第7話
「それでは蒼生、お前に閃也を任せる。気性は荒いが、お前なら御せるだろう」
「心配要らないわ。首輪はしっかりと嵌めておいてあげる」
伊坂に対し蒼生は生き生きとした、しかしあくどくも見える笑みを浮かべる。
「期待しているぞ。ではすまないが私はこれで失礼する。あぁ見送りはいらんよ」
腰を上げた伊坂は、玄関まで送ろうと立ち上がった蒼生と扉を開けた千奈美に告げ、そのまま部屋を後にした。
一度も部屋を振り返ることなく、後ろ髪を引かれることなく、呆けた閃也を放置して、育ての親であり直属の上司であり生殺与奪を握っているあの特査の堅物が、あっさりと屋敷を去って行った。
「……嘘だろ?」
それが信じられなくて、閃也は頬を引きつらせる。
「あら? 何が嘘なの?」
その閃也を見て、蒼生が澄ました表情で尋ねた。どうやら彼女には、今のこの状況が常識の範疇にあると見えているようだ。
「ちょっと待て、状況を整理する」
「えぇいいでしょう。千奈美、お茶を入れ替えてくれる?」
「かしこまりました」
肩を竦めて蒼生が腰を下ろし、千奈美がテーブルの上にあるカップに紅茶を入れ直す。
「お前は誰だ?」
「私は紫堂蒼生」
「ここはどこだ?」
「ここは私の家、紫堂の屋敷よ」
「なんで俺はここにいる?」
「あんたが私の守護者になったから。あんたもここに住むの」
「なんで俺がお前の守護者になるんだ?」
「私が希望して、あんたの上官である伊坂さんが許可したから」
「なんで伊坂は許可したんだ?」
「さぁそれは私も知らないわ」
「…………」
「…………」
「帰って良いか?」
「ダメ」
紅茶に口をつけ、蒼生はきっぱりと言い切る。
頑としてその要望は受け入れられないという意思がヒシヒシと感じられる態度だ。取り付く島も無い。
厄介な事になった。そのことを、閃也は十分に理解した。
「というか、帰ると言ってもあんたどこに帰るの? 特査にいたことは聞いてるけど、そこには伊坂さんだっているでしょ? どうせ連れ戻されるんじゃないの?」
そう、今の閃也の状況で最も理解しがたいのがその点だった。
特査最上級機密であるドラグナーこと閃也を、その特査の司令官である伊坂が野放しにする。
アレほどまで厳重に機密保持に勤しんできた特査が、閃也を監視下から外すというのは、子供に核爆弾のスイッチなんてものじゃない。
それこそ、駅前で配っているティッシュ一つ一つにそれが付属されているようなものだ。
仮に、ここで今すぐ蒼生の首を刎ねる事は造作も無い。そもそも男と女、構造も違えば鍛え方もまるで違う。
そして守護者と封魔師、いくら封印武装が守護者にも効力を持つと言っても、そして蒼生が封魔師としての資質に長けているとしても、それを構える間に蒼生を三回は殺せるだろう。
その事実を伊坂が考慮していないわけが無い。
いくら部分的に人間としての知能があるとしても、気分屋で倫理観の希薄な閃也ならば実行に移す可能性の方が高いのは目に見えている。
だからこそ閃也は慌てている。不可解な自由を与えられ、それを怪訝に思っている。
何か裏があるのではないかと、いぶかしんでいる。それぐらいの思考は働く。
「まさか特査の守護者だとは思わなかったわ。でも、だからこそ紫堂家のツテが役に立った訳だけど」
蒼生と伊坂がそれなりに交流のある間柄である事は、それとなく察する事が出来る。
そしてツテと言うからには、そして今閃也がいるいかにも上流階級然とした広さの屋敷から、蒼生の生家である紫堂家がかなりの権力の持ち主であることも分かる。
ならば蒼生は守らなくてはならない存在であり、なおさら閃也と対面させてはいけない存在のはず。
だが実際に蒼生は閃也の目の前にいる、手の届く距離にいる。
そのことが、蒼生を殺すことが出来ない最大の要因。簡単に出来てしまいそうだからこそ、手を出す事を躊躇う。
獣でありながら――否、獣であるからこそ、閃也は状況を冷静に観察していた。




