通り過ぎる、通り過ぎない
重いキャリーケースをエスカレーターに乗せると、新幹線の発車音が聞こえた。なんとはなしに自分の切符を確認してしまい、時刻は間違っていなかった、と安堵する。
ゆっくりと登るエスカレーターの右にはJRの大きな広告。自分の故郷を見付けると、奇妙な気分になったが、同時に誇らしさも湧いた。
するすると広告をひとつ通り過ぎる。
隣では先の新幹線から下車した人々がドサドサと私の脇を抜けてゆく。別段なんの感慨もなく、できるだけ視線を合わせぬよう、視界に入れていると、子供が泣いた。新幹線の中に大事な物を置き忘れてしまったようだ。
母親に抱かれあやされる子供が通り過ぎて行った。ふと右を見るともう広告は別なものに変わっている。
これから行く温泉。湯けむりの中に首から肩まで艶やかに剥き出した女性が中央に置かれた写真。それがなんともわざとらしく、つまらないものに感じ、スマホを取り出した。
10月25日9:36
SNSに通知はない。ややガッカリしつつ、スマホをバッグに仕舞った。
後ろからトントンと音が聞こえ、エスカレーターが揺れる。急ぐ人か。
ぶつかりたくないので、右に寄った。
通り過ぎた男性は、山にでも行くような格好で、大きなリュックを背負った背の高い人だ。秋の行楽シーズンなら山登りはさぞかし気分が良いのだろう。遭難しなければいいな。
男性を見送ってもまだ湯けむりの広告の場所にいた。案外ポスターは大きなものだ。
それも終わり次の広告が見えるとまた同じ広告。私の行く先はそんなに有名なのだろうか。まあ、名所ではあるが、故郷よりも多く宣伝されているのが若干悔しくはある。
こっちもいい所だよ、とあれやこれやと名所や郷土料理が頭に浮かび、誰に言う予定もないのに宣伝文句を考えてしまう。
明るくなってきた。そろそろエスカレーターの終わりが近づく。重いキャリーケースを動かさなければならない億劫さが湧き上がってきた。
すーすーとエスカレーターの黒い縦線が隙間に吸い込まれてゆく。段差が薄くなってゆき、地面が平坦に近くなる。
このままホームの地面と本当に真っ直ぐな平坦なら楽なのに、とキャリーケースの車輪をゴトンと引きずりながら、ホームへ出た。
駅弁でも買って食べるのも良いかもしれない。朝食を済ませていない私は、「弁当」と書かれた店へ向かった。
「崎陽軒のシウマイ弁当ください」
結局これを買ってしまう。シュウマイはもちろんだが、おかずのタケノコの煮物がとても好きだ。あの色と香りを思い出すとお腹が鳴った。
私が乗車予定の新幹線はまだ来ていない。何かお菓子でも、と追加で店の隅にぶら下げられているミルクキャンディを買った。
さて、と切符を取り出し番号を確認する。乗り場が案外遠い。ガラガラとシールでいっぱいのキャリーケースを引きずりながら、のんびりと歩く。
喫煙所に差し掛かると、見知らぬ人と目が合いすぐに逸らされた。
清潔感のある大きな喫煙所は、平日のこの時間でも案外人が多い。愛煙家は見かけなくなっただけで、絶滅したわけではないんだな、と何となくコンビニに並ぶタバコを思い浮かべ、通り過ぎた。
「あ、すみません」
余所見をしていたら、人にぶつかりかけていた。よく見ると、先の山登り姿の男性だ。
「こちらこそ」
男性に頭を下げ、目を伏せながらできるだけ距離を置いた。
通り過ぎる男性のリュックには名前のようなアルファベットのキーホルダーが揺れている。
KAORU ISHIDA
英語読みで作っているなら、もしかしたら外国人の友達と一緒に登るのかもしれない。
見かけによらず綺麗な響の名前。薫って書くんだろうか。呼ぶこともないのに、想像して楽しんだ。
やっと乗り場に辿り着いた。黄色い点字ブロックに車輪が乗り上げ、やや焦って平地に移す。これを使ってる人、見かけたことがないけれど、本当にいるんだろうか。どこにでもあるし。
