第三話 魔法管理局
…………これはまだ、提火が列車を去る前の話。
「……寝たのか」
「良い子はとっくに寝る時間だからね」
アルティは、魔法……切符……学校……妖怪……銀河鉄道と、怒涛な展開と凄まじい情報量に、精神が疲れ果てていた。初めての空の旅を大いに楽しむつもりで乗車したが、眠気には逆らえず、窓辺の折りたたみテーブルに突っ伏して眠ってしまった。どんな夢を見ているのか、鼻をひくひくとさせ、よだれを垂らしている。
タブリは、持っていた皮のカバンから取り出したメガネをかけ、『およそ日刊フロレスタ新聞』を読み始めた。眉を寄せたり、上げたり下げたり、ため息をついたり、鼻をフンと鳴らしたり……。アルティへの態度で分かる通り、タブリの普段の性格はツンツンとしている。しかし、こう感情を隠さずに新聞を読む姿を見ていると、彼もまだ青い子供なのだなと提火は微笑ましい気持ちになった。
「魔法薬学担当のスッド先生が、研究室に貸し出した薬草を枯らされて、1日中大泣きしてたらしいぞ」
タブリは悪そうな笑みを浮かべて、提火に新聞を見せる。新聞には、温室でプランターにしがみつきながらおいおいと泣く、魔法薬学教師スッド・ゲフンゲフンの姿がばっちりと載せられていた。
「……この新聞って、生徒たちが作っているものだったよね? 恩師のこんな恥ずかしい姿を他に晒すだなんて、相変わらずはちゃめちゃな子供たちだ」
「この舐め腐ったような文の書き方は、多分ラザールだな」
「君の後輩かい?」
「ああ。俺が最高学年だったときも、ラザールは小生意気な奴だった。アイツももう5年生になったんだから多少おとなしくなってると思ってたが、この調子じゃあんまり変わってないな」
”変わってない”といいつつも、咎めるような声色ではない。魔法学校をすでに卒業した身とはいえ、後輩のことはいつまでも可愛いのだろう。カラカラと楽しそうに笑う姿に、面倒見の良い先輩らしさを漂わせている。
「……なあ、提火さん。あんたが知っているかどうかは知らんが、1つ聞いていいか?」
ひと通り読んで満足したのか、新聞を閉じたタブリが真剣な表情で言う。
「どうぞ。答えられることなら良いけれど」
タブリは何度か口を開けたり閉じたりし、誰に盗み聞かれることもないであろう列車の中で声を潜めた。
「このチビスケは、あっちの世界から魔法界に連れてこられたわけだが――150年ぶりのことだと聞いた」
「……」
「アンタは150年前も今日と同じように、あっちに迎えに行ったんだろ? その、”例の少女”を」
提火は1つしかない目をゆっくりと閉じた。タブリの肩がかすかに跳ねる気配がする。
「聞いちゃいけないことだったなら、良いんだ。別に変に詮索したいわけでもないし」
タブリはかけていたメガネを取り、気まずい空気をかき回すようにブラブラと揺らす。提火はハッとして、申し訳なさそうに頭をカリカリと擦った。
「いや、ごめんね。すごく懐かしかったもんだから過去の記憶に浸ってしまった。言ってはいけないという決まりはないし、私もあの時のことをそんなに重く捉えているわけじゃないから大丈夫だよ。続きを聞かせておくれ」
「…………ならいいが」
タブリは提火の表情をうかがいながら、話を続ける……ことはなかった。まっすぐタブリを見据えていた提火が、突然窓の外を向いたからだ。
「もう時間だ」
提火は、これ以上話せなくて残念だ、という感情をにじませた声色で呟く。列車はとっくに海を越えており、下の方には緑や黄色で彩られた広大な田園風景が小さく見える。そう、ずっと下の方にある景色が見えるほどに、辺りは明るくなり始めていた。長い夜はとうに終わり、青く澄み渡る空の向こう側には、朝の象徴である日の出が昇り始めていた。
「次は、お互い暇してる夜にゆっくり話そうか」
提火は座席から腰を上げ、アルティの頭をポンと撫でる。まだまだ眠りは深いようで、顔に朝日が当たっていても起きる気配はない。
座ったことで少し乱れた着物を直し、カランカランと下駄の音を鳴らしながら列車の出口まで向かう。タブリも伸びをしながらついて行く。
「今日はお互い、ごくろうさまでしたな」
あくび混じりのふざけた声で、タブリは提火をねぎらった。
「そうだね。あとはよろしく頼むよ。…………校長が何をお考えでアルティを魔法学校に迎えたのかはわからないけれど、いずれにしてもあの子はこれから、色々と忙しい毎日を送ることになるだろう」
「ああ。そうだろうな。チビスケは、学ばないといけないことが山ほどある」
