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コズミック・ドリフター⑤奈落の監獄(監獄ユートピア “タルタロス・ピット”)  作者: naomikoryo


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第九話:奈落からの跳躍

青白い光が収束し、三人の足が床を捉えた瞬間。

陸は、咄嗟に息を止めた。


空気が違う。

タルタロスの粉塵の乾きも、消毒薬の刺す匂いもない。

代わりにあるのは、古い紙の匂い。

インク。

革装丁。

そして、湿った木材の匂い。


静かだった。

音が、深い。

遠くで何かが軋む音がしても、それは建物が生きている音に聞こえる。

監獄の無機質な音とはまるで違う。


だが、安心する暇はない。

跳躍直後の身体は、まだ世界に馴染んでいない。

膝が震える。

胃が浮く。

視界の端が白く滲む。


「……着いた」


陸が呟くと、リラがすぐに周囲を見回した。

白い髪が乱れたまま、紫紺の瞳だけが鋭い。


「……余計なことを」


リラは吐き捨てるように言った。

だが声の底に、かすかな安堵が混じっている。

それを隠すために、口調が余計に尖る。


「悪い」


陸は短く言った。

謝るべきだと分かっている。

勝手に彼女の“座標”を盗んだ。

でも、あの場ではそれしかなかった。


「謝ってる暇はねえ」


ザインが割り込む。

赤毛の男は、壁にもたれた。

肩から血が流れている。

腕に焼けたような痕があり、首輪がまだ光の残滓みたいに鈍く輝いていた。


「追跡が来るぞ」


「……分かってる」


リラは即答した。

そして、陸を睨む。


「今の跳躍。追跡が付いてる可能性がある」

「ここに来たこと自体が、私のカードを一枚切ったのと同じだ」


陸は唇を噛んだ。

カード。

情報屋の言葉。

命綱を一本晒したという意味。


「でも」


陸は言いかけて、言葉を飲み込む。

でも、なんて言い訳だ。

生きるために必要だった。

それだけだ。


リラは舌打ちをして、床に片膝をついた。

指先で、床の紋様をなぞる。

そこに刻まれているのは、文字だ。

古い言語。

でも陸でも分かる。

本の背表紙みたいな、整然とした刻印。


「……結界」


リラが呟いた。


「まだ生きてる」


結界。

その言葉に、陸は背筋がぞくりとした。

こんな場所があるのか。

科学の銀河に、結界という単語が自然に馴染む場所が。


陸は初めて、周囲をちゃんと見た。


広い。

天井が高く、アーチ状の梁が幾重にも重なっている。

壁一面が本棚。

棚の高さは人の背を優に超え、上段は梯子がなければ届かない。

古い本、新しい端末、巻物、金属板、結晶記憶媒体。

情報が、形を変えて積み上がっている。


灯りは暖色だった。

火ではない。

でも火のように揺れる、柔らかな光。

視界が痛くならない。

タルタロスの白い殺菌光とは違う。

人間のための光だ。


「……ここが」


陸が呟く。


「ライブラリア……?」


リラは答えない。

答える代わりに、拳を握っていた。

指先が震えている。

怒りか、疲労か、恐怖か。

全部だ。


その時。

本棚の影から、足音がした。


コツ。

コツ。


ゆっくり。

でも迷いがない。

足音が近づくほど、空気が変わる。

圧が増す。

監視の圧ではない。

“場所”が持つ重みが、音と一緒に近づいてくる。


影が現れた。


背の高い人物。

フード付きのローブ。

色は深い藍。

顔は影になっているが、瞳だけが見える。

光を吸うような、濃い灰色。

年齢は分からない。

若いのか、古いのか。

それすら情報として曖昧だ。


「……久しいな」


声は低い。

男とも女とも断定できない。

だが、何かを知っている声だった。

この場の全てを。


リラが立ち上がった。

一歩前に出る。

紫紺の瞳が真っ直ぐ刺さる。


「……誰だ」


声が震えていない。

けれど陸には分かる。

肩の位置が僅かに高い。

緊張している。


ローブの人物は、ゆっくりフードを外した。


現れたのは、老人だった。

白い髭。

深い皺。

だが目だけは、驚くほど澄んでいる。

その澄み方が怖い。

水面の澄みではない。

底まで見える澄み。

隠し事が許されない澄み。


「ライブラリアン」


老人が言った。


「そう呼ぶ者もいる」


その言葉に、陸は息を呑んだ。

リラのコードネームと同じ。

けれど、重みが違う。

それは“職業名”ではなく、称号みたいに響いた。


リラが唇を噛む。


「……私を、その名で呼ぶな」


老人は微笑んだ。


「ならば呼ばぬ」

「だが、お前がここへ来た以上、名は戻ってくる」


名。

戻ってくる。

言葉が不吉だった。


老人の視線が、陸へ向く。

その瞬間、陸の背筋が冷える。

見られている。

身体ではなく、存在の根を。


「星渡りの異邦人」


カシウスと同じ呼び方。

だが、老人の声には嘲りがない。

ただ事実を呼んでいるだけ。

それが逆に怖い。


陸は反射でリラを見る。

リラは、老人から目を逸らさない。


「……ここは安全か」


リラが訊く。

声が短い。

急いでいる。

追跡が来る前に、確認したい。


老人は頷いた。


「今はな」


「だが、永久ではない」


その答えが、リラの眉を僅かに動かした。

永久ではない。

つまり追われる。

つまり居座れない。


「タルタロスからの脱出は、クロノスの耳に入っている」


老人は淡々と言った。

その淡々が恐ろしい。

