第22話 (12月22日のおはなし)
謎の声に急かされるまま閃光の中に駆け込んだ二人は、その瞬間自身の身体が「何か」を潜り抜けるような感覚に襲われた。
流れ落ちる滝の水を押し退けて向こう側に出るような、それが水の壁ではなく空気、あるいは空間そのものの壁であったような――。
目に見えない抵抗を乗り越え、その先に歩を進めた二人はそこで立ち止まった。
光に全てが遮られていた視界が一変したのだ。
散乱する光は消え失せ、眼前に通路が伸びていた。黄土色で結晶質の露出が見える、ざらざらとした表面の石組みが床と壁面を覆っている。しばらく先で道は直角に右へ曲がっており、一見してどこに繋がっているのかは分からない。
明り取りの窓もないのに、辺りは昼間の戸外のように明るい。石組みの全面を、先ほど地面に現れたのと同じような光る神聖文字が覆っていた。文字そのものが光っているというより、浮き出た文字の中を光が走っている。先へと誘うかのごとく、その明滅は漣のように手前から奥へと流れていた。
「……この先に進め、ってことか……」
もはや飛び込んでしまった以上、どのような不可解な現象に遭遇しても肚を括るしかない。そんな思いで、慄く本能を捩じ伏せティーゼルは言った。
「そのようだね。さっさと行かないとまた叱られそうだ」
淡々と、まるで母親の小言を煙たがる少年のような言い回しで答えるヴィーの様子に、こういうところは『死に損ない』のときと変わらないな、とティーゼルはどこか呑気に思う。彼のこの、驚愕の事象を前にしてもさして動じていない様子に、今は大いに救われている。
二人は速足で歩き始めた。ヴィーは怪我を抱える身であるし、この先の距離が分からない以上、無闇に走り出すわけにもいかない。
「いったいあれは誰なんだ……」
ティーゼルの呟きに、前を向いたままヴィーは口を開く。
「間違いなくニームだろうね」
「それは……そうだろうが」
はっきりニームと言われたことで緊張に声を固くするティーゼルを、ヴィーはちらりと横目で見た。そして視線を前方に戻すと、少し思案する間を置いてから、慎重な様子で口を開く。
「……エレカンペインで子供たちが歌うニームの歌、知ってる?」
唐突な話題にティーゼルは眉を上げたが、すぐに答えた。
「そりゃ知ってるさ」
さあ子供らよ 日が暮れる
二つ面のニームが来る
家に帰りて戸を閉めよ
鏡面のニームが来る
「――ってやつだろう?」
「そう」
ティーゼルは首を傾げた。それがどうかしたのか、という顔である。
道が最初の曲がり角に至った。二人は慎重に角を曲がってみたが、引き続きまったく同じ光景が彼らの前に続いていた。光る神聖文字と、石造りの通路。
「……私とソレルはよく似ている?」
またもや脈絡のない質問だったが、そのことには触れずにティーゼルは答えた。
「……最近殿下を見かけることがあまり無いんだが……。子供の頃の二人は確かにびっくりするほど似てたな」
「私は母似とよく言われるのだけど、それでも父方の従弟のソレルとそっくりだった。……たぶん、今もそうなんじゃないかな。……うちの一族には、そういう子供がよく生まれる。従兄弟とか、又従兄弟くらいの間で。そしてそれは……リツェアのヴィテックス家も同じ」
ティーゼルは無意識に眉根を寄せる。
ようやく、ヴィーのここまでの話題が何を指しているのか、ティーゼルの中で繋がってきた。ヴィーはそのまま続ける。
「ニームは恐ろしい力を操り、エルムの民を狩ったというけど、彼らは決まって、同じ容姿を持った二人組だったらしい。二つ面、とか鏡面と言われる所以だろうね」
ティーゼルはごくりと唾を呑む。
「まさか……」
聖者バルサムの末裔である、エレカンペイン王家。
賢者マンドレイクの末裔である、リツェア皇家。
「繋がった?」
言葉を失ったティーゼルの様子を注意深く見守りながら、ヴィーは静かに尋ねた。
エルムの民を導き、ニームと戦う術を与えた彼ら。それはつまり、彼ら自身がニームであり、ゆえに対抗の術を知っていたということ――。
「……そういう、ことなのか……」
「ソレルと私は瞳の色が違うけど、これまでこんな例は無かったそうだ。恐らく、ソレルに半分流れるウィロウは純粋なエルムの血統で、その分彼はニームの要素が弱いから、そのせいではないかって言われている」
再び通路が曲がり角に至る。今度は左に続いていた。これもまた、曲がったところで光景に変化はない。このままいったいいつまで歩き続ければいいのか、ティーゼルは徐々に不安になってくる。
同じ不安を感じているのかいないのか、ヴィーは焦る様子もなく、静かな口調で切り出した。
「……貴方にだって、それなりに濃いバルサムの血が流れているはずだよ。三大公爵家のひとつ、メリロット公の跡取りなのだから。――アマランス家ではそういう話題は出されないの?」