「きっと上手くやっていけるさ。この私を見ても、大して怖がらない肝が据わった子供だからね」
銀河鉄道は、今だ止まることなく空の上を走り続けている。開いた扉の向こうから、ヒュンヒュンと列車が風を切る音が聞こえてくる。提火はタブリに向かって軽く会釈し、素早く巻物を広げて立ったまま上に乗り、波乗りのような動きで軽やかに去っていった。
列車がプシューという音を立てて停車した。とうとう魔法界に着いたんだ、という実感がアルティの胸いっぱいに広がる。ボストンバッグを肩にかけ、少し重たそうに眉をひそめながら降りるタブリに続き、アルティも降車する。
生まれて初めて魔法界の地に足をつけた。その瞬間、アルティの体中にふわふわとした温かいものが纏ったような感覚がした。まるで太陽の光をめいっぱい吸った、干したての布団に包まれているような気分だった。
「変な感じ、してるだろ」
タブリが首だけ少し振り向かせて言う。
「うん。なんだかポカポカするよ」
「お前の中に11年間眠ってた魔力が、やっと目覚めたんだ。魔法界の地の奥深いところにあると言われている、膨大な魔力に引き寄せられてな。その感覚がわかるってんなら、チビスケは正真正銘、”魔法使い”だったってことだ」
良かったな、というタブリの言葉に、アルティは心底安心して、少し泣きそうになった。魔法を使ったことがないというのに魔法界へ呼ばれ、もし使えなかったら自分がどうなってしまうのか、内心不安で不安で仕方がなかった。
”魔法界へ行ってみればわかる” そう自分に言い聞かせはしたが、不安が消えることはなかった。
しかし今、体を巡る暖かい魔法の力を感じたことで、初めて自分が本当に魔法使いであったのだと自覚することができたのだ。
「さ、感動するのは歩きながらでもできる。行くぞ」
「あ、ちょっとまって」
アルティは今一度、自分を乗せてきてくれた銀河鉄道を目に焼き付けておこうと、後ろを振り返った。
「あれ!? もういない!」
列車はすでに姿を消していた。音もたてずに。
「言ったろ。役目を終えたら列車は消えるんだ」
「へ……へえ……」
もう少し外からも見たかったなと肩を落とし、アルティは大人しくタブリの背中を追った。
列車に乗り込んだ場所は、駅とは到底思えないへんぴな場所だった。しかし終着地点である駅舎は、とても立派なものだった。ホームは貝殻を砕いて敷き詰めたように真っ白く輝き、一歩足を踏み出すたびにシャリリ、と音が鳴る。
駅舎の壁は潮風でほんのり塩を帯び、触ってみると少しべた付いている。アルティは昨日まで住んでいた海辺の町を思い出し、懐かしむようにクスリと笑った。
「ねえ、あの鳥はなに?」
アルティが指差す方には、大きく急な屋根に止まっている数羽の海鳥がいた。真珠色の美しい羽毛が、太陽の光に照らされてキラキラと輝いている。ピュルルルル、ピュルルルル、としきりに鳴く姿が可愛らしい。
「ルミネウミドリだ。この駅の見張り番をしている」
「へえ、偉い子たちなんだね」
「魔法動物の中でも利口な方だと言われているからな」
この人は動物にも詳しいんだな、と何となく思っていると、アルティは大切なことを忘れていたことに気が付いた。
「ねえ、そういえばタブリさんって、何をやってる人なの?」
タブリは目を丸く見開いて、バッグを持っていない方の手を使って胸ポケットの中からピンバッジを出した。
「俺は、フロレスタ魔法学校で学務士をやっている」
「がくむし?」
「……お前の世界で言うと、なんだろうな。校門付近で落ち葉はきしてる人とかいるだろ、それみたいなもんだ」
「用務員さんか」
タブリが見せてくれたピンバッジには、切符の端に小さく書かれていたものと同じ、三角のマークが書かれている。やはりあれは魔法学校の校章だったんだ、とアルティは納得した。タブリは再びピンバッジを胸ポケットに戻した。
青草の生い茂る丘を登っていくと、なにやら荘厳な建物が見えてきた。横長の建物の真ん中には、雲を突き抜けそうなほど大きな時計塔がある。とんがった屋根は青緑色に輝き、年季の入った石壁は、まるで歴史を語っているかのようだ。あちらこちらに細かい彫刻が刻まれ、思わず背筋が伸びるような圧を感じさせる。
「ここは魔法界のすべてを管理している場所。”魔法管理局”だ」
体の芯から震え上がるようだった。
『魔法界のすべてを管理している場所』。そう呼ばれるにふさわしいと、アルティは思った。
「ようし……」
ごくりと唾を飲み込む。深く深呼吸をし、アルティは一歩を踏み出した。