情報が、この場所では空気みたいに流れている。


「……カシウスが来る」


リラの声が低くなる。


老人は静かに頷く。


「来るだろう」


「だが、その前に」


老人の視線が、ザインへ移る。

ザインは壁にもたれたまま、鼻で笑った。


「……何だよ、爺」


老人は答えない。

代わりに、指を鳴らした。


カチン。


その音と同時に、床の紋様が淡く光る。

光が、首輪へ伸びた。

まるで糸が絡まるみたいに。


次の瞬間。

三人の首輪が、一斉に静かになった。

光が消える。

熱が引く。

皮膚の痛みが薄れる。


陸は思わず首元を押さえた。

そこにあるはずの圧迫感が、半分消えている。


「……何をした」


リラが即座に問う。

警戒の声。


老人は穏やかに言った。


「抑制はこの場では働きにくい」

「ここには、ここなりの秩序がある」


秩序。

クロノスが語る秩序とは違う。

ここは人を縛るための秩序ではない。

人を守るための秩序に聞こえた。

陸はその違いを、肌で感じた。


老人は本棚の間へ歩き出し、三人に背を向けたまま言った。


「来い」


「話すことがある」


「お前たちが知るべきことがある」


それは誘いではなく、宣告だった。

拒否権がない種類の言葉。

でも、それは脅しではない。

必然の響きだった。


リラが一歩動いた。

陸はそれに続く。

ザインも、壁から身体を離した。

血が垂れるのに、彼は顔を歪めない。

だが歩みは僅かに重い。

限界が近い。

それでも止まらない。


本棚の奥。

円形の広間に出る。

中央には大きな机。

机の上には古い地図。

銀河図ではない。

星の配置が違う。

古代文明の航路図。

そんな匂いがする。


老人は机の端に手を置き、言った。


「クロノス・オーダーは」


「ただの組織ではない」


「信仰であり、病でもある」


リラの瞳が、僅かに揺れる。

病。

セレネでカシウスが言った言葉と繋がる。


老人は続ける。


「お前の一族」


老人の視線がリラへ向く。


「そして、お前の力」


視線が陸へ向く。


「それらは、同じ場所に根を持つ」


陸の心臓が跳ねた。

同じ場所。

根。

予言。

末裔。

鍵。

全てが一本の糸になりそうで、怖い。


リラが言った。


「……核心を言え」


いつもの口調。

苛立ち。

だがその苛立ちは、怖さを隠すための苛立ちだ。


老人は、静かに笑った。


「焦るな」


「焦りは、クロノスに勝てぬ」


その言葉が、リラの怒りを一瞬だけ止めた。

リラは口を閉ざした。

悔しそうに。

でも、聞く姿勢に戻った。


老人は机の上の地図を指でなぞる。

星々を繋ぐ線。

古い航路。

そして、一点に集まる線。


「エデン」


老人が、ぽつりと言った。


その名が、空気を変えた。

ただの単語なのに、重い。

最後の場所みたいに重い。


「……エデン?」


陸が呟く。


老人は頷いた。


「そこに眠るものが、すべての始まりであり」

「すべての終わりになる」


リラが、息を吸った。

怒りではなく、痛みの吸い方。


「……クロノスはそこを狙っている」


老人は答えない。

答えない代わりに、机の引き出しから一枚の薄い金属板を取り出した。

古い記憶媒体。

そこには、紋章が刻まれている。

円と砂時計と剣。

クロノスの紋章。


老人はそれを机に置く。


「タルタロスの件は、序章に過ぎぬ」


「カシウスは、試した」


「お前たちが“折れるか”を」


陸は拳を握った。

折れない。

折れていない。

でも、ギリギリだった。

その自覚が悔しい。


老人は続ける。


「次は試すだけでは済まぬ」


「奪いに来る」


「陸の力を」


「リラの血を」


「そして――」


老人の視線が、ザインへ向いた。


「その暴力を」


ザインが舌打ちした。


「……くだらねえ」


老人は否定しない。

ただ言う。


「くだらぬものほど、利用される」


その言葉が、妙に刺さった。


陸は机の端に手を置いた。

指先が震える。

怖い。

でも、ここまで来た。

ここまで生き残った。

なら、聞くしかない。

知るしかない。


「……じゃあ、俺たちはどうすればいい」


陸が問うと、老人は初めて真正面から陸を見た。

澄んだ目。

底まで見える目。


「学べ」


「そして選べ」


「帰るか」


「残るか」


「戦うか」


「逃げるか」


「それを決めるための時間を、このライブラリアは与える」


与える。

時間。

それは救いの言葉のようで、同時に猶予のない言葉でもあった。


背後で、本棚が微かに軋んだ。

まるでこの場所そのものが、呼吸をしているみたいに。


老人は最後に言った。


「だが忘れるな」


「クロノスは、時間を奪う」


「奪われる前に、動け」


その言葉が、陸の胸に刻まれた。

リラの瞳にも。

ザインの金色の奥にも。


三人は黙っていた。

言葉が出ないのではない。

言葉を出すと、何かが決定してしまいそうだった。


それでも。

この場に来たことで分かった。


穴はある。

抑制は絶対じゃない。

敵は、ただ強いだけじゃない。

そして、自分たちはもう一人じゃない。


陸は深く息を吸った。

紙とインクと木材の匂い。

生きている匂い。


奈落から抜けたばかりの心臓が、ようやく本当の鼓動を取り戻し始める。


(次は)


陸は心の中で呟いた。


(次は、奪われる前に動く)

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