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第20話    (12月20日のおはなし)

 妙なことを言い出した『死に損ない』に、ティーゼルは頓狂とんきょうな声を出す。

「どういう意味なんだ!」

 喚くティーゼルに『死に損ない』はまたじっと視線を注いだ。例によって、表情がよく分からない。

 ティーゼルは頬を怒りに引きらせながら、『死に損ない』を見下ろした。

(こいつ……ほんとにどういうつもりの発言だ! 俺が名前以外素性を明かさないってことを言ってるのか? いやそれなら名前すら教えないこいつはなんなんだって話になる……。それともこいつは俺を知っている? 俺も知ってるはずの相手? ……いや、まさか。こんなやさぐれて物騒なガキなんて知らないぞ)

 もう一日以上一緒に過ごしているが、こんな人物に心当たりが無いのである。

 こうなると血に染まった相手の顔がもどかしい。悲鳴をあげようが構わず力一杯拭き取りたい衝動に駆られるが、それこそそんな真似をしたら殺されそうでもある。

 そしてどこまで彼の言を鵜呑みにしていいか分からないが、それでもここまでニームについて詳しい彼と、今険悪になるのも得策ではない。

 そこまでティーゼルは考えて、数々の文句と疑問をぐっと呑み込んだ。

(なんで俺がこんな……!)

 こちらが助けた方のはずなのに、譲歩してばかりな気がする。

「あ……ティーゼル……」

 自分の挑発的な発言など忘れたかのように、『死に損ない』は悶々とするティーゼルに、まったく別件という様子で声を掛けた。

「なんだ!?」

 若干喧嘩腰の返事になってしまったのは無理からぬことだろう。無論、『死に損ない』には気にした風もない。

「陽が落ちきる前に……ここを探索したほうがいい。ここ……少しだけど、『ニームの息吹』が土に混じってる」

「な……っ」

 ティーゼルは思わず、さきほどまで地面についていた両手を持ち上げた。

「心配しなくていいと思う。微量だし……昔のものなら、もう力は失われてるだろうから、作用はほとんど無いんじゃないかな。……だからそれより、ここがどこに繋がってるのか……探ってみたほうがいいよ」

 ティーゼルはしばし考え、それから頷いた。



 二人はこれまでの昼夜逆転した行動を変更し、陽の光の当たる日中に谷間の探索を行うことにした。その後一両日を費やしたが、目立った成果は得られていない。ただ、ここが異常な量の風化しかけた人骨が転がっている場所であり、何かが意図的に人の立ち入りを拒絶しているのであろうことは見て取れた。

「俺らがその仲間入りをしないという保証はない……むしろそうなる確率の方が断然高いと思うんだが」

 暗い表情でティーゼルは言うが、『死に損ない』はそんな彼の弱音には取り合わなかった。

「それならとっくにそうなってるよ。昨日のあの間者みたいに」

「……まあ、そうかも知れないが……」

 言われれば納得せざるを得ない。

 直射日光を避け、影の部分を選んで峡谷を歩く。もう何度同じ場所を行ったり来たりしたか分からない。探索を始めてから二度目の日の出を迎え、彼らは谷間を南に進んでいるところだ。

 谷は北方向には長く伸びているが、進むほどに『ニームの息吹』の気配が無くなるため、彼らはほどほどに切り上げて引き返した。

 一方南は進むほどに谷は深くなっていくが、それほど行かずに終端を迎える。固い岩盤に行き当たっているのか、唐突に崖が立ちはだかっている印象だ。崖の根元には礫岩と、ここにもまた砕けた人骨が詰み上がっている。異様な光景ではあるのだが、しかしそれだけだ。

 二人は陽光を遮ってそびえる崖を見上げて、途方に暮れる。崖の向こうに広がる変わり映えのしない蒼穹は、当然のように雲ひとつ無かったが、はるか遠方と思われる背後から、遠雷の響きが届いてくるのが珍しいと言えば珍しいことだった。

「『標』が具体的になんだかは分からないの?」

『死に損ない』の質問に、ティーゼルは弱ったように眉尻を下げた。

「そこまでの情報は無い。あれってニームの痕跡の隠語みたいなものなんだろう?」

「そうらしいね。……そういう意味では、この『ニームの息吹』は十分標だと思うけど」

「遺構自体はどこにあるんだ……!」

 少々苛立った様子でティーゼルは嘆息する。これまでのまったくの空振りからすれば、今の状況は大変な進歩ではある。しかし目的に近づけなければ、この徒労感はこれまでの比ではないかもしれないという、新たな焦りが彼の中に生じていた。

 『死に損ない』はそんな彼の様子をじっと見つめたが、やがてはっとして横手の岩壁に近付き、耳を当てる。そしてすぐさま小さく叫んだ。

「ティーゼル……!」

 これまで聞いたことのない緊迫した『死に損ない』の声に、ティーゼルも急いで駆け寄ってくる。

「どうした!」

 『死に損ない』は岩壁から耳を離し、来た道を振り返った。

「水が来る……!」

「なに?」

 そう訊き返した彼にも、すぐに異変が迫り来るのが感じられた。

 今さっきまでの静寂が一転、地鳴りを伴う轟音が恐ろしい速度で音量を増す。

(鉄砲水か!)

