第一話 その名は
初めまして!
構えずにサラッと読める作品になっています。
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海と空を背負うようにして佇む古ぼけたバス停に、ポツンと置かれたベンチがひとつ。
最近取り換えられたのか、真っ白で綺麗なベンチだ。錆びだらけの時刻表が隣り合う姿がなんともあべこべで、おかしい。
海に陽が沈み始めたころ、そこに1人の少年がやってきた。大きなボストンバッグを両手で持ち、重いのか足元がおぼつかない。1歩進むたびにゴリラのキーホルダーが大きく揺れている。
やっとのことでベンチにバッグを置くと、少年は
――しまった。
という顔をした。ベンチに置いてしまって座る場所がなくなってしまった。少年はもう一度持ち上げる気力はないようで、諦めて辺りをぶらぶらし始めた。
30分ほど経っただろうか。日は完全に沈みきり、視界が黒に包まれる。人口が数百人ほどの小さな町だから、ろくに外灯はなく夜になってしまえば前後も左右もわからなくなってしまう。月明かりに照らされた部分の、海の水面の輝きだけがかすかに見える。少年は歩き回るのをやめ、ベンチの横に座り込んだ。
その時――ジャリ、と地面の擦れる音がした。音のした方を見てみようとしても、暗闇の中で感覚が狂ってしまい、どこから足音がしているのかよくわからない。だんだんと近づいてくる足音に、少年は青ざめバッグにしがみついた。
「お……おい! 言われた通りにちゃんと来たんだから、怖がらせるようなことするなよ!」
ぎゅっと目を瞑り少年が叫ぶ。すぐ近くに何かがいる! そう思ったと同時に、足音は止まった。おそるおそる、うすらと瞼を開いてみると、しゃがむ足元に長い影ができていた。すぐ後ろに立っているであろう存在の姿かたちを確かめようと、足の先から頭の上まで見た。影越しに。
――頭が、光っている……? いや、頭の位置で何か光るものを掲げているだけだろう。だってほら、ゆらゆらと揺れているじゃないか。
そう自分に言い聞かせて、思い切って後ろを振り向いてみた。
そして少年は目を見張った。
「やあ、ごめんね。つい怖がらせたくなってしまって。ほら、私”妖怪”だから」
そういう性分なんだよ、と言いながら肩をすくめる目の前の生き物は、頭が提灯でできていた。
「ばっ……ばけも……むぐっ!」
「あーこらこら。やっぱり叫ぶと思った」
少年は零れんばかりに目を見開き、恐怖のままに大声を上げようとした……が、なぜか声が出ない。
(あ……えっ!? なんで声が出ないんだ!?)
口をパクパクしているだけで、少年の叫びが音になることはなかった。
「本当は思いっきり驚いてる人間を見るのが好きなんだけど。ほら、妖怪ってそういうものでしょう」
妖怪は両手を肩あたりまで上げ、おどけたように言う。
「(静かにするから! この変なのやめてくれよ!)」
必死に口を動かすと、妖怪は尻もちをつく少年の前にしゃがみ、目線を合わせた。
「本当に?また叫ぼうとしたら、声出せないようにして連れてくからね」
コクコクと頷くと、妖怪はしぶしぶといった感情を隠さずに、袖から木の棒のようなものを出した。”それ”を一振りする。
「なにそれ……って、喋れる!」
「これは杖だよ。魔法の杖。これくらいは君も知ってるでしょ?」
「……魔法って、本気で言ってたんだね。あの手紙、正直完全には信じてなかったんだけど」
「信じてないのに今日ここに来たのかい! 肝の据わった子供だね」
”あの手紙”というのは、昨日夜、少年のもとに届いた一通の手紙のことである。手紙と言っても、ポストに投函されていたわけではない。窓から入ってきた紙飛行機を開いてみたら『あなたを魔法界へご招待します』という言葉から始まる、摩訶不思議な内容の手紙だったのである。初めは誰かのいたずらだと思ってくしゃくしゃにしてしまったが、くしゃくしゃにしたはずの手紙はすぐにピンと綺麗な状態に戻っていく。少年は驚いたが、”そういう素材でできている”だけかもしれない、と自分に言い聞かせ、今度はもう一度紙飛行機に折り直したものを窓の外へ飛ばす。しかし紙飛行機は少年の部屋へと戻ってきたのだ。そんなおかしな出来事を経たことで、少年は魔法の存在を信じ始めたのである。
「でも、君の姿を見せられたら魔法を信じてないなんて、もう言えないよ」
アルティは妖怪を直視するのを躊躇い、俯きながらチラチラと視線をやる。
「そうだろうね。こっちの世界では私の姿は普通じゃない」
頭の提灯がこうこうと明かりを灯し、茶褐色の着物を身に着けている。黒に灰色のラインが入っている帯で締められている腰はとても細い。頭が提灯でできているならば、体は何でできているのだろうか。首は和太鼓のバチほどの細さしかないというのに、着物で覆われている部分はふっくらとしているのだ。昨日から不思議なことばかり起こっている。考えるだけ無駄なのかもしれない。
「ねえ、私をまじまじと見るのは一度終わりにして、出発しよう。切符は持ってるかい?」
「切符? ……やっぱり、あれもあんたが仕込んだことだったんだ」
「いや、切符を用意したのは私よりもっと偉い人。本当は私の役目だったんだけど、その方がやらせてくれって聞かなかったから任せたんだ。どう? 面白いことが起きたでしょう?」
