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用も済んだし行くかと俺は広場に現れていたゲートを潜る。
元の広場には帰還用の大きなゲートが堂々と存在しており、なぜ今まで見逃していたのか自分でもわからなかった。
宝物庫の興奮で視野が狭まっていたのかもしれない。
そのまま足を踏み入れると、行き着いた先はダンジョン管理所へ直通であった。
てっきり三階層へと出てくるのだとばかり思っていたため、荷物持ちの妖精やその他の召喚獣なども全て出っ放しの状態だった。
突如として管理所のロビーに巨大な魔物の群れが出現したことで周囲は一時騒然となったが、俺が即座に指輪へと回収したため、大事になる前に事態は収拾した。
宝物庫から持ち帰った金銀の装飾品などの数々を、そのまま査定カウンターで売りに出した。
相場よりかなり買い叩かれているのは把握しているが、今の俺は特に金銭に困っていない。
どれだけ口座に金があったとしても俺が本当に求めているユニーク遺物や強力な特殊遺物は、そもそも通常の市場には出回らない。
そのため、一般的な資金の使い道がとうに無くなってきているのだ。
俺は管理所に今回の探索結果を報告し、その日は近くのホテルに部屋を取って就寝した。
ボーナス部屋のボスらしき巨大ワニ達を倒しはしたが結果としてダンジョンクリアとは認定されず、俺の探索者カードに踏破記録は付かなかった。
自分がダンジョンに入ってから体感で四日間は経過しているはずなのだが管理所の記録では、俺が潜っている間にこのダンジョンへ入った他のパーティーは、全て一階層や二階層などのボスに遭遇し通常通り攻略を進めているようだった。
この現象は高難易度ダンジョンにおいてたまに報告され、特に前のパーティーがボスを討伐した直後の不安定なダンジョンへ入ると起こりやすいと言われている。
空間が分岐し、異空間の似たダンジョンに一人だけ取り残されるという説などが有力であり、ネットの探索者掲示板などでは、古くからある都市伝説の名称になぞらえて『きさらぎ現象』と呼ばれているらしい。
だが、俺にとっては取り残されていようが元の空間だろうが関係ない。
やる事は変わらず、目の前の敵を殺して攻略するだけだ。
依頼主である家長と約束した期間まではまだ一週間以上の日数が残っている。
次の日から俺は早速、この伊勢ダンジョンを正式に踏破するための行動を開始した。
ダンジョン内に魔物が溢れ出てしまう恐れがあるため、慎重に歩を進め、俺が正式な最奥のボス――シーキングを討伐したのは、そこから三日後の事であった。
異変が起きたのは、その帰り道。
管理所へ向かうための帰還ゲートへ潜った時のことだった。
本来なら、管理所のロビーへと通じているはずのゲート。
しかし、視界が晴れて出てきた場所は全く知らない別の場所であった。
足元には雑草の生い茂る土。
周囲を見渡せば、鬱蒼とした木々が連なる森のような景観が広がっている。
俺は即座に『転移』の罠にかかったのだと悟り、姿勢を低くしてゴアデビルの杖を強く握り込んだ。
安全な管理所へ出てくると思い込んでいたため、身を守るための何の召喚獣も伴っていない。
完全に虚を突かれた。
背後の木々が揺れる気配に反応し、俺は振り向きざまに黒石の巨人を顕現させ、見えない敵へ向けて巨人の一撃を叩き込む。
岩石の拳が空を切り裂き、轟音を立てて太い立ち木をへし折った。
しかし、巨人の拳が砕いたのは木だけでありそこには何も居なかった。
「――初めてか?」
不意に、耳元で男の声が聞こえた。
即座に反応して振り返りながら、迎撃のためにゴアデビルを出そうとする。
しかし、召喚することが出来なかった。
俺が完全に無防備になったその一瞬の隙を突き、何者かの強烈な前蹴りが俺へ炸裂した。
肺から空気が吐き出され、俺の体は吹き飛ぶ。
そのまま地面を転がるようにして太い木の幹に背中から激突し、ようやく衝撃が止まった。
声の主は、余裕を含んだ足取りで近づきながら言葉を続ける。
