75
俺は騎士団と蝕燐竜を広場の中央へ進ませた。
月光に照らされたストーンサークルの内側。
昼間は何もなかったその空間の地面に、異変が起きていた。
地中から白い骨が突き出し、集まり始めている。
一本、二本ではない。
あちこちの土を割って噴出した無数の骨片が、見えない引力に従って一点へと吸い寄せられ、組み上がっていく。
脚が形成され、背骨が繋がり、肋骨が編まれていく。
「そっちか」
俺は短く言葉を吐いた。
ダンジョンのボスは基本的に、そのダンジョンで出現した魔物の上位種であることが多い。
道中、骨の魔物といえば骨鹿が大量に出てきていた。
ならばこいつも、おそらくその上位種だろう。
構築が完了する前に叩く。
俺は騎士団を扇状に展開させ、冥馬には雷撃を全身に溜めさせて臨戦態勢を取らせた。
蝕燐竜はその背中の棘を煌々と光らせる。
黒炎を吐く前の燐光だ。
毒々しい紫の光が夜の広場を照らし、地面に長い影を刻む。
大きく息を吸い込んだ竜の顎が開く。
口腔の奥に溜め込まれた黒炎が、未だ構築途上のボスへ向けて一直線に吐き出された。
その炎は、先ほどの魔物に吐き出していたものとは比較にならないほど濃く、重い。
地面に着弾した黒炎は水のように広がり、構築中の骨に触れた瞬間から内側へと侵蝕を開始した。
蝕むように広がる黒炎が骨の一本一本を黒く染め上げ、ボスの全身を包み込んでいく。
そこへ追い打ちをかけるように、展開した冥馬から紫電が同時に突き刺さった。
轟音と共に重ねられる魔法。
黒炎と雷撃の同時攻撃。
並のボスならこれで死ぬ。
だが、燃え盛る黒炎の奥から、赤い光が脈打つように明滅したのが見えた。
次の瞬間、蝕燐竜の黒炎が不自然に収束していく。
外側から巻き取られるように、炎が急速に縮小し、やがて完全に消え去った。
蝕燐竜の黒炎は通常の炎とは根本的に異なる。
触れた対象を物理的に燃やすのではなく、存在そのものを侵蝕して崩壊させる。
一度燃え移れば逃れる術はないと、思っていた。
「これで、無傷かよ」
骨の構築が完了していた。
巨大な白骨の鹿が、遺跡の中央に四本の足で堂々と立っている。
道中で遭遇した骨鹿とは、あらゆる意味で規格が違った。
全高は蝕燐竜よりも一回り大きく。
枝分かれした角は左右合わせて十数本に及び、その先端の一つ一つに青白い炎が灯っている。
肋骨の隙間から覗く胸の奥に、脈動する赤い球体が鎮座していた。
心臓のような、あるいは魔石のようなそのコアが、赤い光を内側から放っている。
鹿の王。
その威容を前にして、俺の脳裏を占めていたのは畏怖ではなく、先ほどの黒炎の収束だった。
あの消え方は異常だ。
蝕燐竜の黒炎を物理的に消火する手段など、俺の知識には存在しない。
にもかかわらず、炎は外側から内側へと巻き取られるようにして消えた。
まるで、燃え広がった時間そのものが逆再生されたかのように。
思考を遮るように、骨鹿の角の先端から青白い炎が四方へ飛び散った。
冥馬に乗った騎士団はそれを鋭く回避する。
蝕燐竜は逆に距離を詰め、骨鹿の喉仏へと食らいついた。
蝕燐竜よりもボスは大きい。
だが、蝕燐竜の強靭な後脚が地面を抉りながら踏ん張り、その膂力で巨体を力任せに引きずり倒す。
横転した骨鹿の肋骨の隙間から、赤いコアが大きく露出した。
あからさまな弱点に見える。
だが、あからさまであるがゆえに警戒すべきだとも思う。
それでも、ここで仕掛けない選択肢はなかった。
「そのコアを潰せ!」
蝕燐竜は体格では劣っているが、身体能力では明確に勝っている。
命令を受けた竜が喉仏から口を外し、胸の肋骨へ向けてその太い前脚を振り下ろそうとした。
その瞬間だった。