などと考えている自分は、これを必要としている人に失礼だろう。だが、失礼だと思う時点でさらに失礼な気もする。
独りで旅立ってから、何気ないことや不毛なことばかり考えている自分に、溜息を吐いた。
何をしているんだろう。
新感線到着の報せが鳴る。軽やかなメロディがやけに耳に着いた。早く座って駅弁食べたい。
プシュー
扉が開く。乗り込もうとすると、後ろから誰かが走る音が聞こえた。まあ、扉が開いたら何となく焦るよね。早く座りたい私はそれ以上気にも留めずに乗車し、自分の座席へと移動する。
キャリーケースがゴツゴツと他の座席にぶつかる。些細なことだが、面倒な心持ちになる。
「すみません通してください」
正面から申し訳なさそうに頭を下げる、初老の女性が来た。幸いにも空席の場所があったので、そこへ入る。
「ありがとうございます」
「いえ」
なんでもないやり取り。それでも少し良いことをした気分になる。そんな時は視界が若干明るくなるものだ。
女性のおかげで、気分よく自分の座席に到着。誰もいない。いそいそと窓際に座り、少し椅子を調節すると、前の座席の背に引っ付いている白テーブルを開いて倒し、飲み物と駅弁を置く。
さあ、至福の時だ。輪ゴムを外して弁当の蓋を開けると、ふわっとシュウマイの香りが鼻腔に漂った。箱の隅にはこんもりと盛られたタケノコの佃煮。
「あの、席間違えてません?」
箸を割ろうとしたら、声をかけられた。
間違い?慌てて番号を見る。間違えていない。
「ここですが?」
怪訝な顔付きは隠せなかったと思う。そんな顔を上げると、KAORUのキーホルダーの人だった。
それはどうでもいい。早く食べたい。だけど、話し掛けられている状態で食べ始めるようなことは、さすがにできない。
「おっかしいなぁ」
「私の切符はこれです」
面倒臭いのでぞんざいに突き出した。KAORUはじっくり見て、あっ、という顔になった。
「隣でした!」
私はA席だ。隣ならB席だ。どうやったら間違えるのだろう。もしかして……私は先の点字ブロックを思い出す。弱視なのかもしれない。
いや、だがそれは考えすぎだ。この車両のこの座席は……。
「切符見せてもらえます?」
もしかしたら車両ごと間違えているかもしれない。KAORUは素直に切符を私に預け、大きな荷物を上に乗せ始めた。まだ座席が合っているか分からない。私は急いで確認した。
「隣だ」
「本当に失礼しました」
「あ、いえ……ここで良かったです」
つい余計なことまで言ってしまった。不思議そうな顔をしたKAORUだが、すぐに笑顔で礼を言ってきた。健康的で明るい笑顔だ。
そして、ドカりと座ったことで、危うく弁当が落ちそうになり、開けていたペットボトルの蓋がコロンと落ちて転がった。
「あ」
「す、すみません!」
前の座席の下に転がって行った蓋。KAORUは大きな体を急いでしゃがませ、座席の下を覗き込む。
「あの、いいですよ。新幹線に乗ってる間に……」
「あった!」
大きな声で蓋をつまんで見せてきた。通路を行き交う数人の視線が集まる。なんだか愉快な気分になった。
「わざわざすみません」
「こちらこそ、汚してしまってすみません」
「あの、座ってください」
お互いにペコペコとしながら、KAORUは慎重に椅子に座った。その様子が可笑しくて、笑いそうになったけど、つまらないはずの旅に僅かな明るさが差したことが、心地よかった。
新幹線が発車して落ち着いたので、私はやっとシウマイ弁当を食べることができた。もう声に出してしまいたいくらい美味しい。
座席はガランとしていて、私の列はAB席だけ。これから乗る人がいるのかもしれないが、もっとゆったり座りたかった。弁当の蓋を閉めて袋の口をキュッと結びながら、本を読んでいるKAORUの腕が私の腕に当たっているのが気になって仕方がない。
