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「――何も居ない」
死んだはずのMaDのメンバーが潜伏していると目星をつけていた、最奥の右部屋。
その扉を開き、素早く中を覗き込んだ捻れは、短く一言そう呟いた。
待機させていた二匹のゴブリンを、向かいにある左の部屋の探索へと向かわせる。
俺と捻れは一番怪しいと踏んでいた右の部屋へと少し遅れて中へ入った。
室内はひどく静まり返っていた。
三人の死体は、すでに管理所の人間が回収済みだ。
だが、彼らが無惨に死んでいたのを証明するように、床にはどす黒く変色した血の跡のみが点在して生々しく残っていた。
「何かがここに居たのは確かみたいですね」
俺は、キッチンの水栓から完全に閉まりきっていない水滴が滴り落ちているのを横目に見ながら、静かな声で話す。
召喚獣は人間の言葉を喋らない。
彼らが知覚した情報は、あくまでぼんやりとした感覚として召喚主である俺に直接伝わるだけで、その具体性まではわからない事が多い。
俺があらかじめ階段付近に張り込ませていた泥人形が知覚した微かな足音も、単に『足音や生物の気配がしたら教えろ』と命令してあっただけなので、それが誰の足音なのか、どちらの方向へ消えたのかといった細かい情報は持ち合わせていない。
「もう、ここには居ないな」
捻れは奥のトイレやバスルームの扉を開いて中を確認し、異常がない事を見届けてから戻ってくる。
同じ頃、向かいの反対の部屋を調査させていたゴブリン二匹も俺の元へ戻ってくるのを確認する。
「いえ、直前まで確実にここに居たのは事実です。それが分かればいい」
俺は自身の推測に確信を持ち、再度力強く言う。
まだ他の部屋に隠れているのではないかと、反論のために口を開けようとしていた捻れに対して、俺は片手を上げてそれを制止する。
「この船内は、ロレーヌへの攻撃のように、壁や床に対する破壊行為は全て無効化されると思い込んで居ました――」
俺はそう言うと奥の壁へ向けて黒石の巨人を召喚し、その黒い岩の拳でもって一切の躊躇なく壁を殴り付けた。
重い轟音が室内に響き渡り、客船の強固な壁がガラガラとあっけなく崩れ落ちていく。
舞い上がる粉塵の向こう側には、豪華な内装の客船とは不釣り合いな、ぽっかりと空いた無機質な隠し通路が奥へと続いていた。
MaDの死体確認時、俺の放った森林狼での匂いの追跡が不自然に途切れていたのも、この最奥の壁付近だった。
船の構造そのものに、初めからこのような裏の空間が用意されていたのだ。
客室の天井が高いとは言っても、三メートル近い巨躯を持つ黒石の巨人にとってはひどく窮屈そうだったため、俺は一度巨人を指輪へ回収し、崩れた壁の瓦礫を乗り越えて隠し通路へと進む。
何が飛び出してくるか分からない暗闇の奥。俺は身軽なゴブリン二匹に先行させて索敵させる。
隠し通路を少し進むと、重厚な鉄の扉が立ち塞がっている。
警戒しながらその扉を開けると、まず強烈に鼻についたのは、思わず顔をしかめるほどの酷い悪臭である。
それは、生肉や内臓などの何かが完全に腐敗したような死臭だった。
部屋はひどく薄暗く、所々に古い蛍光灯のような灯りはあるが、点滅を繰り返していてあまり視界の確保には意味をなしていない。
不気味なのは、部屋の中央に冷たい鉄でできた手術台のような物が複数並んでおり、周囲には拷問器具か解剖道具か、何に使うのか全くわからないよう金属製の器具が無造作に置いてあることだ。
ダンジョン内部特有の燐光が、空気中を漂って辺りの凄惨な光景をほんの少しだけ照らし出していた。
足元には、大きく白く細長い袋が、いくつも乱雑に散乱している。
俺が一番手前にあったその袋のジッパーを足の先で下ろして中を確認すると、そこからは見覚えのある顔が転がり出てきた。
そこにあるのは、完全に息の止まったミルの死体であった。
その顔色は明らかに生者の持つ血色ではなく、不気味なほど冷たく白い顔をしている。
「偽物だ」
隣で中を覗き込んだ捻れが、感情を殺した淡々とした声で言い切る。
