宇宙忘れ物管理局には、返却できない荷物が届く
宇宙の外側にも、きっと忘れ物はある。そんな思いつきから生まれた物語です。
人類が銀河系に進出して二百年が経ったころ、宇宙で最も忙しい職業の一つは忘れ物係だった。
宇宙船には忘れ物が多い。
手袋、眼鏡、靴下、結婚指輪。航行中に喧嘩した夫婦が、
互いの名前を忘れてしまうこともある。最近では記憶を物質化する技術が普及し、
忘れた記憶そのものが荷物として届けられるようになった。
宇宙忘れ物管理局第七支部の佐伯は、勤続二十七年のベテランだった。
彼の仕事は、届けられた忘れ物を分類し、持ち主を探し、返却することだった。
返却不能品という区分もあったが、佐伯はその言葉が嫌いだった。
忘れ物は返せないのではない。まだ返していないだけだ。
彼はそう考えていた。
ある火曜日の午後、木製の小箱が届いた。
荷札には、回収場所が記されていた。
「宇宙の外側」
持ち主の欄には、
「最初の持ち主」
品名は空欄だった。
「田中さん、宇宙の外側ってどこの管轄ですか」
隣の席の田中は、カレーを食べながら答えた。
「管轄外でしょう」
「返送先は?」
「管轄外に返送すればいいんじゃないですか」
「住所がありません」
「住所を調べるのが佐伯さんの仕事です」
田中はカレーの最後の一口を食べた。
佐伯は箱を開けた。
中には白い石が一つ入っていた。
親指ほどの大きさで、表面に小さな文字が刻まれている。
『これは、最初に忘れられたものです』
佐伯が石を持ち上げた瞬間、支部の時計が止まった。
三秒後、再び動き始めた。
田中が顔を上げた。
「今、何かありました?」
「時計が止まりました」
「何時に?」
佐伯は時計を見た。
午後二時四十分だった。
「午後二時四十分です」
「そうですか」
田中は空になったカレーの容器を見つめた。
「ところで、昼食は食べましたっけ」
佐伯は答えなかった。
二人は、箱の存在を忘れていた。
翌朝、佐伯は自分の机に置かれた白い石を見つけた。
何の石かわからなかった。
拾得物の記録を調べても、該当する番号がない。受付記録にも存在しない。
ただ、石に刻まれた文字だけは読めた。
『これは、最初に忘れられたものです』
佐伯は中央研究所に分析を依頼した。
三日後、返ってきた報告書は三枚だった。
一枚目には物質の構成。
二枚目には測定不能の項目。
三枚目には所長の手書きの文章があった。
「これは物質ではない。物質が存在する以前の何かが、物質の形を借りている」
佐伯は電話をかけた。
「どういう意味でしょう」
「宇宙の始まりをご存じですか」
「ビッグバンですね」
「その前は?」
「何もなかったと習いました」
「その何もなかった時代に、二つの意識があったようです」
所長は慎重に言葉を選んだ。
「一つは宇宙になった。もう一つは宇宙にならなかった」
「なぜですか」
「二つとも宇宙になったら、どちらが宇宙なのかわからなくなるでしょう」
佐伯は黙っていた。
「宇宙にならなかったほうは、存在する場所を失った。時間も空間もありませんから、
どこにも行けなかった。そこで、忘れられたのです」
「誰に?」
「宇宙になったほうに」
佐伯は報告書を見た。
「持ち主は?」
「それがわかれば苦労しません」
「返却不能品ですか」
「そうなります」
佐伯は受話器を置いた。
その日の夜、彼は石を自宅に持ち帰った。
規則違反だった。
だが、どうしても気になることがあった。
石を見ていると、誰かを待っているような気がした。
テーブルに置き、向かい合って座る。
「君は、誰のものなんだ」
返事はなかった。
佐伯はコーヒーを飲んだ。
そのとき、部屋の時計が止まった。
窓の外から街の明かりが消えた。
壁も床も天井も、ゆっくりと透明になっていく。
そこには、星も銀河もなかった。
ただ、白い空間が広がっていた。
その真ん中に、小さな子供が立っていた。
「遅かったね」
子供は言った。
佐伯は椅子から立ち上がった。
「君は誰だ」
「忘れたの?」
「知らない」
「そうだろうね。君はいつも忘れるから」
子供は笑った。
その笑い声を聞いた瞬間、佐伯の胸の奥で何かが動いた。
遠い記憶だった。
いや、記憶というには古すぎる。
まだ地球も太陽も、時間さえなかったころ。
そこに二つの意識があった。
一つは、何もないことを寂しいと思った。
もう一つは、何もないことを面白いと思った。
二つは世界を作ることにした。
星を作り、海を作り、生命を作る。
そして、世界が完成したら、もう一度会おうと約束した。
『世界ができたら、もう一度会おう』
しかし、宇宙が生まれたとき、二つの意識は別々になった。
片方は宇宙そのものになった。
もう片方は、宇宙のどこにも居場所を持たなかった。
それは長い時間をかけて小さくなり、やがて石になった。
佐伯は子供を見た。
「君が、もう一つの意識なのか」
「うん」
「ずっと待っていたのか」
「うん」
「どうして、ぼくに会いに来た?」
子供は首を傾げた。
「会いに来たのは、ぼくじゃないよ」
「どういうことだ」
「君がぼくを見つけたんだ」
「ぼくは、ただの人間だ」
「そうかな」
子供は佐伯の顔をじっと見た。
「君は、ぼくを忘れたことがあるから」
佐伯の脳裏に、別の光景が浮かんだ。
小さな部屋。
木製の机。