山に登る人はガッシリしているものなんだろう。
そういえば、山に登ると勝手に思い込んでいるが、実際はどうなのだろう。
どうでもいいはずのそれが、気になった。
「アメ、食べます?」
「え?あ、はい」
本当に何をやっているんだろう。おばさんでも今どきこんなことをしないんじゃないか。素直に受け取るこの人も、人が良い。
「美味い!」
「こ、声が大きいですっ」
やってしまったといった顔で、頭を搔くKAORU。つい窘めてしまった。人なっこさが犬みたいで、たまらずに笑ってしまった。
「あの、おひとりですか?」
笑っている私にKAORUは遠慮がちに尋ねた。途端に私は現実に戻される。聞いて欲しくなかったわけでもないが、別段答えるほどのことでもないのだ。
「ええ」
短く答えると、どこへ、と尋ねられた。あの広告ポスターがチラと頭を過ぎる。
「その温泉でしたら、俺も同じ場所で降りますよ」
だから何なのだろう。関係ないように思えた。だが、嬉しそうに言われてしまえば邪険にもできない。
「そうですか。行楽シーズンですからね。山は綺麗でしょうね」
「山に登りに行くんですか?」
「そう見えますか?」
問い掛けに返すと、KAORUは私を上から下まで眺めた。この人はなんでこんなにあけすけに行動できるのだろう。
「見えませんね」
「でしょ?あなたは山へ?」
「はい!」
「声が……」
やっぱり山に登るんだ。当たっていたことが少し嬉しく、そして、私とは別の目的であることに微かな寂しさを感じた。
駅に到着すると、私達は軽く礼をして別れた。
出発地より肌寒く、駅からでも紅葉が見れるほどだった。途中から人が多く乗ってきたので、下車する人々は多い。波に運ばれるように移動しながら、駅前のタクシーに乗り込んだ。
山深く、クネクネと曲がる坂道を運転手に話しかけられながら登ってゆく。時折、ヘルメットを被った自転車乗りを追い越す。元気だなぁ、絶対無理。と運転手と話しながら。
大きく趣のある旅館に辿り着いた。手入れの行き届いた日本庭園はとても綺麗で、はらはらと落ちるもみじが、ここは別世界だと言っているようだった。
通された部屋は私ひとりが使うには広すぎるけれど、大きな窓からは目を見張るほどの鮮やかに染まった山々が見渡せた。
KAORUはあの辺に登るんだろうか。山を登るってどんな気分なのだろうか。道中少しは聞いてみれば良かった。あの気さくさなら、きっと答えてくれただろうに。
景色からふっと目を逸らし、バッグからスマホを取り出す。画面を開く前に通知が山になっていた。
さすがに気付いたか。
電源はそのままにして、バッグに仕舞った。
別に特別な理由なんてない。ただ、そうしたいからここに来た。
「でも、折角だから滞在中は満喫しよう」
自分に向けてそんなことを言ってみた。
旅館周辺は温泉街らしい趣で、どこを見てもつまらなかった。もちろん見慣れてなんていないし、綺麗だ。でも、自分とはかけ離れていくものにしか見えないと、何を見ても面白くないものらしい。
どうやら満喫はできないようだ。そんな風に思っても、とにかく色んなことをしてみた。やれるだけのことをやれば心も動くのではないかと期待して。
夕飯は部屋に運ばれた。あまりに豪勢な食事。これみよがしに美味しい。それを独りで食べていることに贅沢さも何も感じない。
味覚は歓喜しているのに心は虚ろなままだった。なんて楽しくないんだろう。
本当に何をしてきたんだろう。
ほとんど残した食事。旅館の人に口に合わなかったのかと気を使われてしまった。こういう時、なんて声を掛ければいいのか分からなかったから、「少食です」と答えておいた。次の日からはやや少なめにご飯が盛られるようになった。
