表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

擬人化シリーズ

触れ合うその日まで

作者: 澄鳴

――夜の静寂が町を包むころ、ある家の屋根裏の古い梁が軋む音だけが響いていた。

彼女はいつもそこにいた。高いところからすべてを見下ろし、埃と光の狭間で静かに微笑む存在。

彼女の瞳は柔らかく、どこか遠い記憶を宿していた。


一方、彼は彼女の下で、いつも彼女を見つめていた。

足音や笑い声、時には涙の重さも一身に受け止める存在。

年月とともに輝きは失われ、身体は軋むようになり、傷痕も増えて行った。


二人は言葉を交わさない。

彼は彼女の存在を感じ、彼女は彼の温もりを知っていた。

家の中の住人たちが入れ替わり、子供の笑い声が響き、老夫婦の静かな会話が漏れるたび、二人はただ見つめ合った。

彼女は変わらず清らかで、時折差し込む陽光に白く輝いた。

彼はしかし、年々その姿をくすませ、歩くたびにギシギシと悲鳴のような音を上げた。


自分はまだ大丈夫と、彼は自分に言い聞かせる。

彼女には聞こえないはずなのに、彼女の視線が少しだけ優しくなる気がした。


――十年が過ぎ、住人は新しい家具を運び込み、彼の身体に新たな傷を刻んだ。彼はそれでも彼女を見上げた。

彼女は変わらず彼を見つめ続けている。


君はあまり変わらないねと、彼は心の中で呟いた。

彼女は答えず、ただ静かにそこにいた。

時折、風が窓を揺らし、彼女の周りに光の粒が舞った。

それが彼女の笑顔だと、彼は信じた。


――二十年目、家の住人は減り、静寂が家を支配し始めた。

彼の軋みはますますひどくなり、歩くたびに鈍い痛みが走った。


もう長くないかもしれないと、彼は思った。

それでも彼女を見上げることをやめなかった。

彼女は少しだけ寂しそうに彼を見つめた。

夜、月明かりが彼女を照らすと、彼女の輪郭がぼんやりと揺れた。

それはまるで、彼女が初めて彼に手を伸ばしたかのようだった。

でも、触れ合うことはできない。

二人の間には、彼と彼女が触れ合えない隔たりが常にあった。


――三十年目、住人はさらに少なくなり、家はほとんど空っぽになった。

彼の表面はひび割れ、軋みはまるで泣き声のようだった。

それでも彼は彼女を見上げた。彼女は変わらずそこにいたが、彼女の視線には深い悲しみが宿っていた。

もうすぐ限界を迎えることを、彼女も感じていたのかもしれない。


君だけは変わらないでと、彼は心の中で願った。

彼女は静かに彼を見つめ、答えなかった。



――四十年目、異変が訪れた。

地鳴りが響き、地面が揺れ、空が裂けたような轟音が響いた。

家は悲鳴を上げ、梁が折れ、壁が崩れた。

彼女は恐怖に震えながら、それでも彼を見下ろしていた。

彼は最後の力を振り絞り、彼女を守るように軋んだ。


家が崩れ落ちる瞬間、彼女の姿が彼に近づいてくるのを感じた。

今度こそ、君に触れたいと、彼は思う。

光と埃の中で、初めて二人の距離が縮んだ。




瓦礫の山となった場所で、かつての天井と床は互いに触れ合っていた。

彼女の白い破片が、彼の傷だらけの表面にそっと重なる。

もう見つめ合うことはできないけれど、初めて感じる互いの温もりに、二人は静かに微笑んだ。


やっと触れ合えたと、彼女が囁いた気がした。

ずっと待っていたと、彼が答えた気がした。


崩れた家の下で、四十年分の想いが、ようやく一つになった瞬間だけが、確かにそこにあった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