第六話:暴動
赤い非常灯が、労働区画を血の色に染めた。
警告音が頭蓋の内側で反響し、鼓膜の裏を叩き続ける。
ドローンの単眼が一斉に点滅し、床に赤い照準が踊った。
その赤が、囚人たちの足元を走り、次の瞬間には人の胸へ移る。
悲鳴が上がった。
レーザーが撃たれたのか。
スタンが走ったのか。
区別がつかないほどの混乱。
ただ確かなのは、暴動が始まったという事実だけだった。
陸は走った。
首輪が熱を持つ。
反抗の意思に反応して、皮膚の内側を焼くように痛む。
それでも止まらない。
止まった瞬間、飲み込まれる。
この場所の暴力は“休む”を許さない。
前方で、ザインが囚人の波へ突っ込んでいく。
拳が振るわれ、金属工具が吹き飛び、誰かが壁へ叩きつけられる。
首輪が光る。
痛みが走る。
それでもザインは笑っていた。
笑っているのではない。
歯を剥き出しにして、痛みを噛み砕いている。
「来い!」
ザインの声が、怒号と警報の中でもはっきり響いた。
陸はその背中を追いながら、必死に周囲を見る。
監視塔。
通路の分岐。
看守の配置。
ドローンの巡回ルート。
リラに辿り着くための道。
そして、“封じ”の中心。
労働区画の奥。
巨大な配管が束になって伸びる方向。
そこに、他と違う空気がある。
熱。
振動。
低い唸り。
動力炉。
(あそこだ)
陸がそう確信した瞬間、右側の作業ラインが爆ぜた。
誰かが工具で制御盤を叩き割り、火花が噴き上がったのだ。
閃光に囚人が目を眩ませ、ドローンの照準が一瞬乱れる。
その隙を逃さず、数人が看守へ飛びかかった。
看守の装甲が軋み、スタンが走り、また別の囚人が痙攣して倒れる。
暴動は波だった。
一つの波が砕けても、次の波が押し寄せる。
怒りと飢えが、形を変えて襲う。
「どけ!」
陸は喉を裂くように叫んだ。
叫ぶつもりはなかった。
でも叫ばないと、誰かの肩にぶつかって転ぶ。
転んだら終わりだ。
首輪が熱くなる。
痛みで視界が滲む。
だが陸は歯を食いしばり、走る勢いだけを殺さない。
(リラ)
胸の奥で名前を呼ぶ。
声にしてはいけない。
この場所では名前すら弱点になる。
突然、正面から巨体がぶつかってきた。
囚人。
血走った目。
歯を剥き、工具を振り上げている。
「邪魔だァ!」
振り下ろされた工具を避けようとして、陸は反射で跳躍のイメージを描いた。
(横へ)
(一歩でいい)
(距離はいらない)
――反応はない。
代わりに首輪が眩しく光り、鋭い痛みが脳へ突き刺さった。
陸は呻き、膝が折れかける。
(くそっ……!)
その瞬間、横から赤い影が割り込んだ。
ザインの拳が囚人の顎を跳ね上げ、巨体が崩れる。
床に落ちる音が鈍く響いた。
「ぼさっとすんな!」
ザインが吐き捨てる。
声が怒っている。
でも怒りの向きは陸ではない。
この状況そのものだ。
この檻だ。
陸は息を整え、頷きかけて、頷かない。
頷く動作すら目立つ。
ただ、足を動かした。
二人は配管の森を抜け、奥へ突き進む。
周囲の熱が増す。
空気が乾き、鉄の匂いが濃くなる。
遠くで低い唸りが鳴っている。
巨大な獣が眠って呼吸しているような音。
動力炉室の手前には、金属格子のゲートがあった。
平時なら看守が常駐しているはずだ。
だが今は、暴動で人手が裂けている。
ただ、機械のロックだけが残っていた。
「……チッ」
ザインが舌打ちする。
拳を振り上げようとして、首輪が光る。
痛みが走る。
それでも彼は振り下ろした。
拳が格子に当たり、鈍い音。
格子は軋んだが、すぐには開かない。
「硬ぇな」
「……鍵がいる」
陸が呟く。
鍵。
それはこの章の言葉だ。
三本の矢。
束ねるもの。
でも今、ここにあるのは二本だけ。
その時、背後から声が飛んだ。
「どきな」
女の声。
低い。
乾いている。
だが、芯がある。
陸が振り返る。
そこに立っていたのは、細身の女だった。
年齢は分からない。
頬がこけ、唇が荒れている。
髪は短く切られ、色は煤けた銀。
目は黒い。
