が起きていた。


何億年も停止していた星が再び光り始めた。


絶滅した生物の化石から生命反応が検出された。


そして、何千もの惑星で、同じ言葉が報告された。


「ずっと待っていたよ」


その言葉を口にした者たちは、互いに面識がなかった。


佐伯は報告書を閉じた。


その日の夕方、帰宅すると玄関に小箱が置かれていた。


木製だった。


見覚えのある傷がついていた。


荷札には、こう書かれていた。


品名、写真一枚。


持ち主、佐伯。


回収場所、地球。


佐伯は箱を開けた。


中には古い写真が入っていた。


幼い自分が、知らない子供と並んで笑っている。


写真の裏には、鉛筆で文字が書かれていた。


『また遊ぼう。世界ができたら』


佐伯は長いあいだ写真を見つめた。


子供の顔は、どうしても思い出せなかった。


ただ、写真の端に写っている小さな白い石だけは、はっきりと覚えていた。


その夜、佐伯は夢を見た。


白い空間に、あの子供が立っていた。


「ねえ、次は何を作ろうか」


「もう十分じゃないか。宇宙まで作ったんだから」


「じゃあ、今度は宇宙の外側を作ろう」


「何のために?」


「忘れ物を置く場所がいるだろう?」


佐伯は笑った。


目が覚めると、机の上に写真が置いてあった。


その隣には、見覚えのない小さな石が一つ。


今度は石に文字が刻まれていた。


『次の持ち主を探してください』


佐伯は出勤すると、いつものように受付の端末を立ち上げた。


その日の最初の荷物は、小さな木箱だった。


荷札には、こう書かれていた。


回収場所、宇宙の外側。


持ち主、これから生まれる者。


佐伯はしばらく考えたあと、返却予定日の欄に記入した。


「未定。ただし、必ず返すこと」


そのとき、受付の呼び鈴が鳴った。


誰もいないはずの窓口に、小さな女の子が立っていた。


「すみません」


「はい」


「おじいちゃんを探しているんです」


佐伯は受付票を取り出した。


「お名前は?」


女の子は首を振った。


「まだありません」


「では、おじいちゃんのお名前は?」


「わかりません」


「特徴は?」


女の子は少し考えた。


「宇宙を作った人です」


佐伯はペンを止めた。


「それは、ずいぶん大きな忘れ物ですね」


女の子は笑った。


「はい。でも、今度は絶対に忘れないようにしたいんです」


佐伯は受付票に記入した。


品名、祖父。


持ち主、女の子。


回収場所、未来。


備考欄には、こう書いた。


「本人確認が必要。なお、宇宙全域を捜索すること」


女の子は帰り際、振り返った。


「おじさんも、誰かを探しているんですか?」


佐伯は答えようとした。


しかし、その名前が出てこなかった。


「そうだったかな」


女の子はうなずいた。


「見つかるといいですね」


そう言って、扉の向こうへ消えた。


佐伯は受付票を見下ろした。


その下に、いつの間にかもう一枚、古い受付票が挟まっていた。


紙は黄色く変色し、文字はかすれていた。


品名、宇宙。


持ち主、佐伯。


回収場所、宇宙の外側。


受付年月日、記録なし。


そして、備考欄には、誰かの筆跡でこう記されていた。


「この者は、何度返却しても戻ってくる。本人に返却の意思なし」


佐伯は、その紙を裏返した。


裏には小さな文字があった。


『だって、ここがぼくの家だから』


佐伯はしばらく考えた。


それから、その受付票を未返却品のファイルに綴じた。


宇宙忘れ物管理局第七支部の時計は、午後五時を指していた。


佐伯は帰り支度を始めた。


明日も仕事がある。


まだ、返していないものがたくさんある。

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