蝕燐竜の全身が光の粒子に包まれ、消えていく。
時間経過による強制回収。
あと少しだった。
あの一撃がコアに届いていれば――。
俺は舌打ちを噛み殺した。
だが、怒りよりも先に違和感が頭をもたげる。
体感で、まだ時間が残っているはずだった。
蝕燐竜の召喚可能時間は300秒。召喚してからの経過時間を考えても、まだ数十秒は残っていたはずだ。
先ほどの黒炎の不自然な収束。
そして今の、体感よりも明らかに早い強制回収。
こいつは、魔法で時間を操っている。
蝕燐竜が消えたのは、召喚時間を無理矢理経過させられたからだ。
俺はすぐさま近くの騎士団を後退させようとしたが、すでに遅かった。
冥馬もろとも、騎士団が次々と光の粒子に分解されて消えていく。
666秒の制限時間が、外部から強制的に終了させられたのだ。
蝕燐竜に引き倒された骨鹿が、ゆっくりと巨体を起こす。
その足元から、異様な光景が広がった。
遺跡の隙間から生えていた草が、見る間に色を失い、枯れ、風化し、塵となって崩れ落ちていく。
一秒ごとに数ヶ月分の時間が経過しているかのような速度で、植物という植物が朽ちて消えた。
その範囲は骨鹿を中心に広がり続け、周囲三十メートルの地面からあらゆる緑が消滅した。
とんでもない時間経過の加速。
攻撃を受けたら時間を逆転させて回復する。
そして攻撃時には時間の経過を桁違いに加速させる。
それがこいつの能力だ。
――これ、俺の手持ちだと詰んでないか?
背筋を冷たい汗が伝う。
俺は冥馬の手綱を引き、骨鹿から距離を取った。
残された手札を頭の中で並べる。
黒兵士を召喚して前衛に出す。
黒薔薇の守護者は出したところで骨鹿の時間操作で即座に召喚時間を消し飛ばされる。
666秒の制限がある以上、出した瞬間に回収されてしまえば意味がない。
黒兵士五体が剣と盾を構えて骨鹿へ向かっていく。
その後方に黒石の巨人を召喚し、追従させた。
骨鹿は動かない。
代わりに、その巨大な角の先端から青白い炎を次々と射出した。
黒兵士は盾を構えてガードするが、着弾の衝撃は盾ごと体を持ち上げるほどの威力だった。
吹き飛ばされた兵士が地面に叩きつけられる前に、俺は回収をした。
黒石の巨人は青白い炎を正面から拳で殴り潰し、そのまま前進する。
やはり、黒石の巨人ぐらいの質量と耐久がなければ戦闘にすらならない。
だが、骨鹿はその巨体をもって黒石の巨人へ正面から突進してきた。
巨大な角を振り立て、地鳴りを起こしながら突っ込んでくるその衝撃は、黒石の巨人の重量すら押し退ける。
これ以上地上にいては巻き込まれる。
俺は冥馬を回収すると、上空から戻ってきた灰流鳥を呼び寄せ、その背に飛び乗って上空へと逃れた。
眼下では、黒石の巨人と骨鹿の正面衝突によって地面が蜘蛛の巣状にひび割れていた。
組み合いが始まるが、優勢なのは骨鹿だった。
圧倒的な質量差に押され、黒石の巨人がじりじりと後退し、やがて膝をつき、倒れる。
骨鹿の足元の地面が白く隆起した。
灰流鳥の残火の魔法だ。
白い灰の杭が地中から聳え立ち、骨鹿の胴体を貫く。
だが、突き刺さった杭も、隆起した地面も、巻き戻されるようにして元の平坦な土に戻っていく。
当然、骨鹿は無傷だ。
中から燃やしても、外から叩いても、全てが時間操作の前に無効化される。
俺は黒石の巨人を回収し、灰流鳥で骨鹿の真上へと移動した。
直上。
ここから黒石の巨人を召喚し、落とす。
骨鹿の頭上に黒い岩の塊が出現した瞬間、重力に従って凄まじい速度で落下を開始する。
骨鹿は見上げた。
角の先端から、上空の巨人へ向けて青白い炎を集中して撃ち込む。
上空という逃げ場のない空間で、集中砲火を浴びた巨人の体が次々と抉れていく。
