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「……分かりました」
職員の必死な懇願に対し、俺は努めて冷静にそう答えた。
正直なところ、内心では「えー」と言いたい所ではあった。
ついさっき手に入れたばかりのユニーク遺物。
それを試すなら別のダンジョンでやりたかったのが本音だ。
『探索者は自己責任』
探索者なら誰もが口にするドライな言葉だ。
しかし、人の命が、それも複数の命が今まさに失われようとしている現状で、その言葉を盾に断れるほど俺は擦れていなかった。
指名依頼を承諾した俺は、すぐに一人だけ最奥から逃げ帰ってきたという少年に話しかけた。
まだ十代後半だろうか。最低でも第三階位到達者であると言う事は、それなりに期待されたルーキーだったはずだ。
しかし今は全身泥だらけで、装備はボロボロ。
顔色は青白く、震えている。
「あ、あのっ! みんなが! みんながまだ奥に!」
俺の姿を見るなり、少年は椅子から転げ落ちるようにして駆け寄ってきた。
猛烈な剣幕。
パニックで過呼吸気味になりながら、怒涛の早口で状況をまくし立てる。
「ボスが、強くて、魔法が効かなくて、それでリーダーが俺だけ逃がしてくれて、でも通路が塞がれて……!」
支離滅裂な説明だったが、要約するとこういうことだ。
第三階位のパーティーで挑んだものの、最奥のボスに歯が立たず壊滅状態に陥った。
一人だけ第四階位のリーダーと殿を務めた仲間たちが時間を稼いでいる隙に、彼一人が助けを呼ぶために走った。
典型的な、そして最も残酷なダンジョンの失敗例だ。
俺は彼の肩を掴み、落ち着かせるように頷く。
「わかった。情報をくれ」
「じょう、ほう……?」
「仲間達の身につけていた物はないのか? 何でもいい、匂いが残っている物だ」
そう聞くと、彼はハッとして背負っていた鞄を差し出してきた。
「こ、これ! リーダーの予備の服とか、タオルが入ってます!」
俺は職員に許可を取り、その場で指輪を発動させた。
管理所のロビーがざわめく。
一瞬の閃光と共に現れたのは、巨大な白銀の狼。
ロビーにいた他の探索者たちが、ギョッとして道を開ける。
俺は少年の鞄を狼の鼻先に突きつけた。
「この匂いだ。覚えられるな?」
グルル、と低く唸り、狼は明確な同意を示した。
準備は整った。
早速ダンジョンへ入ろうとゲートへ向かう。
すると、背後から「待った」が掛かった。
「おいおい、兄ちゃん一人で行かせるわけにはいかねぇよ」
「オレ達もここのダンジョンの常連さ、力になるぜ」
「そうだ、数が多い方が生存率は上がる!」
そう言ってゾロゾロと出てきたのは、ロビーに居合わせた探索者たちだった。
装備の質から見て、第三階位のベテラン勢だろう。
善意からの申し出だ。
正義感の強い彼らは、若者が一人で死地に飛び込むのを見過ごせなかったのだろう。
だが、今はその善意が足枷になる。
俺は足を止め、彼らを振り返った。
「お気持ちはありがたいですが……最奥のボスを倒した事はありますか?」
俺の問いかけに、彼らの動きが止まる。
「え……いや、ボス部屋までは行ったことあるが……」
「まだ攻略中だが、道案内くらいは……」
いずれも顔を伏せ、歯切れが悪くなる。
そりゃそうだ。
このダンジョンの最奥ボスを倒せる実力者がいるなら、そのパーティーがとっくに向かっているはずだし、そもそも遭難騒ぎにはなっていない。
彼らは「常連」ではあるが「攻略者」ではないのだ。
未踏破の人間を連れて行けば、彼らを守りながら進むことになる。
それは二次遭難の元だ。
「それでは、自分一人で攻略します」
俺はきっぱりと告げた。
「皆さんは後から入って、万が一入り口付近まで魔物が溢れてきた場合のスタンピード対策をお願いします」
俺の言葉に、探索者たちが色めき立つ。
「はあ!? お前一人で何ができるってんだ!」
「いくら第四階位って聞いてもソロだろ? 無茶だ!」
「死にに行くようなもんだぞ!」
ざわつきが怒号に変わりかけた。
彼らの心配はもっともだ。
だが、説得に費やす時間すら惜しい。
俺は職員の方を一瞥し、事実だけを告げることにした。
「自分は、Aランクダンジョン踏破者です。なので、大丈夫です」
静寂。
喧騒が嘘のように止んだ。
「……は?」
「え、Aランク……?」
Aランクダンジョン踏破者。
事実上の最高峰の実績。
その肩書きは、すぐ近くにいる管理員が証明できる絶対的な真実だ。
管理員が深く頷くのを見て、探索者たちの顔色が疑念から驚愕、そして畏怖へと変わっていく。
階位だけではない。
明確な実績という暴力は、彼らを黙らせるのに十分すぎる威力を持っていた。
「……頼んだぞ、兄ちゃん」
誰かが絞り出すように言った。
俺は無言で頷き、職員に一礼してゲートをくぐった。
――『洞窟型』。
視界が切り替わると同時に、湿った冷気が肌にまとわりつく。
中は薄暗い。
だが完全な闇ではなく、ダンジョン特有の発光現象で壁面の苔や鉱石が青白く光り、全体の構造は把握できる。
どこからか地下水が流れ出ているのか、足元の岩場は常に濡れて黒光りしており、不用意に走れば足を滑らせそうだ。
天井を見上げれば、鋭利な槍のような鍾乳石が所々に垂れ下がっている。
これまで俺が攻略してきた「解放型」の森林とは異なり、明確に階層毎に区切られた「階層型」。
最もオーソドックスで、かつ閉鎖的な圧迫感のあるタイプだ。
このダンジョンは管理員の情報によれば、全部で五階層。
道中の魔物は最大でも第三階位までしか出現せず、問題となっている最奥のボスのみが第四階位相当らしい。
俺は安全に、かつ速度優先で駆け抜ける陣形を組む。
指輪をかざし、再び森林狼を召喚。
狭い洞窟内でも機動力を発揮できる、一際大きな魔物だ。
その背に跨がり、同時にゴアデビルも召喚して前衛に置く。
そして、ここからが新しい試みだ。
「泥人形」
足元のアンクレットが淡く光る。
地面から泥が噴出し、不定形の泥人形が形成される。
だが今回は人型を作らせない。
俺の指示を受けた泥人形は、アメーバのように狼の背と俺の腰周りを覆い、硬化した。
即席のシートベルト兼、鞍だ。
以前の逃走劇で、ロープにしがみつきすぎて掌が血まみれになった教訓を生かした。
泥人形の粘着性と硬化特性を利用し、完全に狼と一体化する。
これにより森林狼への重量負担は増すが、振り落とされるリスクはゼロになり、俺自身が体力を消耗することなく高速移動が可能になる。
「匂いは覚えているな?」
狼の首筋を撫でる。
先ほど嗅がせた少年の鞄の匂い。そこに含まれていた仲間たちの残り香。
本格的な追跡は五階層に到着してからになるが、方向の当たりをつけることはできる。
「全速力だ。駆け抜けろ!」
ドンッ、と爆発的な加速。
俺の体は泥のベルトに支えられ、微動だにしない。
湿った風を切り裂き、俺たちは暗闇の奥へと突き進んだ。




