第24話 (12月25日のおはなし)
(そりゃ、秘密にされるわけだ……!)
彼女の口から明かされた、驚愕の事実――もう本日だけで何度遭遇したか分からないが――に、ティーゼルは内心で叫んだ。
こんなことが万一市井に知れたら恐ろしいことになる。
何しろ、エルムを暗黒に突き落とした元凶と意識を共有できるという、これまたニームの頂点の存在が、よりによって聖者の妻なのである。しかも今の世まで生き続けているなどと……。
「私はかつて、白の皇女と呼ばれていた。……そうだな、呼び名が無くて不便をかけるなら、『皇女』と呼んでくれて構わない。帝国の崩壊後は渾名のように夫にそう呼ばれていたものだが、あるときドレイクがそれを聞いて、血相変えて止めに来たものだった。……ただまあ、今この場限りなら支障はあるまい」
懐かしさからか、饒舌な彼女とは対照的に、ティーゼルは押し黙ってしまう。
それに気付いた皇女は彼の方に顔を向けて言った。
「安心しろ。神はたらふくエルムの血肉を食らって、今は幸せに午睡の最中だ。再び腹が減るまでは目覚めない。ゆえに私も今は自分だけの意思で生きていられるというわけだ」
午睡という表現に心許なさを感じて仕方がないが、五百年、千年という括りで語るような相手である。自分たちの尺度とは恐らく異なるだろう、とティーゼルはどうにか自分を納得させた。
そのとき、ざあ、と外の木々が大きな葉擦れの音を立てる。吹き込んだ一陣の風が紗幕を揺らし、彼らの髪を嬲り頬を撫ぜたとき、ヴィーの首元の辺りから光の砂のようなものが巻き上がった。
(……あれは!)
ティーゼルは目を見開く。
それは先ほど皇女が放った神聖文字が砕けたものだ。ティーゼルは唐突に、ヴィーが「術が発動した後」と語っていた『ニームの息吹』が何であるかを、真に理解できた気がした。
彼は逸る気持ちを抑え、あらたまった表情で皇女に向き直る。
「……皇女……俺も貴女にお訊きしたい」
皇女は鷹揚に頷いた。
「ティーゼルと言ったか。お前の方が私に――というよりニームに用があったようだな。答えられることなら答えてやろう」
ティーゼルは神妙に頭を下げた。
「俺の婚約者が……別の遺構で事故に遭い、以来眠り続けています。眠るという表現が正しいかは分からない。呼吸も脈も微弱なまま、もう半年も意識を取り戻さないのです。普通なら衰弱して命も危うくなるはずが、見た目はまったく変わらず……」
「ふむ。人としては面妖だな」
皇女は落ち着き払って言う。
横で聞いていたヴィーが眉根を寄せた。
「ティーゼルの婚約者って……トレフォイル侯家のメリッサ姫?」
ティーゼルはヴィーを振り向き「ああ」と答えると、また皇女に視線を戻した。
「見つかった場所には『ニームの息吹』が大量に落ちていました。そのときの俺にはそれが何なのか、手掛かりとなるであろう特殊なものだったのだということも分からなかった。だが今となっては……間違いない。彼女は何らかの事情でニームの術に触れてしまったのです。共にいた父のトレフォイル侯はその場で事切れていました。彼女だけがまだ息がある理由は分かりません」
「……ニームの禁忌に触れた者は直接体内に毒の呪符が送り込まれる。この周辺で、立ち入ることを許されていない者が辿る末路は、お前たちも見ただろう」
ティーゼルは肯く。
突然事切れ、体内から『ニームの息吹』が見つかった謎の男のことを指しているのはすぐに分かった。
「その娘、お前の婚約者に定められた者ならそれなりの血統であろう。つまりニームの血をある程度引いている可能性が高い。父親との差は分からぬが、耐性を持つゆえ死までは至らなかったのであろう」
「だがこのままでは死んだも同然だ!」
堪らずティーゼルは語気を強めた。
「彼女の奇妙な状態がこのまま続いて、目覚める見込みもないとなれば……うちの公爵家の中でも別の姫を迎えるべきだという声が強くなる。一族と俺の関係が拗れれば、この先目覚めることができたとしても、彼女の立場は悪くなってしまう。そろそろ一族を押し留めるのも限界が近い」
知らず、ティーゼルは拳を握り締めていた。
ただでさえ夫人の実子でない彼は味方が少ない。跡目争いがある訳ではなかったが、どうしても侮りの目で見られがちだ。
騎士団にいた頃は気楽だった。性にも合っていたと思う。――少なくとも、王国を代表するような公爵家の当主などよりは。
「わたくしがお支えしますから」
初めて引き合わされたとき、こちらを歯牙にも掛けない気位の高い姫という印象を受けたのだが、愛想は良くないわりに、彼女は自分を拒絶する素振りは一度も見せなかった。
あるとき真っ直ぐこちらに視線を据えてそう言われ、どちらかというと貴族社会では蔑みの目で見られることの方に慣れていた自分は、ぼんやり彼女のことを美しいと思ったのだった。
