76話
「あはははははははは」
甲高い笑い声が、崩れた城砦の壁に反響して何重にもこだまする。
ここは第三の島。
アキが第二の島でボスを倒すよりも前の出来事だった。
城砦の跡地に広がる瓦礫の荒野に、アキを除いた探索者たちの全員が倒れていた。
ある者は崩落した城壁の瓦礫に足を押し潰され、ある者は手足の骨を不自然な角度にへし折られて地面に転がっている。
立っている人間は、一人もいなかった。
ロレーヌの姿は、船上で見たものとは完全に異なっていた。
黒い鱗に覆われた二頭のドラゴン。
二つの首がそれぞれ独立した意志を持つかのように動き、その長い尾が瓦礫を紙屑のように蹴散らしている。
戦闘開始からおよそ五分。
たったそれだけの時間で、その場にいた全ての探索者が圧倒された。
自らが最強だと自負し、豪語していた水龍ですら例外ではなかった。
先端が三又に分かれた彼の得物、三又戟は柄の中央から折り砕かれ、使い物にならない棒切れと化している。
大量の血を流しながら地面に倒れた水龍の体は、それでもまだ僅かに動いていた。
黒いスーツの老人も地面に伏せている。
片腕が肘から先、異様な角度に曲がっており、潰されているのは明白だった。
ただ、一人だけ。
土下座するように地面に這いつくばった草薙だけは、未だ無傷であった。
誰も彼もが重傷を負っている。
しかし、その戦場の破壊の痕跡とは裏腹に、未だ死者は出ていなかった。
何故か。
ひとえに、ロレーヌの性格に起因していた。
圧倒的なまでの力を示し、嬲り、絶望を刻み込んでから殺す。
そのためだった。
ロレーヌの性格は曲がっている。
曲がっているが故に、全員が生かされていた。
「あぁ、気分がいいわ」
ロレーヌはひとしきり笑い終えると、不意に落ち着きを取り戻した。
二つある首のうち片方が、ゆっくりと戦場を見渡す。
「アキはどこに隠したのかしら」
その声は人間のものとは似ても似つかない、鱗が擦れ合うような不快な響きを纏っていた。
水龍は朦朧とする意識の中で、その言葉を拾った。
バレていないのか。
アキが単身で第二の島に戻ったことを、この怪物は把握していない。
「……意外だな、全知全能とでも言うかと思ったぜ」
水龍は血に塗れた腕で地面を押し、ボロボロの体をゆっくりと持ち上げて立った。
その言葉に、ロレーヌは酷く不愉快そうに鼻を鳴らした。
直後、その長い尾が横薙ぎに水龍の膝を打ち抜く。
鮮血が飛び散った。
膝の関節が人体の構造を無視した方向へ折れ曲がり、水龍の巨体が崩れ落ちる。
その瞬間。
ロレーヌの背後に、社長がすでに接近していた。
水龍がロレーヌの注意を引いた、その一瞬の間隙。
長刀を抜き放った社長は、ロレーヌの首を切り落とすべく全身の力を刀身に込めて振りかぶっていた。
刃が首の表面に到達する。
だが、鱗の表面で刀は完全に停止した。
皮一枚すら切れていない。
その斬撃に追従するように、捻れの炎が横合いから叩き込まれた。
凄まじい熱量を持った捻れた炎の柱がロレーヌの胴体を横切る。
「ここまで見せてもまだ、諦めないのね」
ロレーヌは炎の中からゆっくりと振り返った。
炎は鱗の表面を舐めるだけで、焦げ跡一つ残していない。
社長が即座に後退する。
だが、下がりきる前に胸から大量の血が噴き出した。
ロレーヌの何が、いつ社長の体を裂いたのか。
知覚すら出来ない攻撃だった。
しかし、やはり致命傷ではない。
「何故殺さない」
水龍は折れた膝のまま上体だけを起こし、問うた。
「私が初めに殺すやつは決めてるの」
ロレーヌはそう言い放つと、二つの首のうち片方が醜悪に口元を歪めた。
「でも、今すぐ誰も死なないなんて面白くないね」
そう言って、もう一方の首がゆっくりと草薙の方へ向けられた。
「草薙――私への忠誠を誓うなら、誰か一人選んで殺しな」
言い終えると、ロレーヌはその巨体を悠然と腰に据えた。
追い詰められた人間が何をするか。
それを見物するつもりだった。
どこまでも醜悪。
草薙はゆっくりと面を上げた。
虚ろだった目に、暗い光が宿っている。
それが正気なのか狂気なのかは、もはや誰にも判別がつかなかった。
草薙の視線が、瓦礫の向こうに倒れて気を失っているヒナへ向けられた。