彼の手元には、俺が確認したのとは別の袋から引きずり出された、要石のメンバーである水龍の大きな死体が見えていた。
目の前に転がる死体は、作り物の偽物と言うにはあまりにも本人と瓜二つだ。
傷の形や筋肉の付き方まで、本物の死体にしか見えない。
ここでこの死体を見せられれば、誰もが仲間が殺されたと絶望するだろう。
しかし、冷静になって思考を巡らせると、俺が二階の客室に防壁として残してきた冥馬からは、敵の襲撃を受けたような反応は全く返ってきておらず、特に異常はない。
今も俺の召喚獣が、要石の面々やミルを安全に守っていると言う事だ。
つまり、これらは全て敵が精巧に作り出したダミーだ。
そのような人間の入った白い袋が、この薄暗い部屋の中で目に見えるだけで十体近く無造作に転がっている。
その時、部屋の奥の手術台の影から、微かな気配がした。
敵か。反射的に俺は黒兵士を召喚し、狙いも定まらないまま気配のした方向へ向けて長剣による攻撃を行わせる。
黒兵士の斬撃によって手術台が切り刻まれて吹き飛び、そこに隠れていた気配の正体があらわになる。
「なんだ……お前――」
そこには、武装した敵ではなく、衣服を何も着てない全裸の状態で、ひどく怯えたようにガタガタと震えながら身を縮こませる男性が一人うずくまっていた。
俺の背後から前に出た捻れは、ずいっとその男性の顔を覗き込んで確認すると、確信を持った声で口を開く。
「こいつは、MaDのメンバーだ。間違いない。……俺が知っている顔から相当人相が変わってしまっているがな」
そう言うと、捻れはその裸の男性の右の肩口に深く刻まれた、特徴的なデザインの刺青を指差す。
どうやらそれが、彼がMaDのメンバーであるという根拠らしい。
「ここで一体何があった? 言葉は喋れないのか?」
俺は周囲の暗闇を油断なく警戒しつつ、蹲る男性に声を掛けるが、彼は何かに怯えるように壁を背にして、ただ虚ろな目で涙を流すばかりだ。
俺はその異様な挙動に一つ疑問を覚え、男性に近づいてその肩口を力強く掴み、強引に体を引き寄せ背中を確認する。
息を呑んだ。
そこは、背中の皮膚が首筋から腰にかけて丸ごと一枚綺麗に剥がされており、赤く剥き出しになった筋肉や組織が、不規則に脈打つように蠢いていたのだ。
生きたまま皮を剥がされるという、想像を絶する拷問の痕跡。
俺がその凄惨な光景に驚愕して動きを止めたのと同時に、男性が俺の方へ向けて突然さらに手前へ倒れ込んでくる。
虚ろな目で涙を流しながらも、その両腕は明確な意志を持って俺の足首を強く掴み、引きずり込もうとする様に見えた。
俺は即座に反応し、待機させていた黒兵士が男性の両腕を長剣で容赦なく切り落とした。
「ァァァア――」
切断された腕の断面から血を噴き出し、それを高く掲げながら声にならない悲鳴を上げて泣き叫ぶ男性から、俺は距離を取る。
危険を感じてとっさに両腕を切り落としてしまったが、少しやり過ぎたかもしれない。
声をかけようとした、その時だった。
男性の肉体が、異常なほどに赤く膨張したかと思うと、大量の血肉を四方八方に撒き散らして唐突に爆発を起こした。
幸い、爆発の規模自体は、それほど大きくはなかった。
俺の前に立つ黒兵士が、とっさに盾を掲げて壁となってくれたお陰で、俺自身への直接的な被害は無かった。
しかし、その男の自爆に連動するようにして、部屋の床に散乱していた全ての死体の入った白い袋も、一斉に爆破し始めた。
凄まじい爆風と肉片の雨の中、ゴブリンが死亡した。
床に伏せた俺は黒兵士の盾の裏で自身が無傷なのを確認すると、すぐ近くに伏せていた捻れへ向けて無事を確認する目配せをする。
生き残っていたMaDのメンバーを、生きたまま餌にして作り上げた人間爆弾。
これは明確な俺達への殺意を持った攻撃だ。
人間一人分の爆発の規模こそ小さいものの、至近距離で受ければ、身体能力の強化が比較的低い捻れにとってはダメージは必至だ。
ゴブリンが死ぬほどの威力という事は、俺に至っては致命傷となる。