ティーゼルのニームに対する感覚が、一般のエルムの民のものに近いことを、ヴィーは荒野での彼の言動から知っている。
ただそれは、メリロット公爵家の一門、アマランス家の惣領としては意外なことでもあった。
ティーゼルは苦笑する。
「俺は元々庶子の立場でね。……別に、親父殿が愛人を囲って産ませたという話じゃなくてな。成人の儀の際、婚約者――今の公爵夫人がまだ歳若かったものだから、一族の傍系で早くに未亡人となっていた母が代理を務めたんだそうだ。そうしたら予定外に生まれてきてしまったのが俺というわけ。だからまあ、認知はされていたが基本的には母の家で育ったし、十二の歳からは騎士団に入っていた。事情があって途中から嫡子として迎えられて、それで今は惣領のマルベリー卿に収まってるわけだが」
「……なるほどね。よく聞く話ではあるけど……」
冷静に納得するヴィーに、ティーゼルはふと気になって尋ねた。
「あれ、お前……って、十五過ぎてるよな?」
「まだ十五だけど、誕生の日は過ぎてるよ。もちろん儀礼は終えてる」
「……僧院で?」
女人禁制の僧院で、女性と共寝をする儀式を行うなど有り得ないとは分かっていつつも、つい好奇心が勝ってティーゼルは訊いてしまった。ヴィーは首を振る。
「まさか。私はカンファーの爵位も持ってるから、向こうに渡って成人を迎えたよ。伯父上の――陛下の命令でね」
その声音はいつも通りのようにも聞こえたが、いささか固いような違和感を感じ、ティーゼルはヴィーの顔を見遣った。
彼は真っ直ぐ前を見据えている。その纏う空気が心なしか冷たい。
「……そうか」
何か気に障ることを言ってしまっただろうか、とティーゼルはこれまでの彼との会話を反芻し、あるヴィーの言葉に思い当たった。
「……その、亡くなった幼馴染の姫って……」
できればこの推測は当たってほしくない、と祈りつつ、しかし無情にもヴィーは頷いた。
「まあ、そういうこと。私が人生で最高に機嫌が悪かった、って言った理由、分かった?」
「……。分かった。悪かった!」
勢いよく謝罪を口にするティーゼルに、ふっと前を向いたままのヴィーの口許が緩んだ。
「ティーゼルは悪くないよ。すっかり私の憂さ晴らしに付き合わせてしまったようなものだし」
「憂さ晴らし? ならず者を斬りまくってたことか?」
いささか慄きながらティーゼルが訊くと、ヴィーは眉を吊り上げてこちらを向いた。
「違うよ! 荒野で無謀な旅をしたことだよ。……ちょっとティーゼル、酷くないかな? ひとを快楽殺人者みたいに」
「悪い! ただ俺には若干その気があるように見えたんだ……。ニームを恐れないから、司祭もいない場所であんなに迷いが無かったんだ、ってのは今でこそ分かったが……」
ヴィーはじっとりとした目線を注いできた。そんな感情の発露を見せるくらいには、機嫌が直ったらしい。
「……さて、話が逸れてしまったね。……ティーゼル、とにかく自分にニームの血が流れている、っていうことは、急には難しいかもしれないけど受け入れてほしい。この先、あの声の主と対面する前に」
そう言われたティーゼルは、観念したように右手で自身の髪をぐしゃりと掻き混ぜた。
「あー、まあ……言われてみれば納得するしかない点もあるからな。受け入れるしかないだろう」
自分がさほど信心深いほうでなくて良かった、とティーゼルは思った。そうでなければ、完全に価値観を覆されてしまっていたところだ。
「そうしてくれると助かるよ。じゃあ、ティーゼル。私たちがバルサムの末裔だということは良く知られているところだけど、ひとつ、私たち王族にも伝えられていないことがあるんだ。なんだと思う?」
「伝えられていない……?」
ティーゼルは顎を撫でつつ考える。王族にすら伝えられていない何か、などに自分が目を向けてよいのだろうかとまず彼は思ったが、そもそもこのニームの領域らしき場所に足を踏み入れている以上、大陸内の最も恐ろしい禁忌に触れているようなものだ。
しばらく悩んだものの、先ほどの声が女性のものだったことが、何やら引っ掛かった。
「あ……。聖者の末裔……つまり聖者の子を産んだのは誰なのか、ってことか」
「そう。そこは教典にも全く触れられていないし、私たちも直接聞かされたことがない。自分たちの先祖のことなのに、物凄く不自然に伏せられてるし、誰も触れない」
「伝えると問題がある相手、ってことか……?」
それはいったいどういうことか。と更にティーゼルが眉を顰めたところ、これまで一方向に向かって走っていた神聖文字の光が、突然動きを止めてその場で輝き出した。
「うわ! なんだ!?」
眩しさに二人は片腕をかざす。そこへ再び、あの声が彼らの脳裏に響いた。
『ようやく気付いたか。――ならば我が面前に降り立つことを許そう』