とはいえさして浮ついた感情を抱いた覚えはない。どちらかと言えばそのとき感じたのは敬意だったような気がする。ただ、最も近しい協力者、同盟者である夫婦という関係になることを、自然と受け入れられるように思えた相手だった。
それが彼女はあのような状態となり、周囲に他の姫を娶れと迫られて初めて、彼女以外をあまりに受け入れ難く感じている自分に気が付いたのである。
(あんなままにはしておけない。それだけは――)
「……リサは、貴女の夫君の廟を守る、ケンプフェリア大主教の姪に当たります。当然、教会も調査に協力してくれましたが、何の手掛かりも得られず……」
それは当然だ、とでも言わんばかりに皇女は頷いた。
「教会では役に立つまいな。あれらが管理するのはエルムの世に『伝わってよい』事柄だけだ。把握している遺構もすでに死んだもの――何ら機能していないものばかりだろう」
「しかし彼女が踏み込んだ遺構は、どう考えてもニームの力が生きていたことになります」
「ならば教会の管轄の遺構ではない。お前は元からそこの存在を知っていたのか?」
皇女の問いに、ティーゼルは首を振った。
「いいえ……。彼女の家トレフォイル侯爵家は歴史家の家系でもあります。特に亡くなった侯は熱心な遺構の研究者でした。どこにでも足を運ぼうとし、いつもリサをはじめとする家族が追いかけたり止めたりしていた……恐らく今回もそうだったのだろうと推測しています。――最悪の結果になったようですが」
「ティーゼル……もしかしてそれは南部のアガスタキの遺跡? 発見されたわずか数か月後に崩壊したって聞いているけれど」
しばらく黙って聞いていたヴィーが問い掛ける。
「ああ、それだ」
ティーゼルが肯定したことに、ヴィーは再び眉を顰めた。
「その遺跡の情報源はリツェアだね……僧院で噂を聞いたことがある」
「なに?」
思いも寄らない指摘だった。エレカンペインと双璧を為す大国は、建国時はどうであったかは分からないが、今現在は互いに牽制しあう、どちらかというと危険で厄介な相手なのだ。
ヴィーの言葉を継ぐように、皇女が語る。
「……生きた遺構の情報を握るのはリツェアのヴィテックス家。無論ここの管理も彼らが行っている。私のことまで正確に伝えられているかは知らぬがな。――あの一族に伝わるニームの情報量はお前たちエレカンペインの比ではない。我が子がまだ歳若いまま世を去った我が夫と違い、ドレイクは伝えるべきことをすべて息子たちに託してから生涯を閉じたからな。あの男はやる気は無いが有能だった」
まるで自分の夫のバルサムはそうではない、とでも言いたげな皇女に、ティーゼルとヴィーはどちらからともなく互いに目配せをした。
「バルサムは戦いの終わり頃、ニームの神を追って天に向かわれたと……」
「死んだ事実を美化したに決まっているであろう。無論そうさせたのはドレイクだがな。先ほど申したな。神は幸せな午睡の最中である、と。つまり無傷であり、この大陸からの神の退場と夫は関係がない」
「知りたくなかった……」
ティーゼルが悲し気に呟く。
「記憶を消してやっても良いぞ」
こともなげに言う皇女に、ティーゼルは慌てて言った。
「お待ちください。……背景はともかく、彼女を救う手立てはあるのですか?」
「体内に残る呪符を無効化してやれば当然作用は消える。その娘も意識を取り戻すであろう」
ティーゼルが目を瞠る。
「それは……貴女に可能なことなのですか……」
恐る恐るという風情で問うティーゼルに、皇女は思案顔になった。
「そうさなあ……できなくはないが、その娘と私の距離が離れすぎているな。狙いが定められぬ。そもそもどこにいるかも知らぬしな。私は長くは起きていられぬゆえ、大陸で発動中のすべての呪符を一時に無効化するよりほかあるまい」
「どのような問題があるのでしょうか」
冷静にヴィーが尋ねる。
「さて、なんとも言えぬが、リツェアには感知されるぞ。となるとバルサムに非常に近い血を持った者が私を目覚めさせたことが知れる。要するに王族であるお前が単身ここにいるということがヴィテックスに知れる。お前はそれでも問題無いのか」
ヴィーは難しい顔をした。
「……今、私とヴィテックスが何という話があるわけではありませんが……そんなことが知れたら、あの狸な皇帝が何も仕掛けてこないという保証は全く無いですね……」
彼の言葉に、ティーゼルがぐっと何かを堪える顔をする。自分の望みは何としてでも叶えたいが、自国の王族を――それもこのヴィーの身を危険に晒すのもまた本意ではない。
しかしヴィーはすぐに思案顔を解き、あっさりとした様子で皇女に言った。
「どうぞ、彼の望みを叶えていただけないでしょうか。私のことは――」
そこまで言って、彼はにっこりとティーゼルに笑いかけた。この荒野で出会って初めて、ティーゼルははっきりと、微笑ではない彼の笑顔を見た気がした。
「彼が守ってくれます」