「遺物を取られたことは」
そう言いながら、その男は俺の手から容易く奪い取っていたゴアデビルの杖を見せつけるように掲げ、容赦なくその場で真っ二つに叩き折った。
ーーーー
「召喚獣を盾にして、蹴りの衝撃を削いだな……」
俺は折れた杖を捨てながら、今回の標的である男を見下ろすようにして言った。
大袈裟に地面を転がりやがって。
打撃の威力を逃がしつつ、俺から少しでも距離を取りたいという意図が見え見えだ。
しかし、それよりも驚いたのは事前の情報通りだったということだ。
「お前、第四階位のくせに身体能力が一般人と同等と言うのは本当だったのか」
無様に土の上を転げ、自身が呼び出した仮面をつけた妖精のような召喚獣に両脇を抱えられて助け起こされている男へ向けて俺は吐き捨てた。
「……あんたは何なんだ一体。恨みを買った覚えはないぞ」
口の端から血を流し、苦しげに咳き込みながらその男は言った。
「人間生きてたら、恨みの一つや二つ買うものさ」
俺はそう言って、ゆらりと相手の懐へと近づいていく。
確実なトドメを刺すために。
男は忌々しげに舌打ちをすると、両脇の召喚獣とゴーレムを黒い霧にして回収してそのまま森の茂み、俺からの死角となる奥へと逃げ込んでいく。
足が遅い。すぐに追いつける距離だ。
俺は両手を広げながら、逃げる背中へ向けて大袈裟に口を開く。
「お前みたいな人間を何人も見てきた。強くなったと勘違いした野郎だ。死に際の言葉も選べないんじゃ可哀想だろう? だから聞いているんだよ」
そう言うと、俺は一呼吸置いてから森の奥へ向けて声を張った。
「死に際の言葉はなんだ?」
沈黙が森へ広がる。
奴の足音は聞こえない。
逃げては居ない。この森のどこかに身を潜め、虎視眈々とこちらを狙っている気配だけが残っている。
「――答えは、悲鳴か?」
俺がそう口走った瞬間に、森の一角からくぐもった悲鳴が上がる。
俺は音のした木の隙間を覗き込んだ。
そこには、口から大量の血を流して地面に跪いている男の姿があった。
その膝元の土の上には生々しい赤い肉の塊が落ちている。
――舌だ。
男の口元から、ダラダラと絶え間なく血が流れ落ちている。
「お前みたいな探索者は、これだからダメなんだよ」
俺は呆れを込めて更に続ける。
「対人経験の無い人間を狩るほど、楽な事はない」
そう言って、膝をつく男へと近づく。
しかし決して油断はしない。
こういう窮地に陥った探索者は、必ず最後に何かをしてくるものだ。
ぼたぼたと血を流しながら下を向いていた男が、ゆっくりと立ち上がる。
――何をしようと、必ず対応してやる。
頭の中で様々な相手の反撃手段をシミュレートした。
しかし相手の取った行動はこちらへ向かって一直線に走ってくると言うものだ。
俺にとって非常に都合が良い。何を考えているのかも手に取るように分かる。
初めの接敵時に奴が出した、異常な質量を持つ黒いゴーレム。
あの召喚獣を間近で出して俺を叩き潰すつもりなのだろう。
――と、俺が考えて目の前だけに意識が行くとでも思っているのか?
「分かってんだぜ、お前の魂胆は」
そう言うと同時に、俺は自身の足元から唐突に生え出た白い杭の魔法をすんでのところで横へ跳んでかわす。
頬に異常な熱さを感じる。
杭が起爆して爆ぜる魔法の可能性も考慮し、後退するのではなく、さらに一歩相手へと入り込む。
死角からの魔法も読んだ。
お前の全ての選択肢に対応してやる。
正面から完全に殺しきる。
――来い。
迎撃の構えをとったその時、俺は初めて突っ込んでくる男の顔をまじまじと見た。
圧縮される極限の戦闘時間の中で。
舌を切られたその男の顔には死を目前にした悲壮感や、奇襲を防がれた落胆などもなく、何一つミスの気配すら存在していなかった。
ただ、冷たく透き通るような意志だけがそこにあった。
何かを見逃した。
俺はその顔を見て、瞬時に悟った。
そして、舌を失い声の出ないはずの男の口の動きだけが、明確な形を成して動く。
――龍光、と。
俺の背後、完全に意識から外していた後方の茂みの奥で気配があった。