幼い自分。
そして、隣に座るもう一人の子供。
二人はいつも一緒に遊んでいた。
その子供は、ある日突然いなくなった。
大人たちは、最初からそんな子供はいなかったと言った。
写真にも、記録にも、その子の姿はなかった。
佐伯はずっと、その子を探していた。
探していたことさえ忘れていた。
「君だったのか」
子供はうなずいた。
「ぼくは君の友達だった」
「どうして、そんな昔から?」
「昔じゃないよ」
子供は笑った。
「ぼくたちにとっては、昨日みたいなものだよ」
佐伯は手の中の石を見た。
「君は、どうして石になったんだ」
「忘れられたものは、重くなるんだ」
「重く?」
「誰にも思い出してもらえないと、どんどん重くなる。最後には石になる」
子供は少し考えた。
「でも、君は少し違う」
「何が?」
「君はぼくを忘れたあとも、ずっと忘れ物を返していた」
佐伯は黙っていた。
「靴下も、指輪も、誰かの声も。持ち主が見つからなくても、捨てなかった。だから、ぼくは君を見つけることができた」
「ぼくが君を探したんじゃないのか」
「うん。ぼくが君を探したんだよ」
子供は手を差し出した。
「もう一度、遊ぼう」
佐伯はその手を取ろうとした。
しかし、指先が触れる前に、子供の姿が薄くなった。
「待ってくれ」
「もう大丈夫」
「何が大丈夫なんだ」
「君は、ぼくを思い出したから」
子供は笑った。
「それに、今度は君が忘れてもいいよ」
「どうして?」
「忘れ物を探す人がいるから」
白い空間が揺れた。
子供の姿は光の粒になって消えた。
部屋は元に戻った。
窓の外には、いつもの街があった。
テーブルの上から白い石は消えていた。
翌朝、中央研究所から緊急報告が届いた。
石の質量が消失したという。
同時に、宇宙各地で不可解な現象が起きていた。
何億年も停止していた星が再び光り始めた。
絶滅した生物の化石から生命反応が検出された。
そして、何千もの惑星で、同じ言葉が報告された。
「ずっと待っていたよ」
その言葉を口にした者たちは、互いに面識がなかった。
佐伯は報告書を閉じた。
その日の夕方、帰宅すると玄関に小箱が置かれていた。
木製だった。
見覚えのある傷がついていた。
荷札には、こう書かれていた。
品名、写真一枚。
持ち主、佐伯。
回収場所、地球。
佐伯は箱を開けた。
中には古い写真が入っていた。
幼い自分が、知らない子供と並んで笑っている。
写真の裏には、鉛筆で文字が書かれていた。
『また遊ぼう。世界ができたら』
佐伯は長いあいだ写真を見つめた。
子供の顔は、どうしても思い出せなかった。
ただ、写真の端に写っている小さな白い石だけは、はっきりと覚えていた。
その夜、佐伯は夢を見た。
白い空間に、あの子供が立っていた。
「ねえ、次は何を作ろうか」
「もう十分じゃないか。宇宙まで作ったんだから」
「じゃあ、今度は宇宙の外側を作ろう」
「何のために?」
「忘れ物を置く場所がいるだろう?」
佐伯は笑った。
目が覚めると、机の上に写真が置いてあった。
その隣には、見覚えのない小さな石が一つ。
今度は石に文字が刻まれていた。
『次の持ち主を探してください』
佐伯は出勤すると、いつものように受付の端末を立ち上げた。
その日の最初の荷物は、小さな木箱だった。
荷札には、こう書かれていた。
回収場所、宇宙の外側。
持ち主、これから生まれる者。
佐伯はしばらく考えたあと、返却予定日の欄に記入した。
「未定。ただし、必ず返すこと」
そのとき、受付の呼び鈴が鳴った。
誰もいないはずの窓口に、小さな女の子が立っていた。
「すみません」
「はい」
「おじいちゃんを探しているんです」
佐伯は受付票を取り出した。
「お名前は?」
女の子は首を振った。
「まだありません」
「では、おじいちゃんのお名前は?」
「わかりません」
「特徴は?」
女の子は少し考えた。
「宇宙を作った人です」
佐伯はペンを止めた。
「それは、ずいぶん大きな忘れ物ですね」
女の子は笑った。
「はい。でも、今度は絶対に忘れないようにしたいんです」
佐伯は受付票に記入した。
品名、祖父。
持ち主、女の子。
回収場所、未来。
備考欄には、こう書いた。
「本人確認が必要。なお、宇宙全域を捜索すること」
女の子は帰り際、振り返った。
「おじさんも、誰かを探しているんですか?」
佐伯は答えようとした。
しかし、その名前が出てこなかった。
「そうだったかな」
女の子はうなずいた。
「見つかるといいですね」
そう言って、扉の向こうへ消えた。
佐伯は受付票を見下ろした。
その下に、いつの間にかもう一枚、古い受付票が挟まっていた。
紙は黄色く変色し、文字はかすれていた。
品名、宇宙。
持ち主、佐伯。
回収場所、宇宙の外側。
受付年月日、記録なし。
そして、備考欄には、誰かの筆跡でこう記されていた。
「この者は、何度返却しても戻ってくる。本人に返却の意思なし」
佐伯は、その紙を裏返した。
裏には小さな文字があった。
『だって、ここがぼくの家だから』
佐伯はしばらく考えた。
それから、その受付票を未返却品のファイルに綴じた。
宇宙忘れ物管理局第七支部の時計は、午後五時を指していた。
佐伯は帰り支度を始めた。
明日も仕事がある。
まだ、返していないものがたくさんある。