三日目、旅館に慣れてきた私は、いつもより長く温泉に浸かった。人が少なかったこともあり、のんびりしたくなったのだ。
案の定だがのぼせた。竹作りのベンチでしばらく寛いでから、暖簾をくぐって廊下に出た。
「あ!!」
どこからか大きな声が聞こえる。待ち合わせしたカップルかなにかだろう。それよりアイスでも……。
「俺です!」
「……あ」
犬のように嬉しそうに駆けてきたのは、KAORU。
って、メイクしていないのに!私はやや顔を下に向けた。
「同じ旅館だったんですね。全然会わなかったなぁ」
「まあ、広いですしね。一人だったんですか?」
「そうですよ。アイスでも食べません?」
アメのお返しだ、と自販機からチョコミントアイスを2つ買って渡された。私はチョコミント味が嫌いだ。が、再会をこんなに喜ばれてはそんなことも言えない。
「ありがとう。いただきます」
「いつまでいるんですか?」
「……」
無邪気な問い掛け。答えに窮した。私は、明日ここを出る。それだけのことを言えなかった。
「俺、石田薫って言います。女みたいな名前でしょ」
「知ってます」
「なんで!」
相変わらず声が大きくなる。私はキーホルダーの話をした。それだけのことなのに、まるで見つけてくれたと言わんばかりに喜ばれる。
「名前、教えてくれませんか?」
「浅田真紀です」
「真紀さんかぁ」
KAORU、いや、薫のアイスはすぐになくなった。食べるのも元気だ。
そうだ。山のことを聞けばよかったと思っていたんだった。やり残しを見つけた心地になった私は、彼に問いかけた。
なぜか彼はじっと私を見る。何も答えずに。
「変な事聞いてごめんなさい。もう部屋にもど……」
「付き合ってください!!」
「……………………は?」
「死ぬ気、ですよね?」
二連爆弾が投下された。私はたぶん人生の中で一番目を見開いていたと思う。
「えっと……」
薫は私の溶けかけのアイスを奪い取り、一気に食べると、口の周りをアイスだらけにして真剣な顔を向けた。
「死ぬなら付き合ってもらいたい」
「……まず口を拭こうか」
何が起きたら自殺から付き合う、という発想になるのだろう。
タオルを渡すと、薫は乱暴に口元を拭いた。まだチョコミントが残っているのは黙っておこう。
それより、私は死ぬつもりなんて一切ない。単に元彼に振られた挙句に会社を辞める羽目になったから、自暴自棄にはなっているけれど、心の身辺整理を付けに来ただけだ。
「あの、死にませんが……」
「え!」
「なので、付き合わなくてもいいですよ」
きっと生きる希望を与えようとしてくれたのかもしれない。余計なお世話だが、彼らしいようにも思えた。
「では」
座っていたベンチから離れようと立ち上がると、ガシッと手を掴まれる。少し痛い。
「死なないならもっと付き合いたい。新幹線の中で言えなくて、後悔してたんです」
話を聞いてみると、切符の気遣いに一目惚れしたが、同時に影のある女だと思われていたらしい。まあ、間違ってはいないだろう。実際に気持ちは暗闇だった。新幹線で薫が隣にいてくれた時間だけ、暗闇を少し忘れることができていた。
彼は彼で、こっちに来てから、温泉宿にひとりで泊まる女は自殺をする、という話を聞いて不安に駆られたらしい。
不思議なものだ。今こうして会話していて、おかしなことを言われていても、面白い。そうじゃない、楽しい。
「ふふ、あはは」
「笑われるところかな」
首を傾げる薫。人生にこんな変なことがあるなんて、笑うしかない。
暗闇が晴れようとしていた。視界が明るくなる。
「薫さん。明日、温泉街を一緒に回ってくれませんか?」
つまらなかった風景が、もしかしたらありのままの綺麗な姿に映るかもしれない。
そんな予感がした。
完




