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――まずい!
思考が弾けた瞬間に俺は走り出していた。
俺の推論が正しければ、今この瞬間に最悪の「乗り換え」が行われようとしている。
寄生条件は「宿主を殺害すること」。
もし本当にそうなら、今レンを殺そうとしているミルが危ない。
彼女は第五階位だ。
ただでさえ強力な彼女が寄生され魔物の操り人形と化せば、俺に勝ち目はない。
それどころか、このダンジョンから生きて出られる人間はいなくなる。
俺は呼吸を荒らげながら戦場へ急行する。
視界の先で火花と爆炎が散っている。
ミルは恐らく勝つ。
第四階位と第五階位。
スペックの差は歴然だ。
それに加えてレンの中の魔物は、わざとレンを敗北させようとしているはずだ。
今の宿主を捨て駒にし、より強力な器へ移るために。
戦況は俺の予想通り一方的だった。
激化した戦闘は俺が到着する頃には沈黙していた。
瓦礫の山の中央。
レンが立ち尽くしている。
その腹部には風穴が空いていた。
ミルの火球が直撃したのだろう。内臓が蒸発し背後の景色が見えるほどの致命傷だ。
通常の人間なら即死。
だがレンは倒れない。糸の切れた人形のようにゆらゆらと揺れている。
そのレンに向けて、ミルが両手に収束させた最大火力の魔法を構えていた。
トドメの一撃。
それを放てば終わる。
そして、本当の悪夢が始まる。
「ミル!! 待て!!」
俺は喉が裂けんばかりに声を張り上げた。
「レンを殺すな! 殺せば君に寄生する!!」
戦場に俺の声が響き渡る。
ミルはその切迫した声色と内容に即座に反応した。
彼女は賢い。
俺の言葉の意味を瞬時に理解し、放つ寸前だった魔法を霧散させてバックステップで距離を取った。
そして。
反応したのはもう一人いた。
ギギ、と油の切れた機械のような音を立てて首が回る。
化け物じみた表情でこちらを振り向いたのはレンだった。
白目は充血し黒目は極限まで収縮している。
口元からは涎と血が垂れ流されている。
「邪魔ヲ、スルナ」
その声を聞いた瞬間、俺は理解した。
それはレンの声帯を使ってはいるが、決してレンのものではない。
もっと底知れない、粘着質な悪意の塊。
今まで俺たちを嘲笑い、同士討ちを誘発させてきた元凶の声だ。
腹に穴の空いた死に体のレンが地面を蹴る。
邪魔者を先に排除すると決めたのか。
死人が走ってくるようなおぞましい光景。
だが、その速度は遺跡の最奥で見せた動きに比べれば明らかに遅かった。
肉体の限界を超えて酷使された筋肉が悲鳴を上げている。
「本当に……殺した人間に寄生するって言うんなら」
俺は杖を構え、迫りくる死神を見据える。
「お前はとんでもねぇ魔物だよ。性格が悪すぎる」
ミルに殺されかけた死に体で、最後の力を振り絞り俺を殺そうとする気迫。
その執念だけは寒気がするほど凄まじい。
だが、遅い。
レンが長剣を突き出す。
「ゴアデビル!」
俺の思考と同時に空間が割れる。
俺とレンの間に顕現した巨躯の悪魔。
その剛腕が、突き出されたレンの長剣を真横から殴りつけた。
金属音が響き、剣の軌道が逸れる。
遺跡の最奥で俺が逃げるために使った防御。
だが今回は逃げるためじゃない。
レンは体勢を崩しながらも、超人的な反射神経で返す刀を振るう。
ゴアデビルの首を狙った斬撃。
俺は即座にゴアデビルを消滅させる。
剣が空を切り、レンの体が大きく泳ぐ。
足元のアンクレットが光る。
俺の足元から噴出した泥の奔流が、実体を持ってレンへと襲いかかる。
不定形の泥人形。
それは殴るためではなく、捕縛するための檻。
レンが剣を振るうが、泥の粘体は斬撃を吸収し、絡め取るように彼の手足を拘束した。
物理攻撃に強力な耐性を持つ泥の抱擁。
死に体のレンにそれを振りほどく力は残っていない。
俺とレンの間に、巨大な影が落ちる。
地響きと共に現れたのは、黒薔薇の装飾が付いた黒い巨人。
泥人形によって地面に縫い付けられたレンの頭上に、黒い壁のような巨体がそそり立つ。
寄生条件が「殺害」なら。
俺が手を下さなければいい。
意思なき泥と、魂なき石。
寄生する魂の器を持たない彼らならば、この連鎖を断ち切れるだろう。
黒石の巨人が、ゆっくりと両の拳を振り上げた。
逃げ場はない。
慈悲もない。
振り下ろされる拳。
断末魔を上げる暇もなかった。
大地が揺れ、周囲の瓦礫が跳ね上がる。
泥人形ごとレンの体を地面深くにめり込ませる、圧倒的な質量攻撃。
だがまだだ。
物理的な破壊だけでは不十分だ。
泥人形を光の粒子へ還す。
深いクレーターの中心には、ひしゃげた肉塊があるだけだ。
俺は最後に上空へ目を向ける。
そこには既に、再召喚されたゴアデビルが滞空していた。
その掌には、極限まで圧縮された龍の光が輝いている。
閃光。
龍光が垂直に降り注ぐ。
音すら置き去りにする熱線がクレーターを灼熱の坩堝へと変えた。
全ての細胞、全ての痕跡、そして巣食っていた悪意ごと浄化する白き光。
長い余韻。
光が収束し、もうもうと立ち込める土煙が風に流されていく。
俺はゆっくりとクレーターの縁に立つ。
そこにはもう、レンの姿も面影もなかった。
ただ一つ。
凹んだ地面の中央に、異常なほど大きな魔石が転がっているだけだった。




