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そのまま赫竜と灰流鳥とで空を飛んでいく。
浮島を幾つも越えるうちに、周囲の環境が変わり始めた。
浮島同士の間隔が広がり、漂う霧が濃くなっていく。
そして、厄介な相手が混ざり始めた。
小型のドラゴンだ。
体は鱗に覆われており、口から火球を吐き出してくる。
一匹二匹ならどうということはないが、出会う数が多い。
群れではないが、飛行中に散発的に襲いかかってくるため、その度に足を止められる。
赫竜であれば全く問題なかった。
体格で勝り、すれ違いざまに顎で噛み砕くか、翼で叩き落とすだけで片が付く。
問題は灰流鳥の方だ。
魔法を受け流す羽毛は火球に対しても有効だが、灰流鳥の単体の戦闘力では、このドラゴンに正面から勝てない。
乗っているのがヒナなので、空中で迎撃すること自体は可能だった。
空中で火球に狙われると回避に踏空を消費してしまい、攻撃に移るための踏空が残らない。
結果として灰流鳥に戻って仕切り直しになり、ヒナとしてはやりづらそうだった。
「あーもう! 遠くからチマチマ撃ってくるの嫌い!」
ヒナが灰流鳥の背で大槌を振り回しながら叫んでいる。
近づいて殴るしか出来ないと本人が言っていた通り、相手が距離を取る戦い方をすると途端に持ち味が消える。
それでも比較的順調に進んでいき、たどり着いたのは空中庭園とも呼ぶべき場所だった。
先ほどまでの剥き出しの浮島とは明らかに異なる。
色とりどりの花が生い茂り、しっかりとした天井付きの木の廊下が組まれている。
手すりには細かな装飾が施され、柱の一本一本に蔦が絡んでいた。
廊下の両脇に広がる花畑は、風に揺れるたびに甘い香りを漂わせている。
美しい場所だった。
浮島型ダンジョンの中に、人の手が入ったかのような庭園が存在している。
「どう思う?」
俺は近くのヒナに聞いた。
「確実に罠ね」
即答だった。
頭の中まで脳筋でないことを確認できて、少し安堵する。
風で揺れる色とりどりの花は、確かに俺でも綺麗だと感じる。
赤、白、紫、黄色。
そしてその中に、俺の知識にあるダンジョン産の猛毒花が紛れているのを見落とさなかった。
――黒死花。
一見すると深い紫色の美しい花だが、その花びらは皮膚に軽く触れただけで死に至ると言われる。
毒が体内に取り込まれるのではなく、触れた箇所から黒く変色し、壊死が全身に広がって死に至る。
毒花とは呼ばれているが、その性質はどちらかと言うと呪いに近い。
俺はその花を視界の隅に留めつつ、木の廊下の構造に目を向けた。
この廊下自体が魔物の擬態である可能性を警戒し、近くに守護者を召喚してその拳を廊下へ叩き込ませる。
イバラを巻いた拳が木の廊下を粉砕した。
細い手すりの付いた装飾された木材は、圧倒的な衝撃を受けてばらばらに砕け散る。
ただの木だった。
擬態のような反応はない。
杞憂だったが、確認して損はない。
とりあえず俺とヒナの意見は一致した。
この空中庭園は無視して、空を進む。
罠だと分かっている場所にわざわざ踏み込む必要はない。
赫竜と灰流鳥で空中庭園の上空を迂回し、先へ進んだ。
だが、一時間探しても次に進めるような浮島は見つからなかった。
散発的にドラゴンの襲撃を受けるだけで、新たな地形は現れない。
どの方角に飛んでも、浮島は途切れていた。
結局、空中庭園に戻ってきていた。
「まぁ、やっぱりここよねー」
ヒナは灰流鳥から降りて諦めたようにそう言うと、大槌を腕輪に戻して歩き出した。
俺は赫竜から降りて足をつけた。