黒いのに、どこか光を宿している。
首輪がある。
それでも彼女は堂々としていた。
囚人たちの視線が彼女を避ける。
避けるというより、触れないようにしている。
危険物扱い。
「……誰だ」
陸が言うと、女は片方の口角だけを上げた。
「名前は捨てた」
「ここじゃ、名前は鎖になる」
その言葉の冷たさに、陸の背筋が震えた。
リラが言いそうな理屈。
でも、リラよりずっと荒れている。
擦り切れている。
それでも折れていない。
「情報屋」
ザインが短く言った。
確認するような声。
女が鼻で笑う。
「そう呼ぶ奴もいる」
彼女は膝をつき、格子のロック部へ手を伸ばした。
工具も何もない。
ただ指先だけが動く。
爪の間に隠した薄い金属片が、光を反射した。
即席のピック。
「おい」
陸が思わず言う。
「そんなので開くのか」
女は答えない。
指先が踊る。
金属片がカチリ、と小さく鳴る。
次の瞬間、ロックが外れた。
格子が、重い音を立てて滑った。
陸は目を見開く。
信じられない。
この監獄の扉が、こんな簡単に。
女は立ち上がり、二人を見る。
「動力炉へ行きたいんだろ」
陸は咄嗟に身構えた。
罠かもしれない。
ここは罠だらけだ。
助けは、毒かもしれない。
だがザインは一歩も引かずに言った。
「何が目的だ」
女は肩をすくめた。
「同じだよ」
「ここから出る」
短い答え。
それだけで、利害が一致するのが分かる。
陸が息を吸った。
そして、聞くべきことを聞いた。
「……抑制フィールド」
「どうにかできるのか」
女の目が、ほんの少しだけ細くなる。
笑っているようで、笑っていない。
「できる」
「ただし、秒だ」
「数秒だけ」
陸の心臓が跳ねた。
数秒でもいい。
その数秒があれば、跳べる。
跳べれば、道は作れる。
「動力炉の補助系統を落とす」
女は淡々と言う。
「主電源じゃない」
「主を落としたら、ここにいる全員が死ぬ」
「でも補助なら、磁場が揺れる」
「揺れた瞬間に、首輪の抑制が薄くなる」
ザインが低く笑った。
「面白え」
女は冷たい目で言う。
「面白がるな」
「生きるためだ」
その言い方が、陸の胸を刺す。
生きるため。
それは、この章の共通言語だ。
陸は頷きかけて、止めた。
頷くより先に、聞く。
最優先。
「……リラは」
口にした瞬間、女の目が一瞬だけ動いた。
ほんの僅か。
でも確かに、反応した。
陸の背中に冷たい汗が滲む。
「リラ?」
女が繰り返す。
その声に、かすかな棘が混じった。
「誰だ」
陸は唇を噛む。
名前は鎖。
でも、相棒の名を捨てられない。
「俺の……相棒だ」
陸が言うと、ザインが鼻で笑った。
笑っている暇じゃないのに、なぜか笑う。
この男の生き方だ。
女は視線を逸らし、吐き捨てるように言った。
「隔離区画だ」
陸の胸が締まる。
「やっぱり……!」
女は続ける。
「頭の切れる女は、みんなそこへ送られる」
「監獄は、知恵が一番嫌いだからな」
その言葉は、リラそのものだった。
陸は拳を握った。
爪が掌に食い込む。
(待ってろ)
今度こそ、行く。
女が前へ歩き出す。
動力炉室の奥へ続く通路。
赤い非常灯が、彼女の背中を切り取る。
「ついて来い」
女が言った。
命令みたいに。
でも、その口調には迷いがない。
迷えば死ぬ場所で生きてきた人間の口調。
ザインが陸を見る。
金色の瞳が、問いかける。
行くのか。
行けるのか。
陸は息を吸い、吐いた。
「行く」
声は小さい。
でも芯は折れない。
三人が揃った。
力。
知恵。
そして、封じられた跳躍。
矢は、束ねられるためにここへ集まった。
誰の計算でもなく。
誰の祈りでもなく。
ただ、生き残りたいという意志の一点で。
暴動の怒号が背後で膨れ上がる。
ドローンの照準が揺れ、看守の叫びが重なる。
タルタロス・ピットが、自分の腹を破ろうとしている。
陸はその音を背に、動力炉の闇へ足を踏み入れた。
胸の奥で、たった一つの祈りが燃える。
(数秒でいい)
(その数秒で)
(俺は跳ぶ)