岩の破片が剥離し、腕の一部が吹き飛ぶ。
それでも、落下は止まらない。
骨鹿の真上へ、轟音と共に着弾した。
砂煙が柱のように立ち上がる。
煙が薄れた地上を見下ろすと、衝撃に耐えきれず黒石の巨人は全身を砕け散らせ、光の粒子となって回収されていく。
だが、骨鹿も無事ではなかった。
骨格の大半が粉砕され、四肢は折れ、角も数本がへし折れている。
そして、肋骨の残骸の奥に、赤いコアが完全に露出していた。
今しかない。
俺は灰流鳥へ急降下の指示を出し、残火での追撃を命じた。
灰にまみれた白い杭が、露出したコアめがけて突き進む。
だが、杭の先端はコアの表面で止まった。
――貫通しない。
表面に触れた瞬間、杭の先端が急速に風化して崩れていく。
時間加速による侵蝕だ。コアそのものが、触れた攻撃の時間を加速させて朽ちさせている。
ただの弱点ではない。
仕留めきれない焦燥が胸を焼く。
骨鹿はすでに全身の時間を巻き戻し始めていた。
砕けた骨が集まり、折れた角が伸び、再生が着々と進んでいく。
だが、俺の意識はすでに別の場所にあった。
灰流鳥を地面へ着地させる。
そして、先ほど黒石の巨人と共に召喚していた泥人形を手元へ引き寄せた。
泥人形の両腕に抱えられていたのは、黒い杖だった。
上空から黒石の巨人を落とした際、その陰に隠れるようにして泥人形を送り込んでいた。
持たせていたのは、以前破損して使えなくなっていたゴアデビルの杖だ。
骨鹿の時間逆転は、攻撃を受けた際に自身の状態を過去へ巻き戻す。
だが、その効果範囲は骨鹿の周囲一帯に及んでいた。
草が枯れたのも、召喚獣の時間が飛ばされたのも、全てこの範囲内にあったからだ。
ならば。
その範囲内に置かれた物体もまた、時間の影響を受ける。
壊れた遺物の時間が巻き戻れば、壊れる前の状態に復元される。
本来、破損した遺物の修復は不可能とされている。
これは賭けだった。
手に取った杖は確かな重みを持っており、ひび一つない、完全な状態の杖が、俺の掌の中にあった。
俺は杖へ召喚の意識を送り込む。
翼を広げ、禍々しいゴアデビルが、夜の遺跡に降り立つ。
「久しぶりだな」
俺の言葉に呼応するかのように、ゴアデビルは右腕を真っ直ぐに突き出した。
その照準の先には、再生途上の骨鹿の赤いコアがある。
――龍光。
ゴアデビルの腕先から、赤い龍を模した巨大な炎が放たれた。
炎は地面を深く抉りながら前進し、その灼熱の奔流は一切の減衰なく骨鹿の胸元へ到達する。
灰流鳥の残火では貫通できなかった赤い球体が、龍光の圧倒的な熱量の前に罅割れ、砕け、内側から爆ぜた。
炎はそのままコアを突き抜け、背後の遺跡の岩を深く抉って貫通する。
骨鹿の巨体から、急速に力が失われていった。
角の先端に灯っていた青白い炎が一つ、また一つと消えていく。
時間を操る力を失った骨の王は、もはや何も巻き戻すことができない。
白い骨格が崩壊し、塵となって夜風に攫われていく。
この魔法が弾かれていた場合、マジに詰んでいた。
理屈の上では可能なはずだと踏んでいたが、実際に成功するかどうかは五分五分だった。
俺は深く息を吐き、崩れていく骨鹿の残骸へと歩み寄る。
骨片が塵に変わった跡地に、黒い円球状のモヤが浮かんでいた。
第二の島のボスを倒したことによる遺物だ。
手を伸ばし、モヤの中から実体を引き抜く。
掌に収まる小さな球体。触れた瞬間に、情報が脳へ流れ込んできた。
【媒体:黒硝子玉】
効果:然るべき時にロレーヌへ魔法が通じるようになる。
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