妖怪は至極愉快そうに聞いてくる。
「面白いっていうか、びっくりしたよ! 鉛筆を削っていたら削りカスに混ざって切符が出てきたんだ。魔法の手紙が届いた後だったから、これも魔法なのかなってすぐに冷静になったけど」
「うーん、そうかあ。あの方、君を驚かせようと試行錯誤してたみたいだけど、あんまり驚かなかったかあ。やっぱり手紙を送るのを後にした方が面白かったかもね」
「……なんか、思ってたより魔法使いって”普通の変人”なんだね」
少年はベンチの上の荷物を支えにしながら立ち上がる。それでも、しゃがみこんでいる妖怪とは目線が同じだ。なんて背が高いのだろう。
「普通の変人だなんて、おかしな言い方をするね。変人は普通じゃないから変人なんじゃないの」
「あんたたちみたいなテンションの人は、こっちの世界にも沢山いるってことだよ」
ふうん、と言いながらゆっくり立ち上がり、頭をぽりぽりと掻く。あの頭でも痒くなることってあるんだな、と少年はなんとなく思う。考えるだけ無駄なのである。
「それで、切符ってこれのことだよね」
少年は半ズボンのポケットから切符を取り出してみせる。何の変哲もない、いかにも切符ですという感じの、よく見る大きさのものだ。ただ1つおかしな点があるとしたら、『現実界→魔法界行き』という文字が書いてあることだ。
「そう、それのこと。その切符がないと魔法界に入ることができないんだ。無くさないように持っておくんだよ」
「今使うわけじゃないんだ」
「前もって確認したのさ。ほら、小さい子ってすぐに物を無くすでしょう」
「僕そんな小さい子じゃないけどね」
少年は気に食わないと言わんばかりに頬を膨らませる。実際、少年は11歳。十分小さい子供ではあるのだが、まわりの同年代の子供たちより精神が成熟している。それは身の回りの面倒を見てくれるはずの親がおらず、唯一の肉親であった祖母はとても厳しい人だったからだ。「自分のことは自分でやる」これが祖母に教わって以来、少年が大切にしてきたモットーなのである。
「じゃあ、これに乗ってくれるかな。あ、土足でもいいよ。こっちの荷物は私が運ぶから先に乗っていて」
「ありがとう。それ、結構重たいけど持ち上げられるの? おじさん腕すごく細いじゃん」
「おじさん……か。なかなかいい響きだね。そう呼ばれたのは初めてさ」
妖怪は首と同じくらいの、細っこい腕でひょいっとボストンバッグを持ち上げた。どこにそんな力があるのだろうか。あまりにも軽々と持ち上げるから、バッグの重力が全て消えてしまったように思えた。やはり考えるだけ無駄なのである。
乗って、と言われたのだが、肝心の乗り物がどこにも見当たらない。
「ねえ、乗るってなんのこと? なあんにも無いけど」
「ああ、広げるのを忘れてた。この巻物をね、開いてみると……」
「ずいぶん大きい巻物だね」
「乗り物用だからね。他にも巻物をつかった魔法道具はいくつかあるけど、一番大きいのはこの乗り物用なんだ」
そう言って、妖怪は巻物を結わっていた紐を解き、スルスルと広げた。広げられた巻物は、横幅が1メートルより少し大きいくらいで、見たことがない大きさをしていた。端まで広げきられた巻物は、妖怪が手を放しても宙に浮いたままだ。手全体を使って重みをかけてみても、少し沈むくらいで手を離したらもとに戻ってくる。不思議な感触だ。
「魔法の絨毯みたいなものか」
「まあ、それに近いね」
「魔法の絨毯は本当にあるの?」
「そりゃあるさ。人が想像力を働かせて生み出したものだからね。君の世界ではおとぎ話の中でしか見られないものも、魔法界になら、なんでもあると思っていい。想像を実現することができる、それが魔法の素晴らしささ」
「へえ、魔法の世界って凄いね」
少年が目を輝かせてそう言うと、妖怪は得意げに笑った。話の続きは移動しながらにしよう、と会話を止め、巻物の上にどさりとバッグを置いた。少年はおそるおそる巻物の上に膝立ちで乗りあげる。
「君はまだ魔法が使えないから、捕まってないと振り落とされてしまうんだ。今日は私が君を背中にくくりつけておこう」
「えっ? 嫌だよ、赤ちゃんみたいじゃないか」
「死にたくないなら言うことを聞くんだね」
突然低い声で物騒なことを言われる。少年は身震いをした。
妖怪は少年を背負うと、袖から細帯を取り出した。そしてバツ印を作るようにして少年と自分をぐるぐる巻きにし、最後に硬く結んだ。
「なんか、何とも言えない気分」
「これが一番安全なのさ。揺れるから掴まっておりなされ」
少年は堪忍して妖怪に身を預けた。足が地面につかない状況が少し心地悪い。妖怪の肩当たりにしがみつきながら、少年は今になって不安になってきた気持ちを隠すように、今思い出した、という風に呟く。
「ばあちゃんのお墓、たまに掃除しに帰ってもいい?」
「それはもちろん。私たちは、君を魔法界に拘束したいわけじゃあないからね。許可をとれば、こっちの世界と魔法界を簡単に行き来することができる」
「……なら、よかった」
少年がほっと息を吐いたと同時に、巻物がぐんっと動き出した。少年は驚いて、着物を掴む手に力を込める。
――空を、飛んでいる!
