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やや色褪せたように思える、赤い巨大な螺旋階段。
横幅はおよそ三メートルほどあるが、落下を防ぐ柵や手すりの類は一切存在しない。
急角度で天へと伸びるその構造物は、内側を支える支柱すらなくまるで虚空に浮遊しているかのような異様な造形をしていた。
見上げれば目も眩むような高さが続いている。
己の足で登れば疲労で足を踏み外しかねないため、俺は黒馬の背に乗ったまま階段を攻略することにした。
四つ足の強靭な黒馬は、人間のような恐怖心も疲労も持たない。
滑らかな足取りで、するすると螺旋を登っていく。
およそ十分ほど進んだ所で、すでに相当な高度に達していた。
俺自身、決して高所恐怖症というわけではない。
だが、背の高い黒馬に跨っていることで視点が高くなり、階段の内側と外側、両方の底知れない空間が視界に強制的に入り込んでくる。
吹き抜ける冷たい風も相まって、流石に足が竦む感覚があった。
道中、散発的に黒煙鳥が現れて急襲を仕掛けてくるが、周囲を旋回させている三匹の灰流鳥によって即座に処理される。
小鳥が鷹に狩られるかのような、あまりにも呆気ない蹂躙劇だった。
異変が起きたのは、さらに二十分ほど螺旋階段を登った時のことだった。
眼下に広がる緑の平原がジオラマのように小さく、遠く感じられ始めた頃。
俺は高度への恐怖を誤魔化すように、ひたすら上だけを見て黒馬を進ませていた。
灰流鳥たちには俺の視界外、少し離れた空域の警戒と迎撃を任せている。
特有の灰が、雪のようにちらほらと静かに舞い落ちてきていた。
その時、上空から降ってくる灰の一部が、ほんの数秒だけ発火したように発光した。
――魔法による被弾。
即座に、俺は付近を飛ぶ灰流鳥が何者かの魔法攻撃を受け流したのだと理解する。
すぐさま黒馬を解除し回収。
追従させていた泥人形に更に身を寄せさせる。
――黒石の巨人と蝕燐竜は出せない。
強大すぎる質量と破壊力は、この狭い足場では満足に動けない。
それに螺旋階段が崩壊でもすれば落下して死ぬ。
俺は黒兵士を五体召喚した。
彼らには長剣と盾ではなく、弓を手に持たせたまま螺旋階段の先へと先行させる。
少し登ると、待ち構えていたその姿がはっきりと確認できた。
視界外で戦闘になっていた灰流鳥たちには回避と防御に専念させていたため、どれも脱落することなく空を舞っている。
無音の戦闘が繰り広げられていた。
視線の先にいるのは、一言で言えば黒煙鳥によく似た巨鳥だった。
だが、そのスケールが根本的に違う。
灰流鳥よりもさらに大きく、怪鳥と呼ぶにふさわしい威容。
体躯のボリュームだけで言えば黒石の巨人に匹敵し、漆黒の翼を広げた全幅はあの蝕燐竜すらも凌駕するだろう。
二階層へのゲート付近に出現するとされるボスモンスター、黒炎鳥。
「明らかに資料よりもデケェ!!」
恐怖を打ち消し、自らを鼓舞するように大声で悪態を吐く。
同時に黒兵士へ向けて鋭く手を振り下ろした。
主の意志に呼応し、五体の黒兵士が一斉に怪鳥へ向けて矢を射る。
空気を切り裂いて飛来した矢は、付近を飛び回る灰流鳥に気を取られていた怪鳥の胴体へ正確に突き刺さった。
だが、致命傷には至らない。
怪鳥は怒りの感情を示すように喉を大きく震わせ大きな鳴き声を響かせる。
しかし巨大な翼が空気を打つ飛翔の音は不気味なほどに無音である。
矢が突き刺さったままの怪鳥は、ふわりと上空へ飛び上がり、弓の射程外へと一気に距離を取った。
安全圏へ退避した黒炎鳥は、自身の周囲の空間を揺らめかせ、炎の塊を次々と生成する。
それは先ほどまで狩っていた黒煙鳥の姿を模した、黒い鳥型の炎であった。
鳥の形をした熱の塊が流星群のように黒兵士たちへと突っ込んでくる。
俺は瞬時に黒兵士の召喚を解除し、被害を防いだ。
だが、目標を失った炎の鳥たちはそのまま螺旋階段へと着弾し、激しい熱量と共に赤い足場を燃え上がらせる。
舌打ちを一つ。
