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俺は満身創痍の捻れを、召喚した黒兵士の背中に担がせ、重い足取りで中央階段を登る。
一階から二階の客室へ上がるその付近には、当たり前のようにロレーヌが階段の踊り場で待ち構えていた。
「へ〜、倒しちゃったんだ」
あの分厚い扉の隙間に強固に固定させていた俺の泥人形は、そのままの状態で一切破壊されずに残っている。
物理的に扉をこじ開けて脱出された形跡が微塵もないのだ。
初めからこいつは、出ようと思えば扉を無視して、いつでも外へ出られたと言う事だ。
心底舐め腐りやがってと思うが、ここで彼女に感情を爆発させても意味もないので、俺は深く深呼吸をして冷静さを保つ。
そのまま俺の横に並んで歩き始めたロレーヌへ、視線を向けずに静かに語りかける。
「お前がMaDの連中に渡した遺物の効果はなんだ?」
「え〜、とぉ〜。確か、みんなが眠るやつだったかなぁ〜」
やけに間延びした、人を食ったような声でロレーヌは言う。
「嘘をつけ。それはあの猿の魔物が持っていた能力の方だろ」
あの猿の魔物はボスにしてはやけにあっさりと死んだ。
捻れの援護があったとはいえ、耐久力や直接的な戦闘能力が、思ったよりも低かったように思える。
魔物が死んだ事により、天井から吊るされていた大量の偽の死体も綺麗に消え去った。
人間を生きたまま爆弾に変える能力と、精巧な偽物の死体を作り出して爆破させる能力、そして条件付きの広範囲の睡魔。
それら全てが猿の魔物自身の力だと仮定すれば、直接の戦闘能力が低いのも十分に納得出来る。
「あぁ! 思い出した〜!」
俺の指摘を受けて、ロレーヌは醜悪に、にやにやとした顔を作り、俺の横で楽しそうに喋り出す。
「MaDの三人にはぁ〜、初めの島にいる強力な魔物を絶対に従えられるっていう特別な指輪を渡したんだったぁ〜。なーんの効果もない、ただの金属の指輪だったけどね」
そう言うと、腹を抱えて愉快そうに声を上げて笑う。
裏でMaDのメンバーとどのような交渉の会話が起きていたのかはわからない。
だが、彼らはそのただの指輪の効果を信じ込み、猿の魔物を従えようと近づき、結果として生きたまま皮を剥がされて人間爆弾にされたのだ。
俺は無言で黒兵士に命じて歩みを速め、笑い続けるロレーヌを階段へ置き去りにして、二階の客室へ戻った。
部屋の扉を開けると、先ほどまで死んだように眠っていたミルや要石の面々が、睡魔から解放されてちょうど体を起こしてきているところだった。
彼らの無事な姿を視界に収めた瞬間。
俺の中で張り詰めていた緊張の糸が不意に切れ、深い安堵の感情と共に、そのまま重力に引かれるようにして地面に倒れ込む。
起き上がってきた仲間たちに事の顛末を説明することもままならず、俺の意識は急速に暗い底へと途絶えた。
ーーーー
飛び起きるようにして、唐突に意識が戻る。
激しく息をして、無意識に周囲を警戒して見渡す。
だが、体の痛みは全くなく、手で自身の顔をさぐれば、熱で爛れていたはずの皮膚も、爆風で半分吹き飛んでいたはずの左耳も、完全に元通りにしっかりと付いている。
社長の持つあの長刀の遺物か、もしくは他の誰かが持つ強力な治療系の遺物によって、俺が気を失っている間に治してくれたのだろう。
「起きた?」
俺がベッドから身を起こすと共に、すぐ近くで様子を見ていたミルから優しい声が聞こえる。
「一階での状況は、一緒に戻ってきた捻れに聞いたわ。私たちの命の恩人ね」
そう言うと、ミルは柔らかい笑顔を見せる。
彼女から話を聞くと、俺が意識を失って寝ていたのは、たっぷり十時間ほどらしい。
その間にこの客船はすでに第二の島へと辿り着いており、他の参加者たちによる島の大まかな探索も完了しているようだ。
外の探索から戻って来た要石の面々とも合流して、詳しい話を聞いた。
この第二の島には、森や魔物は存在せず、ただ島の中央に意味深な石造りの遺跡が存在しているのみだという。
それ以外に怪しい場所はなく、周辺を調べてもそこから何も進展が無いようだ。
俺からもみんなへの報告として、一階の部屋で猿の魔物を殺した時に発生した、遺物を見せた。
【媒体:黒硝子玉】
効果:砕けば、然るべき時にロレーヌへ攻撃が通るようになる。
「は〜なるほどなぁ。捻れとお前が倒した魔物が第一の島のボスだったってことねぇ」
社長は顎髭を撫でながらそう言うと深く納得する。
俺の提案で、今生き残っているメンバーを全員この客室に集めて、皆の目の前でその黒硝子玉を砕き、砕けた硝子は光の粒子となって空間に溶けて消えた。
これといった実感は特にないが、これで条件は一つ満たされたのだろう。