距離がある。
だが、草薙は迷いなくその手に握った遺物を振り上げた。
パーティーの名を冠した長剣、草薙剣。
それが気絶しているヒナへ向かって振り下ろされる。
「――おっと、待ちんかい。人相手なら手出しさせんよ」
潰されたはずの片腕を垂らした黒いスーツの老人が、無事なもう片方の腕だけで草薙との距離を一瞬で詰めた。
草薙の両腕が、肩の付け根から千切り取られる。
轟く草薙の悲鳴が城砦跡地に響き渡った。
切断された両腕が、握られたままの草薙剣と共に地面に転がる。
ロレーヌの尾が間髪入れずに振るわれた。
老人の体が軽々と吹き飛び、城壁の残骸に叩きつけられて崩れ落ちる。
それきり、老人は動かなくなった。
「邪魔が入ったね、じゃあ、あんたらで決めなよ。初めに死ぬ人」
ロレーヌはそう言うと、いつの間にかその前脚の爪の間に、気絶しているヒナの体を引き寄せていた。
誰も、ロレーヌがヒナに触れた瞬間を知覚できなかった。
「決まるまではこれから一分ごとにこの女の体を千切っていく。最初は耳、その次は指、そして目に、腕だ。殺しはしないよ」
立ち上がったのは、ミルだった。
両手にそれぞれ身の丈ほどの巨大な火球を保持し、全身の膂力を込めてロレーヌへ投げつける。
凄まじい熱量を帯びた炎の塊が、ロレーヌへ到達する直前で掻き消えた。
水を浴びせたのでもない。
弾かれたのでもない。
ただ、消えたのだ。
一切の魔法が効かない。
ロレーヌは探索者たちに見せつけるように、攻撃のほぼ全てに対して回避行動を取らなかった。
避ける必要がないことを、態度で示していた。
水龍が折れた膝を引きずりながら拳を叩き込んだ。
捻れが最大出力の炎を撃ち込んだ。
社長が再び刀を振るった。
ミルがさらに火球を連射した。
そのどれもが、無意味だった。
「まずは耳だね」
ロレーヌはそう言うと、前脚の爪でヒナの右耳を千切り取った。
ヒナはその激痛で飛び起き、反射的にロレーヌから距離を取る。
耳があった場所から、止まらない血が首筋を伝って流れ落ちていく。
社長が治癒の炎をヒナへ向けたが、傷口は塞がらなかった。
ヒナだけではない。
ロレーヌから受けた傷は、どの遺物の治癒効果も受け付けなかった。
決して殺されない。しかし、傷は癒えない。
「俺が代わる」
水龍はそう叫んだ。
だが、返答の代わりにヒナの指が切れて飛んだ。
「俺が死ぬ」
社長と捻れが同時に名乗り出た。
だが、ヒナの指がまた一つ切れて飛んだ。
「全員の投票が必要ねぇ」
ロレーヌは心底嬉しそうに言い放った。
わかっているのだ。
要石のメンバーは、自分自身の命ならば差し出せる。
だが、誰も他の仲間を指差すことはできない。
その優しさを、ロレーヌは最も残酷に楽しんでいた。
ヒナの右手の指は、全てなくなっていた。
絶望が滲む中、しかし、ヒナ本人だけはその闘志を燃やし続けていた。
「調子のるなよ、てめー」
指のない右手を庇いながら、ヒナは左手に握った巨大な槌を振りかぶり、ロレーヌへ叩きつけた。
鱗の表面で金属が弾かれ、衝撃がヒナの腕へ跳ね返る。
無意味な攻撃だ。
それでもヒナは振るい続けた。
左手の指を一本ずつ落とされながら、持てなくなるまで槌を手放さなかった。
「生意気な目だね」
ロレーヌは何も持てなくなったヒナを見下ろしながら、静かにその一言を吐いた。
ゆっくりと近づくと、前脚の爪をヒナの顔に伸ばした。
爪の先端がヒナの右目に沈み込み、眼球を抉り取る。
ロレーヌはそれを口に含み、飲み込んだ。
そして、再びヒナを見下ろした。
片目になったヒナの残された左目には、恐怖も絶望も悲嘆も浮かんでいなかった。
指を全て失い、耳を千切られ、目を抉られてなお、その眼に宿った闘志だけは鎮火することがなかった。
最初に気づいたのはロレーヌだった。
不意にその二つの首が同時に空を見上げる。
城砦跡地の上空。
夜の空に、影が浮かんでいた。
赤黒い巨大なドラゴンに乗った、一人の男の姿。
その姿を認めた水龍は、砕けた膝で地面に伏せたまま、ここに来てようやく笑った。
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