ここを通過しなければ先に進めない。
罠であろうと、突破するしかなかった。
入り口が壊れた空中庭園の廊下へ足を踏み入れる。
先にヒナが一歩を踏み出した。
その瞬間、ヒナの姿がかき消えた。
目の前にいたはずの人間が、音もなく消える。
警戒していたはずなのに、俺の反応の外で起きた事だった。
これは転移だ。
即座にバルガロンを召喚して付近の警戒に回す。
バルガロンの感覚が周囲を走査するが、反応はない。
敵の気配も、罠の気配もなかった。
俺は廊下へバルガロンを先行させた。
だが、バルガロンには転移が反応しない。
悪魔は廊下の上を普通に歩いて、奥へと進んでいく。
俺は意を決して、廊下に足を踏み入れた。
視界が一瞬だけ白く明滅し、次の瞬間には目の前にヒナがいた。
「閉じ込められちゃった」
ヒナの言葉を聞いて、後ろを振り返る。
依然としてここは木でできた廊下であり、天井も存在する。
しかし、先ほどまで晴天だったにもかかわらず、外は薄暗い。
空の色が違う。青空ではなく、灰色の曇天が廊下の隙間から覗いていた。
振り返った先の廊下は、数メートルで途切れていた。
その先は空間ごと断絶しており、覗き込んでも闇が見えるだけだ。
来た道が消えている。
俺は赫竜の回収を試みた。
だが、意識を向けても赫竜に届かない。
灰流鳥も同様だ。先ほどまでいた場所に取り残されており、召喚を解除できなかった。
バルガロンも転移前の空間にいる。
ただし、灰流鳥は三体のうち一体が取り残されているだけで、まだ二体が残っている。
完全に飛行手段を失ったわけではなかった。
転移はした。
だが目に見える景色は先ほどと大きくは変わっていない。
同じ木の廊下、同じ花畑、同じ装飾の柱。
決定的に違うのは、廊下の先が宮殿のような建造物に繋がっている事だった。
先ほどの空中庭園にはなかった構造物が、廊下の奥に見えている。
白い石壁と金の装飾が施された門構えが、花畑の向こうに佇んでいた。
「大丈夫です。まだ空を飛べる召喚獣が二体残ってます」
俺がそう言うと、ヒナは深く気にした様子もなく頷いた。
先へ進むことに躊躇がない。
廊下は大人二人が並んで歩いても余裕があるほどの幅だったが、ヒナの大槌を振り回せるほどの広さはない。
俺は黒薔薇の騎士団を二体召喚した。
黒い薔薇の花びらが舞い上がる中、鎧を纏った二体の騎士が廊下に顕現する。
騎士を前衛に据えて廊下を進むと、前方から複数の足音が聞こえてきた。
木の廊下を踏む、規則正しい足音。
現れたのは官服を着た人形だった。
東洋風の衣装を纏い、手に長い槍を持っている。
だが顔がなかった。
目も鼻も口もない、のっぺらぼうのような滑らかな面が首の上に乗っている。
無貌の人形たちが、俺たちへ向けて一斉に槍を突き出した。
突き出された穂先を、ヒナは片手で掴み取った。
握力で槍の柄をへし折り、そのまま人形の頭部を蹴り飛ばす。
首がもげた人形が廊下を転がっていった。
死角から飛んでくる槍は、騎士団が盾で受け止める。
弾いた隙に長剣で斬り伏せ、次の人形へと移る。
狭い廊下での戦闘は騎士団の得意分野だ。盾と剣の連携で、一方通行の通路を完全に制圧していく。
――問題ない。処理できる。
そう思った時、風が吹いた。
横から吹く風だった。
廊下の隙間、花畑に面した手すり向こうから、冷たい風が通り抜けてくる。
ヒナのピンクの髪が風に揺れた。
「風に乗って舞っているぞッ!」
叫ぶ俺の視界に、紫色の花びらが映っていた。
黒死花の花びらが風に乗って廊下の中に入り込んでいる。
一枚、二枚ではない。無数の花びらが空気の中を漂い、こちらへ向かってきていた。