爆発が収まり、もう動く死体がないことを確認すると俺はそのまま無言で立ち上がった捻れと共に、さらに奥へと続く重い鉄の扉を開けた。
そこは、先ほどの部屋よりもさらに広い大部屋だった。
そして、その天井からは、太い鎖で数多くの人間の死体が肉のように吊るされていた。
どれも見覚えがある顔ばかりだ。
要石のメンバーである社長やヒナ、水龍。そしてミルの遺体もある。
もちろん、今俺の隣に立っている捻れの遺体や、俺自身の顔をした死体までが存在する。
先ほどの部屋での人間爆弾。
もし、この広大な部屋の天井から吊るされた全ての死体が、あのように一斉に爆破し得る罠だと考えるならば――状況は最悪に近い。
部屋の一番奥。
無数に吊るされた死体のさらに向こう側から、人間離れした真っ黒に濁った巨大な目が、上から見下ろすように俺達をじっと覗き込んでいた。
身長三メートルは優に超えており、骨と皮だけのようなやけに痩せこけた体をしている。
長い手足を持った、巨大な猿のようにも見える異形の姿だが、その全身から発せられる吐き気を催すような濃密な邪悪さは俺がこれまで出会ってきたどの強力な魔物に比べてもダントツで凶悪であった。
こいつが、この異常事態を引き起こした元凶。
「――アキ。お前は、ここで引け」
要石のメンバーの中でも、今までほぼ無言を貫き会話に積極的に混じっている印象もなかった捻れが、これまで聞いたことがないほど強く、張り詰めた声で言葉を出す。
「いえ、二人で引きましょう」
俺が冷静に提案すると、捻れはフードを深く被り直しながら、静かに首を振ってそれを拒絶する。
「お前が引き返して、みんなの元へ戻らなくちゃいけない。……俺の分まで」
最初、俺は捻れが何を言っているのかその真意がわからなかった。
しかし、捻れの視線の先、彼自身の足元へ目をやると。
彼の右足の踵からアキレス腱にかけてが大きく抉れ、骨が露出するほど深く裂けており、ボタボタと大量の血を滴らせていた。
その怪我では、もう逃げることは――。
「俺は……このクソに、キレてるんだ。仲間を侮辱され、今なお見え透いた罠にかかる獲物を、こうしてニヤニヤと見守っているこのクソに」
捻れは憎悪を込めてそう言い切ると、負傷した足を引きずりながら一歩前へ出て、俺の胸をドン、と手のひらで強く押した。
お前は行け。
言葉には出さずとも、その力強い突き飛ばしがそう明確に語っていた。
俺は無言のまま、片足を引き摺りながら巨大な猿の魔物へと向かっていく捻れの細い背中を後ろから見る。
部屋の奥に立つ魔物は、手負いの獲物が自ら向かってきたその様子を見ると、自身の作り出した罠の完璧さに歓喜するように、口を大きく三日月型に開いて頬まで裂けるような醜悪で満面の笑みを浮かべていた。
――カッコいいな。
俺は、捻れのその背中に、ただ素直に尊敬の念を抱いた。
そのフードの奥の瞳は、生きる事を決して諦めておらず、むしろ確かな殺意で爛々に輝いていたと思う。
知能の高い魔物。先ほどのMaDのメンバーをみれば、ここで捕まれば楽な死に方など出来ないのは明白だ。
それでも、彼は何も諦めてはいなかった。
俺は黙って前へ歩み出ると、捻れのすぐ隣に並んで立つ。
驚いたようにこちらを見ている捻れを、俺は前だけを見据えながら口を開く。
「――援護は任せてもいいですよね」
俺がそう言うと、捻れは驚いた顔をした後、この過酷なダンジョンに入ってから初めて、少しだけ嬉しそうにフッと笑った。
「当たり前だ」
捻れが短くそう断言すると、彼の手にはめられた指輪が妖しく輝き、その周囲の空間から細長く捻れた異常な高熱の炎の渦が、紐状になって出現し、彼を守るように周囲を囲む。
俺達二人が部屋の奥へ自ら足を踏み入れたのを、きゃっきゃと甲高い声を上げて無邪気に喜ぶ巨大な猿の魔物を見て。
俺はいつものように全力で前方へと駆け出した。
「キレてるのは俺もだぞ、クソ猿が」
俺の口から出たその一言は、戦闘の始まりを告げる風に流れて消えていった。
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