 雷鳴を他人事のように聞き流していた迂闊うかつさを呪ってももう遅い。

 対処を考える隙もなく、二人は唐突に現れた水の塊に呑み込まれた。



 予想だにしない。そんなところにこそ、死のあぎとが待ち構えているのだと、思い出したときには手遅れなものだ。

 踊り狂う水流に為す術もなく揉まれながら、そんなことをティーゼルは思う。

(くそ……! 油断した)

 馴染みのない気候の土地が持つ、危険な特性を失念していた。

(リサ……俺が君を待つ番になるのか。天門の向こうで)

 時が止まっているよう、そう彼女の状態を称したのは妹だ。何もしなければ、彼女はあの状態のまま、下手をすると死すらも迎えられないのかもしれない。そんな永劫の孤独に、彼女が理由も分からず放り出されたなど、考えただけで胸を掻きむしりたくなる。

 それならせめて、魂だけはすでに天に旅立っていたという方がましだ。

(だがそうなると、こんなヘマをした俺なんか天から叩き出してくれ、ってバルサムに頼みそうだな)

 聖者バルサムは今も天の入り口の門を守り、エルムの民の魂を迎える役割を担っているという。悪人の魂はバルサムの光に焼き尽くされてしまうというが、そこまで今生でひどい行いをした覚えは無い。

 だが自分のためにこちらが犬死にしたなどと、態度はきついが根の優しい彼女は受け入れないだろう。なんとしてでも現世に帰そうと手を尽くすに違いない。

(いや、でも魂だけ帰されても、溺死体になった身体に戻されたら困るぞ。それっていったいどういう状態ってことになるんだ)

 ティーゼルは自身の意識が取り留めもない思索の中に迷い込んでいることに無自覚だった。自らの命はもう終わりだと決めつけていたためだ。それは彼が心の奥底で、この旅に元々感じていた絶望が表出した結果だった。

 そもそもリサの不可解な昏睡は、原因も状況も明らかになっていない。すべてが憶測で、それとて常識では考えられない事象を、都合よく謎のニームという存在に押し付けただけなのだと、本当は分かっていた。

 すがれるものが他に無くて、仮に遺構を探し当てたとして、そこで何かが分かるのか、ましてや彼女を目覚めさせることができるのか、正直その道筋など想像すらできない。

(現実から、目を背けるためだけの旅だったのかもしれない……)

 そんな自嘲に侵されたティーゼルは、激流に吞み込まれたはずの自身の四肢が、いつしか水の翻弄から解放され、口から大量に流れ込んできた水に圧し潰されそうになっていた肺も、からになり新たな空気を得ていることに気付かなかった。



 間近に足音がして、ティーゼルは目を開ける。

 彼はうつぶせの状態で地面に転がっていた。全身が濡れそぼっているのを感じ、これが先ほど遭遇した鉄砲水と繋がっている現実だと気付いてはっとする。

(どういうことだ!?)

 慌てて両腕で地面を押し、上体を起こすと、正面に(たたず)む若者の姿が目に入る。

「『死に損ない』……」

 無事だったのか、と胸を撫で下ろすのも束の間、その姿にティーゼルは愕然とした。

 彼も自分と同様ずぶ濡れだった。それはいいのだが、激流は彼に付着した大量の血痕を見事に洗い流していた。

 柔らかく陽光を弾く淡い金の髪、日焼けで痛々しく剝がれかけているのは相変わらずとはいえ、その肌は透き通るように白い。どのような絵師も石工も表現が及ばないであろう完璧な均整を保つ容貌、中でも最も目を惹くのは、薄青の双眸と、それを縁取る、光が(けぶ)るような長い金の睫毛まつげだった。

 未だ少年の面影を色濃く残す、歳相応の容貌ではあったが、透徹とした眼差しには荘厳ささえ感じられ、その現実感のない美しさにティーゼルは言葉を失った。髪や顎から滴り落ちる水滴すら、光を(まと)っているように見える。

(……待て!)

 思わず相手の姿に見入ったティーゼルだったが、もう一つのとんでもない事実に思い当たり、内心で叫んだ。

(馬鹿な。そんなことがあるはずがない。この顔……)

 瓜二つだった。妹の婚約者に。ただ、彼は瞳の色は若葉の色をしていたはずで、そしてもう少し歳若い。

(てことは、こいつは……)

 いや、こいつ呼ばわりなどしてはならない相手だった。

「ラヴィッジ伯……いや、ウォータークレス公」

 呆然と、ようやく判明した相手の正体を呟く。

 ティーゼルの故国、聖者バルサムの末裔が支配する北の大国、エレカンペイン王国。その、第二位王位継承者であるヴァーヴェイン。

 ティーゼルの未来の義弟である、王太子ソレルの従兄にして、最大の政敵。

 『死に損ない』――いや、ウォータークレス公ヴァーヴェインは、彼にふわりと微笑んだ。

「ようやく思い出してくれた? マルベリー卿ティーゼル。昔何度かソレルと一緒に遊んでくれたのに、全然気付かないから心配になったよ」

「気付くか――っ!!」

 うっかり、すべてを忘れてティーゼルは叫んだ。

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