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鬱蒼とした赤土の森が途切れ、人工的な石材が乱立する開けた空間。
第三階層への遺跡の入り口だ。
俺たちは直ちに突入することは避け、この境界線付近で休息を取ることにした。
連戦による消耗、精神的な摩耗。
「周囲の警戒を頼む」
俺は短く指示を飛ばす。
影から滑り出た森林狼が鼻を鳴らし、黒馬が蹄の音を殺して森の奥へと駆け出した。
彼らは疲れを知らない。
不眠不休で働く忠実な斥候として常に索敵してくれるだろう。
残ったゴアデビルを手元に呼び寄せる。
不気味な悪魔は主人の意図を察し、直立不動で周囲に睨みを利かせる歩哨へと変わった。
俺は背嚢を下ろし、焚き火の準備に取り掛かる。
普段ならゴブリンに命じる雑用だ。
だが今は自分の体を動かしたかった。
単純作業に没頭することで、思考のノイズを払拭したい欲求がある。
乾いた枝を拾い、枯れ草を集める。
パキリ、パキリと枝を折る乾いた感触だけが、現実感を繋ぎ止めてくれる気がした。
視線の先では、レンが手慣れた様子で石を組み竈を作っている。
その背中には、まるで貼り付くようにルカが寄り添っていた。
「レン、これ……」
「ああ、大丈夫だ。すぐに温かいものを食べさせてやるからな」
「はい……ありがとうございます……」
怯えた小動物のようなルカと、それを慈しむように守るレン。
極限状態のダンジョンにおいて、それは美しい信頼関係に見えるかもしれない。
だが俺の目には、どこか歪な光景に映った。
ルカの依存度は常軌を逸しているし、それを受け入れるレンの態度もあまりに無防備すぎる。
俺は意識して視線を切り、少し離れた茂みで薪を広い集める。
湿った土と腐葉土の匂い。
静寂。
「……何を考えてるの?」
唐突だった。
気配も音もなく、すぐ耳元で声がした。
心臓が跳ね上がり、反射的に身構えて振り返る。
そこにはいつの間にか、ミルが立っていた。
驚愕に目を見開く俺に対し、彼女は涼しい顔で人差し指を唇に当てる。
「シッ」
静かに。
その仕草だけで、彼女がただの挨拶に来たわけではないことを悟る。
焚き火の準備をする二人に聞かれてはいけない話。
薄暗い森の中で、彼女の肩口で切り揃えられた水色の髪が、揺らめいた。
大きな瞳が俺の眼球の奥まで覗き込むように見据えている。
俺は息を整え、声を潜めた。
「……桐生大牙の、最期の言葉です」
彼女は視線をレンたちの方へ一瞬だけ向け、すぐに俺へ戻した。
その瞳には、明確な敵意にも似た冷たい光が宿っている。
「私達の中に擬態して魔物が潜んでいるかもって、ことよね」
『気を付けろ、混じっている』
第五階位のパーティー、紅蓮人。
テレビの向こうのスターであり、圧倒的な実力者たち。
彼らが全滅したトリガー。
単なる力負けではない。内部からの崩壊を示唆する言葉。
探索者に擬態し、仲間になりすます魔物。
俺の持つダンジョン知識でもそんな存在は該当しない。
姿を変えるスライムや幻覚を見せる魔物はいるが、ここまで完璧に「人間」として振る舞い、言語を介し、社会に溶け込む個体など聞いたことがなかった。
「そんな魔物……いるんですかね」
俺の疑問は願望に近い。
いて欲しくない。
「わからない。だけど可能性は高いね」
ミルは無表情のまま、淡々と言葉を紡ぐ。
感情を排したその声音が、逆に事態の深刻さを浮き彫りにする。
「私からしたら、翡翠の二人のうちどちらかが魔物。または両方とも擬態型だと思ってる」
死が隣り合わせの閉鎖空間において、「人間ではない」と断じることの重み。
それは疑心暗鬼という猛毒を撒き散らす行為だ。
もし間違っていれば、俺たちは自滅する。
俺は慎重に言葉を選ぶ。
「――理由を、伺っても?」
なぜ俺に話すのか。
俺だって疑われて然るべきだ。
出会って数時間の、正体不明の人間なのだから。
ミルは俺の警戒心を見透かしたように、小さく肩を竦めた。
「理由? 単純な消去法」
彼女は指を三本立て、一本ずつ折っていく。
「紅蓮人が『混じってる』と言い残した時、その場に居たのは私を含めて三人だけ。レン、ルカ、そして私」
彼女の視線が鋭くなる。
「あの瞬間、あの場所ではあなたはいなかった」
彼女の論理は明快だった。
アキという存在は、紅蓮人の全滅後に合流したイレギュラーだ。
「混じってる」という警告の対象外。
つまり、あの惨劇の当事者である三人の中にこそ、怪物が潜んでいるという推論。
後から来た俺は、彼女にとって唯一ただの人間である判定されていた。
「私からしたら、後から合流したあなたは怪しくないの。少なくとも、紅蓮人を食い荒らしたナニカではない」
彼女の瞳に揺らぎはない。
だが、それは絶対の証明ではない。
紅蓮人の言葉が全てという保証もないし、そもそもミル自身が嘘をついている可能性だってある。
彼女自身が「混じっている」モノであり、俺と翡翠を対立させようとしているのかもしれない。
それでも。
現状、情報を共有できる相手は彼女しかいない。
「……わかりました」
紅蓮人の言葉の真偽。
そして、この中に潜む裏切り者の正体。
それを確かめるためにも、俺たちは三層目へ進まなければならない。