俺はすぐさま森林狼である白狼を召喚した。
泥人形を纏い、白狼の白い毛並みに抱きつくようにして騎乗し、階段を駆け上がらせる。
黒兵士の弓すら届かない遠距離から一方的に狙撃される状況は、あまりにも分が悪い。
灰流鳥の強力な残火の魔法は、発生させるための「地面」を必要とするため、現在のような空中から空中への射撃には使用できないのだ。
遠くを飛んでいた灰流鳥たちを俺の元へと呼び寄せる。
先ほどまで自身の周囲を煩わしく飛び回っていた灰流鳥が螺旋階段の方へ一斉に殺到したにも関わらず黒炎鳥は追跡してこない。
それどころか、さらに中空から二発目、三発目の鳥型炎弾を容赦なく撃ち放ってきた。
前方から降り注ぐ炎が、俺たちの退路だけでなく、これから進むべき進路すらも火の海へと変える。
足場を失いかけた白狼が、熱を嫌って鋭くたたらを踏んだ。
安全圏から炎を撒き散らす黒炎鳥の冷酷な瞳が遠くから見下ろしてくる。
俺をこの狭い螺旋の檻に捕まえたとでも思っているのだろう。
「――鳥頭が……付いてこいよ」
俺は白狼の進行方向を強引に捻じ曲げ、階段の進行方向ではなく、手すりのない外の空間へと跳躍させた。
眼下には、ただひたすらに吸い込まれそうな虚無の空間が広がっている。
空中に放り出された直後、俺は白狼を解除、回収する。
重力が俺の体を下へと引っ張り始めた瞬間、腰に巻きついていた泥人形がスライムのように広がり、俺の全身を包み込んだ。
直後、猛スピードで飛来した灰流鳥の一匹が俺の体をその巨大な背中でキャッチする。
泥人形が優れた緩衝材となり、落下の衝撃を完全に殺しつつ、鳥の背中と俺の体を強固に固定した。
灰流鳥を二匹伴い、俺は階段の外側の空中を上へと急上昇していく。
完全に檻に閉じ込めたはずの獲物が、まさか自ら空へ身を投げ、別の手段で逃亡するとは予想していなかったのだろう。
距離をとっていた黒炎鳥は、明らかな焦りを見せて俺たちを追いすがり始めた。
灰流鳥と黒炎鳥。
純粋な飛翔速度だけを比べるなら、おそらく灰流鳥の方が速い。
しかし、現在の灰流鳥には俺の肉体と泥人形という重いハンデがのしかかっている。
速度は殺され、このままでは確実に後ろから追いつかれるだろう。
――それで良い。
この位置関係こそが、俺の望んだものだった。
背後から迫る巨大な黒い影。
俺は覚悟を決めると、体を固定していた泥人形をアンクレットへ回収した。
支えを失った体は、当然のように灰流鳥の背から滑り落ちる。
何もない空中へと、自ら身を投じる。
灰流鳥が飛行の軌跡に撒き散らす雪のような灰が周囲の空域を白く染め上げている。
視界を邪魔されている黒炎鳥は、目の前を飛ぶ灰流鳥にばかり気を取られ、その下を自由落下していく極小の獲物――俺の存在に気がつくのが遅れた。
風が全身を打ち据え、内臓が浮き上がるような落下の感覚。
その極限の恐怖の中で、俺は右手を突き出した。
「――ようやくここまで来たぜ」
急上昇してくる黒炎鳥の進行方向。
その眼前の空中に向けて、俺は黒石の巨人を顕現させた。
虚空に突如として現れた、岩石の塊のような巨躯。
その腕は既に、大きく背後へと振りかぶられていた。
今まで数多の魔物を無慈悲に粉砕してきた拳。
視界一杯を埋め尽くすように出現した巨人の姿に、黒炎鳥は慌てて軌道を変えようともがく。
だが、遅い。
黒炎鳥自身の凄まじい上昇速度が、皮肉にも己の破滅を加速させる。
巨人の自重が乗った分厚い拳の一撃が、黒炎鳥の首を正確に捉えた。
肉と骨が砕け散る乾いた音が響く。
圧倒的な質量の衝突は、ボスの太い首を一撃で無惨に叩き折った。
役目を終えた黒石の巨人が光の粒子となって消え去っていくのを視界の端で捉えながら、俺の体はなおも重力に従って落ち続けていく。
「あぁああああああああああ!!」
その後、泥人形をクッションにしつつ、灰流鳥に空中で拾い上げられるまでの数秒間。
俺の人生初のフリーフォールは、恐怖に満ちた情けない叫び声と共に虚空にこだましていた。