触れるだけで終わりだ。
俺は即座に新たな騎士を召喚し、ヒナの体を地面に伏せさせた。
騎士の体で覆うようにして、花びらからヒナを隠す。
ヒナは何かを言いたげな顔を見せたが、俺の表情から意図を読み取ったのだろう。
すぐに体を低くして廊下の床に伏せた。
黒死花の花びらが、騎士団の鎧の上を滑っていく。
黒い鎧に触れても変色は起きない。
幸い風はすぐに止み、花びらは床に落ちて動きを止めた。
俺たちは慎重に立ち上がり、落ちた花びらを踏まないように周囲を確認する。
次の風が吹く前に、宮殿まで駆け込まなければならない。
「本気出すわ」
ヒナがそう言うと、黒い眼帯に手をかけた。
紐を解き、眼帯を外す。
露わになった右目。
金色の虹彩に、縦に裂けた瞳孔。
人間の目ではない。爬虫類のような、ロレーヌの竜形態の時と同じ瞳だった。
ヒナの首筋から、黒い鱗が浮かび上がってきた。
鱗は体を完全に覆い尽くしはせず、首元から鎖骨にかけてと、両腕の外側に止まっている。
変身魔法のように全身が変化するのではなく、部分的に竜の特性が顕現している。
ロレーヌの呪い。
あるいは、ロレーヌがもたらした遺物の力。
第六階位への鍵が、この目と鱗にあるのかもしれない。
「走るよ」
ヒナが駆け出した。
その速度が、先ほどまでとは段違いだった。
鱗が浮かんだ脚が廊下を蹴るたびに、木の床板が軋む。
俺も騎士団を傍に従えて全力で走る。
前方から現れる無貌の人形たちを、ヒナが正面から蹴散らしていく。
拳だけで人形を砕きながら突き進む。
廊下の両脇に生い茂る黒死花の密度が、宮殿に近づくにつれて濃くなっていった。
紫色の花が壁を覆い、天井にまで蔦が這い上がっている。
触れれば即死の花に囲まれた回廊を、全速力で走り抜ける。
風が吹いた。
宮殿まで残り三十メートルほど。
「先に行け!」
俺の言葉に、ヒナは一切の躊躇なく踏空を使った。
一度の跳躍で廊下から飛び上がり、空中を蹴って宮殿の入り口へ身を投げ込む。
ヒナの体が宮殿の門をくぐり、花畑の範囲から外れた。
大量の黒死花の花びらが風に乗って舞い上がり、俺の方へ迫ってくる。
目の前が紫色の花びらで覆われていく。
触れれば死。一枚でも肌に付着すれば終わりだ。
だが、一切の焦りはなかった。
俺には対処法があった。
懸念点はヒナだけだったのだ。
花びらが肌に触れるよりも一瞬早く、泥人形を召喚して全身を包ませた。
泥人形が体の表面を膜のように覆い、外部との接触を完全に遮断する。
黒死花の花びらが泥人形の表面に触れた。
変色は起きない。
先ほどの風の時に確認済みだった。
ヒナを庇った騎士団の鎧に花びらが触れても、黒い変色は起きなかった。
黒死花は生物の皮膚にのみ反応する。
召喚獣の体表は生物の皮膚ではない。泥人形も同様だろう。
俺には効かない。
風が収まるのを待ち、泥人形を解除した。
花びらが足元にぱらぱらと落ちていく。
俺は一枚も触れていない体で、悠然と宮殿へ踏み込んだ。
「あんたって、本当に器用ね」
宮殿の門の内側で待っていたヒナが、少しため息混じりにそう言った。
眼帯を戻す手を止めて、こちらを見ている。
器用。
この場合は手先のことを言っているのではなく、対応力のことだろう。
「褒め言葉として受け取りますね」
俺がそう返すと、ヒナは鼻で笑った。
俺は首元のネックレスに触れて、バルガロンがまだ転移前の空間にいることを確認した。
ここから先は、手持ちの召喚獣だけで進まなければならない。
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