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平地での単純な移動速度なら黒馬の方が断然速い。
森林狼には階位が昇格し密度を増した泥人形による重量加算もある状態だ。
物理的な速度はどうしても落ちる。
だが、召喚獣は疲れない。
心肺機能に限界がなく、乳酸も溜まらず、筋肉痛もない。
常にトップスピードを維持し続けられるというのは召喚魔法の最大の利点だ。
現在の俺は第四階位だがその戦力や機動力はどの遺物をどう運用するかに左右される。
狭く、暗い見通しの悪い洞窟内。
俺はゴアデビルの杖をしっかりと抱え込み、顔を伏せてルート取りの全てを森林狼に任せた。
視界は泥人形によって遮られている。
俺の足元から伸びた泥人形は、鞍のように俺の下半身を狼に固定し、さらに上半身を風防のように包み込んで背嚢ごとガッチリとホールドしている。
これにより急カーブや急停止など無茶な機動を行っても、俺の重心はブレず振り落とされる心配はない。
後方を追従させているゴアデビルが魔法を使った気配がする。
爆発音が遠くで響くが、俺は振り返らない。
邪魔な雑魚を掃討しているのだろう。
何度目かの曲がり角を曲がり、召喚獣たちが立ち止まった。
俺は泥人形の拘束を一時的に解き、風防を退かして顔を上げた。
目の前には空間が揺らぐ半透明の膜が見える。
二階層への移動ゲートだ。
そのまま俺たちは突き進んだ。
二階層、三階層、そして四階層。
魔物の質は徐々に上がり、地形も複雑化していくが、トップスピードを維持した召喚獣の進撃は止まらない。
遭遇する魔物は全て無視するか、走り抜けざまにゴアデビルが吹き飛ばす。
現在は五階層への入り口前。
俺は狼から降り、凝り固まった肩や腰をポキポキと鳴らしてストレッチをした。
いくら固定されていたとはいえ、高速移動の振動は体に響く。
背嚢から懐中時計を取り出し、時刻を確認する。
「……一時間半、か」
ここまで来るのに約90分。
通常の攻略速度からすれば異常な速さだ。
その代償として、俺たちが駆け抜けてきた背後――入り口からここまでの道中には、ターゲットを失い怒り狂った魔物が溢れかえっていることだろう。
通常、出会った魔物を無視して先に進む行為は推奨されていない。
放置された魔物が連鎖的に集まり、後続の探索者に襲いかかる危険な状態を引き起こすからだ。
何らかの遺物を用いて規格外の速度で魔物を避けて進む攻略は、今回のように緊急時や指名依頼での特例許可がなければ、管理所に厳重注意、最悪の場合はライセンス停止処分を食らう案件である。
「鬼が出るか蛇が出るかな……」
俺は一人ごちり、第五階層への膜を潜った。
景色は変わらない。
変わり映えのない洞窟型だ。
相変わらず湿った岩肌と、青白く光る苔。
だが空気の澱み方が違う。
近くで森林狼がスンスンと鼻を鳴らし、警戒心を露わにして歩き出した。
ここからはボスに出会う可能性が高いと推測される。
少年の話を聞く限り、パーティーを離散させたボスは固定配置ではなく、現在この階層を徘徊していると思われる。
いつ遭遇してもおかしくない。
俺は拳を握り、新しくなった「黒薔薇の指輪」の感触を確かめる。
周囲の闇から5体の影がせり上がってきた。
黒い薔薇の装飾を施された装備を纏う漆黒のスケルトン。
黒薔薇があしらわれた重厚な丸い盾に、鋭利な長剣。
背中には弓矢を携えている。
強化されたこの指輪は、通常の黒兵士の召喚であれば時間制限が無くなった。
以前は666秒という制限があったため、ここぞという場面以外では気軽に使えなかった。
残り時間が残っていても、一度解除してしまえばクールタイムとして丸一日再召喚できない不便さがあった。
だが今はヒヨリに強化され、その枷は取り払われている。
彼らは永遠に俺を守る盾となる。
俺の思考に呼応し、彼らが音もなく配置につく。
狭い道だが、先頭に嗅覚の鋭い森林狼。
その直後に黒兵士三体が盾を構えて前衛を作る。
中央に俺とゴアデビル。
そして後方を黒兵士二体が警戒する。
進み始めて数分。
最初の敵が現れた。
岩陰から這い出してきたのは、見るもおぞましい多脚の影。
八つ裂き百足。
全長は2メートルを超え、油を塗ったようにテカテカと光る黒い甲殻を持つ。
無数にある黄色い脚がカサカサと不快な音を立てて蠢いている。
極端に虫が苦手なわけではないが、その生理的な嫌悪感を催すテカリや、規格外の大きさを見ると畏怖してしまう。
こいつは火の魔法に耐性があり、腐食系の魔法も効かない。
第三階位に分類される魔物の中では、そのタフさと俊敏性でかなり厄介な部類に入る。
火槍は効きが悪いし、龍光なら殺せるだろうがこの狭い空間でそんなものをぶっ放せば衝撃で洞窟が崩落する危険が高い。
俺は先頭の森林狼を回収して、黒兵士三体を向かわせる。
八つ裂き百足は即効性の神経毒を持っている。
毒山蛙ほど強い毒ではないが、噛まれれば体が麻痺しその名の通り八つ裂きにされるだろう。
生身であれば接近戦は避けたい相手だ。
だが、骨には神経も肉もない。
百足が鎌首をもたげて襲いかかる。
先頭の黒兵士が黒薔薇の盾を叩きつけ、百足の鋭い顎を逸らす。
硬質な衝突音。
体勢が崩れた百足の懐へ、左右の黒兵士が滑り込む。
長剣が閃く。
甲殻の隙間、柔らかい関節へ正確に刃が突き刺さる。
嫌な手応えと共に、百足が顎を擦り合わせるような悲鳴を上げてのたうち回る。
危なげない完勝だ。
黒兵士の連携は見事なものだった。
これなら問題なく進める。
そう思った矢先だった。
想定外だったのは、その個体の強さではなく「量」だった。
一匹を処理し終えた直後。
ザワザワザワ……と、洞窟の奥から波のような音が押し寄せてきた。
顔を上げる。
通路の奥、天井、壁、そして床。
視界を埋め尽くすようにして、十匹以上の八つ裂き百足が雪崩のように飛び出してきた。
無数の脚音が反響し、精神を削る。
「うわァァ」
百足があまりに素早く、そして量が多い。
俺の口から人生で初めて出すような情けない裏声が漏れ出た。
だが、情けない姿とは裏腹に俺の防衛本能は冷静に対処を完了していた。
足元のアンクレットが輝く。
俺の足元から噴き出した泥の奔流が、壁や天井を伝って放射状に広がる。
粘着質の泥が、迫りくる百足たちの脚を絡め取る。
壁を這っていた百足が泥に捕まり、その場で身動きが取れなくなる。
本当ならここで黒石の巨人を召喚し、まとめて踏み潰したいところだ。
だが天井が低く通路が狭すぎる。
泥で動きの鈍った百足を、黒兵士たちが機械的に処理していく。
一匹一匹、確実に。
精神的な摩耗戦が始まった。