その後、先ほどまで探索に出ていた草薙剣と旭技巧連のパーティーは一旦休むために船に留まり、俺は要石のメンバーの案内の元、ミルと共に島の中央にあるという遺跡へ向かうことになった。
「足の調子はどうです?」
俺は近くを歩く捻れへと話しかける。彼の足の傷も、俺と同様に跡形もなく治癒している。
彼はフードの奥で軽く肩をすくませる。
「怪我よりも、あの半端じゃない眠気が完全になくなったのが何より嬉しいね」
そう言うと、捻れはそれ以上言葉を続けることなく黙る。俺も静かに前を向いて歩く。
やけに静かな道を抜け、やがて目的の遺跡に着く。
確かに意味深な建造物であるが、外から見ているだけでは何も起きなかった。
古代のストーンヘンジのような巨大な岩が、規則正しいサークル状に孤立して並んでいる。
俺が何の気なしに、その岩の円の中へ足を踏み入れた瞬間だった。
周囲の背景が一瞬にして歪み、完全に一変した。
気がつくと、俺の体は自由に動かせなかった。
夢の中を漂うような、奇妙な浮遊感。
俺の意識はその周囲で起きている絶望的な状況をただの傍観者として見ていた。
黒馬を連れて入った、ダンジョン。
濃い霧の中から、突如として火火猿の放った巨大な火球の魔法が飛んでくる。俺は初弾が体に直撃して全身が激しく炎上し、生きたまま焼け焦げて無惨に殺される。
金山ダンジョンのボーナス部屋。
現実ではデラボネアに出会ったが、この幻影の中ではデラボネアに出会わず。
黒馬とゴブリンだけで圧倒的なスケルトンの物量に押し潰され、最後はゴアデビルに嬲られるように殺される。
そして、ミルと初めて出会ったAランクダンジョン。
現実では寄生される前に俺がミルを止めたが、ここでは俺が止めるのが少しだけ遅く。
既にミルはレンを殺してしまい、魔物に寄生されたミルによって、殺される。
俺は、自分の身に今まで降りかかったかも知れない、様々な死の分岐を次々と追体験した。
俺の判断が一つでも間違っていれば、どれも確実にあり得たかも知れない、極めてリアルな過去の可能性だ。
この体験には痛みを伴い、精神に対する重圧もその全てが鮮烈で、恐怖と共に脳裏に深く焼き付く。
しかし、常に死と隣り合わせの最前線に立ち、第五階位になれるほどの人間なら、十分に耐えられる程度のものだと思った。
この理不尽な初見殺しのようなダンジョンへ、自ら進んで潜るような異常な人間たちは、己の死のイメージなどとうの昔に受け入れている。
恐らく、要石のメンバーもミルも、この程度の精神攻撃なら容易く乗り越えられる程度のはずだ。
いつの間にか視界の歪みが収まり、元の遺跡の風景である現実世界に戻って来ていた。
振り返ると、すぐ後ろにミルと要石の面々が立っているのが見える。
皆がそれぞれ、不思議そうな顔をしている事から、状況はすぐに察する事が出来た。
今のリアルな死の追体験を、皆も同時にそれぞれの過去の記憶でしていたのだろう。
俺たちはその死の余韻を頭の片隅に残したまま、これ以上ここにいても意味はないと判断し、停泊している船へと戻った。
結局、第二の島で物理的な強敵であるボスは見つけられなかった。
船へ戻り、甲板へ上がると、そこにはロレーヌを監視している筈のスーツの老人が一人で立っていた。
「……ほとんど死んだぞ」
老人は俺たちの顔を見るなり、感情の読めない声でただその一言だけを言うと、俺たちを船内の食堂へと案内する。
「ふるいはかけられた。あとは私を殺せるかどうかね」
食堂の奥で、優雅に座っていたロレーヌは、俺たちの姿を見るなりキッパリとそう宣言する。
先ほどの遺跡での死の追体験は、島に上陸した者だけでなく、この空間にいる参加者全員の脳内に直接及んだと聞いた。
そして、その強烈な死のイメージに耐えられなかった者が、自ら命を絶つ形で自殺したのだ。
客室の惨状は酷いものだった。
あの草薙剣のパーティーは、リーダーの草薙一人を残して、他のメンバーは自害して全員死亡。
旭技巧連に至っては、三人全員が全滅。
さらには、管理所からの派遣要員のうち、まだ若かった青年の男も、耐えきれずに自らの命を絶って死んでいた。
要石の四人全員、そしてミルと俺、黒服の老人は、異常をきたすことなく生存している。
仲間を全て失い、唯一生き残った草薙は、食堂の隅の椅子に座りながらも、虚ろな目で自らの指の爪を血が出るまで強く噛みながら、何事かをぶつぶつと呟いており、明らかに様子がおかしくなっていた。
船の出発までに、もう時間は残されていなかった。
無情にも船の出航時間を告げる低い汽笛が鳴り響いた。
四時間後に着くとされる、第三の島へ。
島に着くまでに時間があった為。俺はパーティー全員が自害した旭技巧連の客室へと来ていた。
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