少年はまるで、サルを肩に乗せ、ランプの魔人を友人に持つあの青年になったような気分だった。巻物はどんどん空へと上昇し、町の明かりがぽつぽつと小さく見えるようになったくらいで、一定の高度を保ち始める。耳元でビュンビュンと鳴っていた風の音もいつの間にか止んでいた。妖怪の、頭の灯だけが明るさを持つ暗闇の中、思いのほか少年は穏やかな気持ちでいた。
ザアザアと下の方から音がする。今飛んでいるのはきっと海の上だ。生まれたときからずっと傍にいたこの海を、今日は上から追い越していく。なんとも不思議な気持ちだった。
「……ねえ、この先には何があるの?」と少年が聞いた。
「魔法界に入るための手段さ」
妖怪は、体を左右に揺らしながら答える。
「手段? ていうかまず、魔法界ってどこにあるの?」
「この世界の、”見えない場所”だ」
少年は思いっきり首を傾げる。
「行けばわかるし、行かないとわからない。そんな場所にあるんだ。――見事に意味わからないって顔だね。君も魔法界に慣れたらこの言葉の意味が理解できると思うよ」
少年は口をポカンと開けている。すると耳元でブン! という羽音がし、「うわっ!」と小さく声を上げた。
「口は閉じておいた方がいい。虫を食べてしまうから」
妖怪は頭だけを後ろに回して言う。首を360度、クルクルと回している様子は今までで一番妖怪らしくて、少し怖かった。
どのくらいの時間飛んでいるのだろうか。少年は眠気に襲われ、大きなあくびをしながら残念そうに言う。
「あーあ。せっかく空を飛んでいるのに、暗くてなーんにも見えないよ」
「楽しみは取っておけばいいのさ。君も飛行魔法を学べば、好きな時に好きなだけ空を飛ぶことができるから」
「”飛行魔法”っていうんだ。そのまんまだね」
「わかりやすいでしょう。あと詳しいことは、”君の先生”にじっくりと教わっていけばいい」
「僕の先生?」
妖怪はまたもや頭だけ後ろを向き、少年のバッグを指差した。
「届いた手紙に書いてあったでしょう。君はこれから、魔法学校に通うんだ」
少年は寝ぼけた頭をなんとか回転させながら思い出す。あの不思議な紙飛行機に書かれていた、摩訶不思議な内容を。
拝啓 アルティ・ルーメン様
はじめまして。わたくし、魔法学校の校長、ポルカ・ムンチャブルクと申します。
この度、あなたを本学校にお迎えすることが大魔法会議によって決定いたしました。
入学に際しては、以下の注意事項をご確認ください。
1、制服は不要。パジャマでも可。
2、ご到着の際、必ず魔法管理局へ向かうこと。
3、魔法管理局の局長の髪型について笑わないこと。
待ち合わせ場所は、海と空を背負う古ぼけたバス停です。
そこに魔法管理局の者がお迎えに上がります。目印は、提灯頭です。
なお、当日お越しいただけない場合は、こちらからお迎えに向かいます。
そのおつもりで。
ブルーベリーはお好き?
信頼の証として、ブルーベリービスケットサンドを同封しますね。
それでは、あなたのご入学を心より楽しみにしております。
敬具
魔法学校 校長
ポルカ・ムンチャブルク
「その手紙に書いてある通り、君は魔法学校への入学が認められたんだ」
「魔法、学校……」
少年はごくりと喉を鳴らしながら、期待を込めた瞳で妖怪を見つめた。
少年……もといアルティにとって魔法は、おとぎ話の中だけの存在だった。しかし”魔法学校”という響きに触れた瞬間、空想がゆっくりと現実の色をおびていくのを肌で感じた。
「そう。魔法使いのひよっこたちが、魔法を学ぶために通う学校……その名は”フロレスタ魔法学校”」
ここまで読んでくださり本当にありがとうございます!